平和をつくり出す人が必要です

神権会のレッスン

平和をつくり出す人が必要です

ラッセル・M・ネルソン大管長
末日聖徒イエス・キリスト教会大管長

2023年4月総大会  日曜午前の部会
リアホナ2023年5月号  98ページ


【導入】 キリストの真の弟子の役割である平和をつくり出す人(Peacemaker)になる。
【お話のまとめ】 論争や言葉の暴力が通常化している。論争が霊感された解決につながることは決してない。 家族を無視したり、怒りで人を従わせたり、いじめや中傷をする人がいる。 キリストに従う者を見分ける方法は、どれくらい思いやりをもって人に接しているかだ。 救い主の言葉   ・平和をつくり出す人たちは、さいわいである。   ・もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。   ・敵を愛し、あなたがたをのろう者を祝福し、あなたがたを憎む者に親切にせよ。    あなたがたを不当に扱い迫害する者のために祈れ。   ・わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛いし合いなさい。 困難な状況でも、人を育て、高め、励まし、説得し、鼓舞し、平和をつくり出す人になる。 争いの心を持つ者は主につく者ではなく、悪魔につく者である。 悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。 人と接するときは、よく耳を傾けてほしい。相手の徳高いこと、好ましいこと、誉れある ことや称賛に値することがあれば、それを相手に言うようにしてほしい。 人に至らない点があっても裁かないでほしい。逆に、キリストの愛を味わう必要がある。 友達があなたの信じていることを否定しても、怒りに任せた反論は役に立たない。 理解の橋を架けることがその友達には必要だ。 争いは御霊を遠ざける。いつも、平和をつくり出す人になることを選んでほしい。 率直な意見の相違は互いへの敬意と品格のある会話によって対処できる。 大管長会の中でも意見の相違はある。彼らの意見や率直な気持ちを聞きたいと思っている。 彼らは相手に対する純粋な愛をもって意見を言ってくれる。 「キリストの純粋な愛」で満たされているため、主の御霊の導きを受けながら議論するこ とができる。 慈愛は争いの解毒剤だ。慈愛は平和をつくり出す人の特徴だ。 神の前にへりくだり、心を尽くして祈るときに、神は慈愛を与えてくれる。 慈愛を持っている人は、長く耐え忍び、親切で、人をねたまず、尊大ではなく、 容易に怒らず、人のことを悪く考えない。 慈愛は、重荷を負わせ合うのではなく、互いに重荷を負い合うよう駆り立てる。 ここで言う平和は宥和(相手の考えに同意するために自分の信念を曲げる)とは異なる。 神との聖約を守ることと矛盾しない方法で人と接するということだ。 イエスが言うだろうことを言い、するだろうことを行う。 自分の心の奥底を見詰めて、自分が平和をつくり出す人になるのを妨げている高慢やねた みがないか、探ってもらいたい。 敵意を捨て、自分の方法に固執するのをやめてほしい。 普段使っている言葉の中に人を侮辱する言葉や非難する言葉があるなら、捨ててほしい。 神殿では、神の力を授けられ、争いの扇動者であるサタンに打ち勝つ能力をもらう。 ほかの人を成長させることに人生を費やす人には、やがて最善のものが授けられる。
【補足情報】 ・1コリント13:4-7(モロナイ7:45) ・寛容である(長く堪え忍ぶ) ・情け深い(親切である) ・ねたむことをしない ・高ぶらない ・誇らない ・無作法をしない ・自分の利益を求めない ・いらだたない(容易に怒らない) ・恨みをいだかない ・(悪事を少しも考えない) ・不義(罪悪)を喜ばないで真理(真実)を喜ぶ ・すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える ・1コリント13:4-7とモロナイ7:45が似ていることについて パウロとモロナイに啓示を与えた方が同じだから。 大切なことは聖書とモルモン書の両方に乗せている。 