常に伴侶となる御方

神権会のレッスン

常に伴侶となる御方

ヘンリー・B・アイリング管長
大管長会第二顧問

2023年10月総大会 日曜午前の部会
リアホナ2023年11月号 92ページ


1行まとめ 聖霊を常に伴侶とする
3点まとめ ・聖霊を常に伴侶とすることが必要。 ・御霊の促しに耳を傾けるとき、この先増す困難の中を導く、洞察と祝福を得る。 ・聖霊の影響力がなければ、これから先、霊的に生き残ることはできなくなる。 ・日々の生活の中で、自らの思いや言葉、行いによって御霊を遠ざけてしまう。 そのとき、主のとがめを感じたり、孤独だと感じてしまう。 毎週、悔い改めて聖餐を受け、「いつも御子の御霊を受けられるように」という 確かな約束を思い起こすことが重要。 ・聖霊を伴侶にするには ・悔い改めて赦しを受けるべき事柄がないかどうか、深く考える。 ・清めを受け、ふさわしさを増すためになすべきことを知るために祈る。 ・義にかなった理由をもってそれを願う。 自分の目的が、主の目的と一致している必要がある。 利己的動機を抱いているのであれば、御霊の促しを受けることは難しい。 ・救い主が望まれることを望む。 動機は、キリストの純粋な愛によって突き動かされる必要がある。 ・聖霊は聖約を交わした人々に与えられる特権 ・聖霊は、聖約を交わした忠実な会員たちのもとに遣わされている。 ・御霊は、信仰に応じて、自身と愛する人々のために、啓示を受ける能力に応じて、 最も適した方法で導く。 ・救い主の犠牲と、自分に向けられている主の愛を心に留める。 感謝をささげようと祈るとき、愛を感じ、自分の祈りが聞き届けられ、 自分と愛する人々にとって最良のものを受けられる確信を抱くことができる。
チャレンジ ・聖霊を伴侶とするために、なすべきことを考えて行う。 ・悔い改め、祈り、主の御心を願う、愛を動機とするなど。
【補足情報】 啓示には次の8つの目的がある。 ・真理を証する。   ・御霊によって、イエス・キリストが人類の贖い主であり、福音が真実であり、モル    モン書が真実であるという確信を得ることができる。(モロナイ10:4-5) ・予言。   ・将来起こることを予言する。大管長や使徒職を持つ人は世界や教会全体のために予    言する。祝福師も祝福を受ける人について予言する。一般の教会員もその責任の範    囲内において予言的な啓示を受ける。   ・オークス長老・姉妹夫婦は5人の子ども授かって以降、10年以上、子供を授から    なかったが、妻が神殿で、もう一人子どもが授けられると御霊のささやきを受けた。    その予言は1年半後に成就し、6番目の子どもが生まれた。 ・慰める。不安や恐れ孤独感を取り去る。   ・預言者ジョセフ・スミスがリバティーの牢獄の中で、何か月もの間ひどい状況に置    かれていたときに、自分と迫害されている聖徒たちのために主に嘆願したとき次の    ような慰めの言葉が与えられた。    「息子よ、あなたの心に平安があるように。あなたの逆境とあなたの苦難は、つか    の間にすぎない。その後、あなたがそれをよく堪え忍ぶならば、神はあなたを高い    所に上げるであろう。あなたはすべての敵に打ち勝つであろう。」    (教義と聖約121:7-8)   ・夫に先立たれたある婦人は、死んだ夫の霊を近くに感じ、愛と関心を確信した。 ・励ます。   ・神の教えや戒めに従いたいと思うように励ます。   ・ある技師の体験談。    宣教師の訪問を受けた彼の奥さんは、二人を家に招き入れた。奥さんは宣教師のメ    ッセージに積極的だったが、彼の方は自分の意に反して勝手にレッスンが進んでい    るように感じた。ある晩、奥さんはバプテスマを受けたいと、彼に打ち明けた。彼    の心には怒りが込み上げた。彼は上着をつかみ、ドアを荒々しく閉めて夜の戸外へ    出て行った。歩きながら、宣教師にレッスンを許した自分を、ののしった。やがて    歩きつかれ、怒りも収まってきた。すると何かしら祈りたい気持ちに駆られた。彼    は歩きながら祈った。疑問に答えてくれるよう、神に懇願した。そのとき、はっき    りと心に訴えるものがあった。「福音は真実である。」そう告げる声が聞こえた。    安らかな思いに満たされた。家に着くまでには、あれほど怒りを覚えたことが進歩    の機会に思えてきた。玄関のドアを開けると、ひざまずいて祈る奥さんの姿があっ    た。 ・知識を伝える。   ・大切な宝物をなくした子供が助けを求めて祈り、そのありかを知らされた。   ・系図探求で問題にぶつかったとき、祈りを通して、その解決に必要な事柄を知らさ    れた。   ・教会のある責任に、だれを召したらよいか答えを祈り求めた指導者に、みたまが具    体的に名をあげて答えた。 ・何かを思いとどまらせる。   ・御霊は人から不安感を取り去る役割をするが、何かを思いとどまらせる場合、逆に    不安を与えるときがある。   ・オークス長老の経験談    ブリガム・ヤング大学の学長をしていたころ、1枚の書類に目を通していた。その    書類は何度も確認をしていた。しかし、サインをしようとしたとき、非常に消極的    な思いと不安を感じ、もう一度洗い直すように依頼した。すると、それまで分から    なかった問題点が明らかになった。