宝の鍵

 昔ある人が、遺産として鍵をふたつ受け取りました。最初の鍵はどんな犠
牲を払ってでも守らなければならない倉の鍵であると指示を受けました。2
番目の鍵はその倉の中の箱の鍵で、その箱には宝が入っていました。彼は宝
の箱を開けて中の宝を自由に使ってよいと言われました。また多くの者が鍵
を盗もうとしているから気をつけるようにとも忠告されました。彼は、賢く
使えばその宝は殖えて、永遠にわたって決してなくならないという約束を受
けました。つまり彼は試されるわけです。またほかの人のためにその宝を使
えば、自分の祝福と喜びは増し加えられるとのことでした。
 その男はひとりで倉に行きました。初めの鍵で扉を開けました。そして2
番目の鍵で宝の箱を開けようとしましたがだめでした。宝の箱には錠がふた
つかかっていたからです。彼の鍵だけでは役に立ちませんでした。どんなに
頑張っても、開きません。彼にはわかりませんでした。確かに鍵をもらいま
した。宝は自分のものだとも言われました。指示にも従いました。でも箱は
開きません。
 すると、ひとりの女性が倉に入って来ました。彼女も鍵を持っていました。
彼の鍵とはひと目見て違うことがわかりました。それは、もうひとつの鍵穴
にぴったり合いました。男は謙遜になりました。彼女なくして宝が手に入ら
ないことがわかったからです。
 ふたりは、一緒になって宝の箱を開けることを誓いました。そして指示ど
おり、男は倉を守り、女は宝を守りました。女は倉の番人である男がふたつ
の鍵を持っていることを気にかけませんでした。なぜなら、ふたりにとって
最も大切なものを守っている自分を保護してくれることが、男の役目だと理
解していたからです。ふたりは一緒に宝の箱を開け、宝を手にしました。そ
して約束どおりに殖えていく宝に、ともに喜びました。
 彼らは、子供たちがその宝を受け継げることを知って大いに喜びました。
子供たち一人一人が、末代に至るまでそのままの形で宝を受け継げるのです。
たぶん子供たちの中には鍵を持った伴侶を見つけられなかった者や、 宝に
ついての誓約を喜んで守ろうとしない、ふさわしくない者も出てくるでしょ
う。しかし、戒めを守れば小さな祝福でさえ拒まれることはないのです。
 宝を乱用するように誘惑する者がいましたから、彼らは子供たちに鍵と誓
約についてよく教えました。時がたち、子孫の中に一方がふたつの鍵を与え
られ片方がひとつしか与えられていないために欺かれ、やきもちを焼き、利
己心をあらわにする者が出てきました。「宝は自分で好きなように使えるべ
きではないのか。」利己的な者はそう考えました。
 中には自分に与えられた鍵を相手の鍵に似せて作り変える者が出てきまし
た。そうすれぼ両方の鍵穴に合うと考えたのでしょう。宝の箱は開きません
でした。彼らの鍵は使いものにならず、宝は失われました。
それに、反して、感謝をもって宝を受け、律法を守った者たちはこの世から
永遠にわたって限りない喜びを得たのです。

(「聖徒の道」1994年1月号 ボイド・K・パッカー長老の説教より)

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