モーセの十戒 イザヤ2-14,29,48-54 贖い、モルモン書、回復、イスラエルの集合、福千年 マラキ3,4 結び固めの回復 マタイ5-7 モーセの律法の成就とさらに高い律法 ・信仰箇条 ・第11条 ・他宗教の人に礼拝する特権を認める。 ・他宗教の人の礼拝を妨げない。 ・第12条 ・王、大統領、統治者、長官に従う。 ・法律を守り、尊び、支える。 ・第13条 ・正直である。 ・真実である。 ・純潔である。 ・慈善をおこなう。 ・徳高くある。 ・すべての人に善を行う。 ・すべてのことを信じ、すべてのことを望み、すべてのことを堪え忍ぶ。 ・徳高いこと、好ましいこと、誉れあること、称賛に値することを尋ね求める。 ・信仰箇条11-13は周囲との争いを避けるために書かれた。 迫害が激しくなっている時期、政府や他宗派に対して、敵対意識がないことを表明。 ミズーリ州では、州知事がモルモン撲滅令を出して、迫害が過熱した。 ・ベンソン大管長の高慢に対する警告(1989年4月総大会 聖徒の道1989年7月号) ・「自己中心」「うぬぼれ」「自慢」「尊大」「傲慢」は高慢の罪の中に 数えることができる。 ・高慢の中心をなすのは、神と同胞にに対する「敵対心」である。 ・神への敵意は、欲望や欲求、激情の歯止めを失わせる。 ・神への敵意は、反抗、かたくなな心、強情さ、罪を悔い改めない、誇り 高ぶる、すぐに怒る、しるしを求めるといった形であらわれる。 ・同胞への敵対心は、競争心となって現れる。 ・高慢な人は、自分の知性、意見、仕事、財産、才能を他人と比較して、 他より優れていることを望む。 ・高慢な人は、神の裁きよりも、人にどう思われるかを恐れる。自分に価 値があるかの判断を世の人々に求める。 ・高慢な人の自尊心は人々から評価に左右される。 (真の自尊心は神との関係を確固としていることにより確立される) ・高慢は、学者や金持ちなどの社会的地位や権力がある人が、人を見下す ことだけでない。自分より多くのものを持つ人をねたむことも高慢である。 ・これは、あら探し、うわさ話、中傷、不平、収入以上の生活、そねみ、 うらやみ、人を高める感謝や賞賛の言葉の欠如、人の過ちを赦さない不 寛容さ、嫉妬などの形であらわれる。 ・不従順も自分よりも上の立場にある人に反抗するという高慢である。 ・利己心は高慢の一般的な形である。 ・うぬぼれ、自己憐憫、この世的な願望の実現、自己満足、利己主義は 損か得かの価値観が根底にある。 ・高慢は争いという形でも現れる。争い、論争、けんか、不正な支配、 世代の断絶、離婚、伴侶の虐待、暴動、騒乱は高慢の範疇である。 ・高慢な人は容易に怒り、恨みを抱き、相手に責任を負わせたまま赦しを 与えず、自分の傷ついた気持ちだけを正当化しようとする。 ・高慢な人は勧告や矯正を容易に受け入れない。自分の弱点や失敗を正当 化し、合理化するために自己弁護に終始する。 ・高慢は、自分が神の子供であり、すべての人と兄弟姉妹であるという意 識を消し去る。 ・高慢は「富」や「学問」によって人を等級付ける。 ・高慢の治療薬は謙遜である。 ・争いが多くなっている。 例) ・トランプ イスラム教徒入国禁止、移民排斥(国境の壁) 連邦議会襲撃 ・ロシアによるウクライナ信仰 ・アメリカの大統領選での候補者同士のののしり合い ・インターネットの匿名性を利用した悪口、芸能人や隣国への批判 ・アメリカ国内で大規模な内戦が起こる可能性が高くなっている ・個人の軍隊(民兵)が組織され、連邦政府に対抗して内戦に向かっている ・オーソン・プラット長老 「その大規模で恐ろしい戦争が来る時、人々の状態はどのようになっているの でしょうか?それは北部と南部の間の戦争とは非常に異なっています。 それは隣人に対して隣人、市に対して市、街に対して街、州に対して州の争 いで、彼らは滅ぼし滅ぼされながら出て行くでしょう。 製造はほとんど止み、偉大な街は荒れ果てたままになるでしょう。 その時は、大都市ニューヨークに住む者がいなくなった時に来るでしょう。」 ・サンフランシスコなどは、950ドル(約13-14万円)以下の窃盗は罪を問われ ないという法律ができたため、多くの店舗で万引きが横行し、店はどんどん 閉鎖撤退している。