心の中の大きな変化:「これ以上にささげられるものはありません」

神権会のレッスン

心の中の大きな変化:「これ以上にささげられるものはありません」

エドアルド・ガバレット
七十人

2022年4月 土曜午前の部会
リアホナ2022年5月号  21ページ


【導入】 ・どのように心の変化を得て、気づいて、保つことができるか。 ・心の中の変化は出来事ではない。信仰、悔い改め、絶え間ない霊的な働きが必要となる。
【お話のまとめ】 救い主は「あなたがたは打ち砕かれた心と悔いる霊を、犠牲としてわたしにささげなさい。」 と命じた。それに対して、私たちは「主よ、わたしはすべてをささげます。これ以上にあ なたにささげられるものはありません。」と決意する。 ガバレット長老の経験   12歳のとき、日曜日にサッカーの試合に参加するために、教会をさぼった。   そのことは、執事定員会のアドバイザーのエスピノーザ兄弟に知られてしまった。   エスピノーザ兄弟は日曜日にわたしを見かけたことや、集会に来なかった理由を   尋ねたりせず、日曜日に神権会のクラスを教えてほしいと頼んだ。   よりによって安息日についてのレッスンをしなければならなかった。   レッスンを教えるのは初めてだったが、エスピノーザ兄弟がそばにいてくれた。   そしてその日、わたしの心の中に大きな変化が生じた。   そのときから、わたしは安息日を聖く保つようになり、安息日は喜びの日となった。 A)心の中の変化は、次のようなときに始まる。   1.信仰を増し加える知識を得るために聖文研究をするとき。     キリストに対する信仰は変わりたいという望みをもたらす。   2.その望みを祈りと断食によって育むとき。   3.学び得た言葉のとおりに行動し、心を主に委ねるという聖約を交わすとき。 B)どのように心の中の変化を知ることができるか。   1.すべてのことにおいて神を喜ばせたいたいと思うとき。   2.愛、敬意、思慮をもってほかの人々と接するとき。   3.キリストの特質が自分の人格の一部になりつつあると感じるとき。   4.聖霊の導きをより絶えず感じるとき。   5.従うのが難しいと感じてきた戒めを守り、生活の中でそれを守り続けているとき。   指導者たちの勧告に注意深く耳を傾け、喜んで従うことを決意するとき、   心の中の大きな変化を経験する。 C)どのように大きな変化を維持することができるか   1.毎週聖餐を受けて、キリストの御名を受け、御子を覚え、御子が与えてくださっ     た戒めを守るという聖約を新たにするとき。   2.生活を神殿に向けるとき。わたしたちが定期的に神殿に参入し、儀式に参加する     ことは、心の変化を維持する助けとなる。   3.ミニスタリング活動と伝道活動により隣人を愛し、隣人に奉仕するとき。 内なる変化は強固なものになり、多くの善い行いとしてあふれ出るまでに広がっていく。 わたしたちに自由、信頼、平安をもたらす。 心の中の変化には信仰、悔い改め、絶え間ない霊的な働きが必要となる。 変化は意志を主の御心に沿わせたいという望みから始まり、主と聖約を交わし、守って いくときに実現する。 皆がキリストに従うことを選び、主の教えを心に留めることを選ぶなら、 世界中や個人の生活の中での悲惨な争いが解決される。
【補足情報】 犠牲を捧げる儀式   ・キリストの贖い前     ・アダムとエバの時代からキリストの時代まで、羊や牛などの動物を犠牲に捧げ      る儀式が福音の儀式であった。     ・これはキリストの贖いの犠牲を表している。       ・羊の中の初子を捧げる。−> キリストは天父の長子である。       ・傷のない羊を捧げる。 −> キリストは完全で罪がなかった。       ・血を流す。      −> キリストは贖いの血を流された。   ・キリストの贖い後     ・キリストの贖いの後は、聖餐式が福音の儀式となった。     ・聖餐のパンと水はキリスト贖いの犠牲を表している。       ・パン −> 傷ついたキリストの体       ・水  −> 贖いで流されたキリストの血       ・聖餐で配られるパンは手で引き裂くので、形が汚いから、        事前にナイフで綺麗に切っておいたらいいのにと言う人がいた。        しかし、キリストが鞭うたれ、十字架に手足を釘で刺されたことなどの        キリストが体に受けた傷を象徴している。        聖餐式中にパンが引き裂かれているのを見るとき、それを思い起こすとよい。       ・キリストはゲツセマネの園で全人類の罪の代価を払われた。        この苦しみはあまりにも激しかったので、全身の毛穴から血がにじみ出た。        水はこのときの血を象徴している。     ・聖餐式では動物でなく、「打ち砕かれた心と悔いる霊」を捧げる。      (3ニーファイ9:19-20)   ・その他に「打ち砕かれた心と悔いる霊」が登場する箇所     2ニーファイ2:7; 3ニーファイ12:19; モルモン2:14; イテル4:15;     モロナイ6:2; 教義と聖約20:37; 59:8; イザヤ57:15 打ち砕かれた心と悔いる霊 (broken heart and contrite spirit)   打ち砕かれた心を持つとは、謙遜であり、罪を悔い、柔和であること、   すなわち神の御心をよく感じ取ることのできる状態をいう。 