もし事を進めていたら、大学は将来非常に厄介    な問題を抱え込んでしまうところだった。 ・確認する。   ・私たちは、神様から導きを受けるとき、すべてを神様にやってもらうのではなく、    まず自分の自由意志を行使し、自分自身で考え、その結果を主に伺うと言う方法を    とる。それが正しければ、心の内が燃えるように感じる。(教義と聖約9:7-9) ・行動を促す。   ・緊急事態など突然、御霊が行動を促すことがある。   ・オークス長老の祖母チェスティ・オルセン・ハリスの体験    家の近くの干上がった川底で何人かの子供たちを遊ばせていたとき、子供たちを川    底から土手にあげるようにと言う声が聞こえてきた。とても天気の良い日で、雨が    降りそうな気配はなかったので、無視して、遊びを続けた。ところが、せかすよう    な声がまた聞こえたので、急いで子供たちを集め、土手に駆け上がった。すると、    突然の濁流が、子供たちが遊んでいた場所をものすごい音を立てながら流れていっ    た。その啓示が無ければ、皆、溺れ死んでいたところだった。 (聖徒の道1983年12月号、ダリン・H・オークス「啓示」より) 聖霊を常に伴侶とするとは  ・聖霊は物理的に一人の御方なので、分身の術を使って、全ての教会員の   そばにいらっしゃる訳ではない。   例えば、テレビ局は1つしかないのに、その電波を多くの場所で受信   できるように、聖霊の影響力を多くの人々が受けることができる。   聖霊を常に伴侶とするとは、聖霊の影響力を常に受けられるように   整えておくということ。   御霊(みたま)というのは聖霊の影響力のこと。 バプテスマ、聖霊の賜物  ・聖約    ・キリストの御名を受ける。      まわりにクリスチャンだと公言し、クリスチャンらしくふるまう。      知恵の言葉でお酒、コーヒーなど断るときが公言するチャンス。    ・キリストを常に覚えている。      毎日、祈りと聖典研究を行い、キリストの言葉と模範について考える。    ・キリストの戒めを守る。      神とまわりの人を愛する。  ・祝福    ・罪の赦し    ・永遠の命:日の栄えに行く。神とともに住む。    ・第一の復活:福千年の最初に復活できる。    ・聖霊の賜物      聖霊を常に伴侶にできる。      試練や苦難が多いこの世で、聖霊を通じて、神から直接、慰め、癒し、      平安、導き、助け、力を受けることができる。      自分に起こる、あらゆることに、神の御業と愛を感じることができる      ようになり、試練や苦難を成長のかてとすることができる。  ・毎週、聖餐を受けることによって、この聖約と祝福を更新する。 啓示を受けるには  ・自分でできることは、できるだけやってみる。  ・神様は必ず答えてくれると信じる。  ・重大なことだけでなく、日常の小さなことにも導きがある。  ・聖文、総大会、教会の出版物、ビデオなどから答えを得ることもある。  ・他の人から答えを得ることもある。  ・啓示を受けるのにふさわしくなる。    ・聖文を学ぶ。    ・聖餐を受ける。    ・奉仕する。    ・神様に従順になる。    ・悔い改めて清くなる。 私の経験談   ・誤った選択をしようとしている娘を心配する母の話。    私も似たような経験がある。    私の場合は自分が誤った選択をしようとしていた。    私は16歳のとき教会に通い始めたが、親の許可が得られないため、    バプテスマを受けられなかった。    20歳になったので、親にバプテスマを受ける話をしたら、    まだ、親に食べさせてもらっている間はダメだと言われた。    しかたがないので、就職して、自分で生活できるようになってから    バプテスマを受けることにした。    それを知った、ある宣教師から、「そんな考えでは、いつまでたっても    バプテスマを受けられない。もう一度、親を説得してみなさい。」と    言われた。もう一度、親に話したら、しぶしぶ、許可をしてくれた。    (真鍮版を取りに行ったニーファイのように、何度もチャレンジしてみるべき)    もし、この宣教師の忠告に従わなかったら、将来、教会員になることを邪魔する    ことが起き、バプテスマをあきらめ、いつまでもバプテスマを受けることは    なかったかもしれない。    実際、就職したあとに、そう思うことがあった。    就職した会社では、東京での配属が決まり、大阪の実家を離れ、東京で    一人暮らしをすることになった。友達もいないので、同期に入社した、    男性社員と遊びにいくことがよくあった。あるとき、私一人だけ、    遊びに誘われないときがあった。あとで聞くと、女性の裸を見せるショー    をやっている酒場に行ったとのことで、それで、私を誘わなかったらしい。    もし、そのとき、まだ、クリスチャンでなかったら、誘われてついてい    ったたかもしれない。お酒も飲んでしまっていたかもしれない。    同期入社の女子社員と仲良くなり、彼女を教会に誘ったが、    興味ないと断られた。それ以上、仲を深めることはしなかった。    もし、その時点で教会員でなかったら、彼女と結婚したいために、    教会に入ることをあきらめていたかもしれない。

ホーム