このため観光客も激減し、街は閑散としている。 ・ヒーバー・C・キンボール 「内戦が起きる時は、政府が法律を変え、聖徒たちが集会を開くことを止めさ せる時に来る。」 ・街が危険になれば、それを理由に多くの人が集まる宗教礼拝などが禁止される。 ・ジョセフ・スミス マタイ 「そして、彼らは戦争と戦争のうわさを聞くであろう。見よ、わたしは、わた しの選民のために語る。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢 饉と疫病と地震があるであろう。さらにまた、不法がはびこるので、人々の 愛が冷えるであろう。しかし、打ち負かされない者は救われる。」 ・争いは悪魔がけしかける。 ・悪魔は存在する。真の敵は、争っている相手でなく、悪魔。 ・悪魔は悪い感情や被害妄想を植え付ける。 怒り、憎しみ、怨み、嫉妬、不信、疑い、 恐怖、不安、心配、絶望、諦め、空虚 ・対抗するには神の力をまとう(聖霊の賜物、神殿で受ける力) 悪魔の攻撃に対する防御結界。 神殿の中には悪霊は入れない。 御霊に満たされている人にはサタンは攻撃できない。 ・悪魔の数は地上の人の何十倍もいるし、6000年の経験と知恵がある。 人の力だけでは、負けてしまう。神の力を得ることが必須。 ・慈愛で対抗する。 ・宗教、宗派間の違い ・同じものに対する見え方の違い ・盲人が象について説明するたとえ 数人の盲人が、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、 足を触った盲人は「柱のようです」と答え、 尾を触った盲人は「綱のようです」と答え、 鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答え、 耳を触った盲人は「扇のようです」と答え、 腹を触った盲人は「壁のようです」と答え、 牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。 それぞれが自分が正しいと主張して対立した。 ・一神教と多神教の違い 神は自然のあらゆるところにその存在を感じさせる影響を与えている。 多神教では、影響を感じた部分のそれぞれに神がいるを感じた。 一神教では、影響を与えた一人の神がいると感じた。 ・争わないだけでなく、平和を作り出す人になる。 ・子供をしつけるとき、過ちをした人に注意するとき 教義と聖約121:43 「聖霊に感じたときは、そのときに厳しく責めなさい。 そしてその後、あなたの責めたその人があなたを敵視しないために、 その人にいっそうの愛を示しなさい。」 しかし、この聖句は2021年に、このように日本語訳が変更された。 「聖霊に動かされたときは、そのときにはっきりと言い聞かせ、 そしてその後、あなたの言い聞かせた人があなたを敵視しないように その人にいっそうの愛を示す。」 ・なぜネルソン大管長は今回このような話をされたのか。 ・世間だけでなく、教会内での争いが多くなっている? 論争、伴侶や子供を軽視、怒りでほかの人を自分の意に従わせる、 家族に「無視」という仕打ちをする。 いじめを行う青少年や子供たち 同僚を中傷する従業員 ・具体的なこと ・下品な言動や人のあら探し、悪口 ・人を裁く 離婚した人、早期帰還した宣教師、自分の証に疑問を抱く人 ・信じていることの否定され、怒り、痛烈な反論する ・経済的なことがきっかけとなって、争いが生じる。 ・世界的な物価高、貧困層の拡大、窃盗の多発(サンフランシスコの例) 家賃の高騰でホームレスになった人。不安や不満から争いに発展する。 ・「金持ち喧嘩せず」ということわざがあるとおり。 ・つい、腹を立ててしまうことが多い。 どのように感情をコントロールするか。 ・ゴミを見つけたとき、捨てた人に腹を立てるのではなく、自分が拾う。 キリストは自分が犯さなかった人の罪を負ってくれた。 人が捨てたごみを拾うことは、キリストが行ったことを思い出し、 それに倣い従うことになる。

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