打ち砕かれた心   高慢な心、自分勝手な心、欲深い心が打ち砕かれた状態。私心のない心。   自分が神にしてほしいことを願い求めるのでなく、   神が自分にしてほしいことを尋ね求める気持ち。 悔いる霊(精神)   神が自分にしてほしいことを知った後は、   それに従えるよう自分を改善していく意志。   (「悔いる霊」と言うと、幽霊が後悔している姿を想像してしまう。   spiritは「精神」と訳したほうがよいかも) 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ (マルコ12:30)   心をつくし :感情的   精神をつくし:意志的   思いをつくし:知的   力をつくし :身体的 ガバレット長老の経験を、ガバレット長老の提案に当てはめてみる。   単に家族について教会に行くだけだった状態から、安息日について理解したこ   とによって、それに従いたいと思うようになった。(Aの1に当てはまる) 心が変わった経験   ・自分の場合は、Aの1の例。聖書やモルモン書を読んだことがきっかけ。    人類に起こる数々の問題は、人類だけの知恵では解決できない。人知を超えた存在    の知恵に頼るしかないと思うようになった。ローマ教皇に来日をきっかけに、聖書    を読み始めた。日本の古事記やギリシャ神話は、過去の口伝えの伝承を後世の人が    まとめたものだが、聖書は神に直接かかわった人が書いた記録から作られたことが    分かり、そのすごさを実感した。聖書のような記録が他にもあると聞いたので、方    々を探し回り、古本屋で見つけた。その直後に宣教師に会ったので、彼らから新品    を買った。モルモン書も聖書と同じように神に直接かかわった人が書いた記録だと    分かった。それで神に従いたいと思うようになった。 神が自分に何を望んでいるのか分かった経験。   ・エジプトに奴隷として売られたヨセフは、自分の望みとしては、奴隷の身から解放    され、父親の元に帰れるよう神に願ったに違いない。しかし、それと同時に、現在    の境遇について、神は自分に何を望んでいるか、神に尋ねていた思われる。その結    果、彼はエジプトの王に取り上げられ、エジプトとその周辺国を飢饉から救い、自    分の家族を救うことなった。それが自分に与えられた使命だと知ったことだろう。   ・この末日に改宗した私の使命の一つは、先祖に救いと昇栄に必要な儀式を施すこと    だと分かった。私以外には私の先祖の儀式ができる人はいない。    私の両親は私が教会に入るのに反対していたが、先祖の系図づくりには協力してく    れた。戸籍からはこれ以上調べられない状態になったとき、母は親戚に電話して、    先祖の記録を持っていないか聞いてくれたり、父は私が調べた系図をワープロで清    書して、親戚に配ってくれていた。   ・神が私たち一人一人に個別に立ててくださっているプランがある。それを知ること    が大事。聖霊の賜物や祝福師の祝福を通じてそれを知ることができる。 病者の祈り   (ニューヨークのリハビリテーションセンターの壁に掲げられているある患者の詩)   大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、   慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。   より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、   より良き事ができるようにと病弱を与えられた。   幸せになろうとして富を求めたのに、   賢明であるようにと貧困を授かった。   世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、   神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。   人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、   あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。   求めたものは一つとして与えられなかったが、   願いはすべて聞き届けられた。   神の意にそわぬものであるにもかかわらず、   心の中を言い表せない祈りはすべてかなえられた。   私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。 反省点   ・自分の楽しみを優先して、神から求められている使命をないがしろにしている。    仕事に疲れて帰ってくると、家での時間は自分の楽しみを優先して、    自分のすべきことを後回しにしている。    子育てを放棄して、自分の楽しみを優先している親をみると腹立たしくなるが、    程度の差はあるが、自分もその仲間だと思う。

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