キリストへの堅固で揺るぎない信仰

神権会のレッスン

2018年10月の総大会
「キリストへの堅固で揺るぎない信仰」(クリストファーソン長老)より


【お話のまとめ】 今回のテーマは「信仰」です。 「堅固で揺るぎのない信仰」を持つには、どうすればよいかを考えます。 ・信仰とは   まず、基本的なことから、「信仰」とは何かについて見ていきます。   聖句ガイドの「信仰」の項目を見ましょう。     ・あるものに信頼を寄せること。     ・イエス・キリストに対する確信と信頼     ・信仰を持つとイエス・キリストに従うようになる     ・まだ見ていない真実のことを待ち望む   アメリカを見たことはないけれど、   アメリカに居た、行ったことがあるという人々の言うことを信じて、   アメリカに行こうとしなければ、アメリカに行くことはできません。   神様は見たことはないけれど、   神様を信じて従った人が得た証を信じて、   神様に従うことをしなければ、聖霊から証を得ることはできません。   神様からの導きと助けを受け、神様の愛を感じて、   神様がいらっしゃることが分かります。 ・神様を選ぶ決心をする   1)エリアとバアルの祭司の対決     ・旧約聖書で預言者エリヤの時代、イスラエル民はバアルという偶像礼拝をしていました。     ・預言者エリヤは主(エホバ)と偶像バアルを対決させて、      イスラエルの民にどちらかを選択させようとしました。     ・イスラエルの民とバアルの祭司たちをカルメル山に集め、次のように言いました。       あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。       主が神ならばそれに従いなさい。       しかしバアルが神ならば、それに従いなさい。     ・エリヤは牛の犠牲を祭壇のたきぎの上に載せて、それぞれの神に呼び求めて、      火をつけることが出来た方を、本当の神としようと提案しました。     ・バアルの祭司たちは、何時間も叫び求めたが火をつけることができませんでした。     ・その後、エリヤは祭壇にさらに水を3度も掛け、絶対火が付かないようにしたあと、      主に祈り求めると、火が起こって、犠牲を焼き尽くしました。     ・民は「主が神である」といってひれ伏しました。   2)現代にエリヤが居たら、次の選択を迫るでしょう。     ・天の父なる神は存在するか       そうなら、神を礼拝しなさい。     ・イエス・キリストは神の御子、復活した人類の贖い主か       そうなら、主に従いなさい。     ・モルモン書は神の言葉であるか       そうなら、研究し、守り、神に近づきなさい。     ・ジョセフ・スミスは御父と御子と会ったか       そうなら、預言者の外套に従いなさい。 ・証を得るには   1)個人の啓示を通して、次のことについて、自分自身の証を得ることができます。      ・モルモン書が神の御言葉である      ・ジョセフ・スミスが預言者である      ・この教会が主の教会である   2)どのように証を得られるでしょうか      ・ただ、疑わないで、信仰をもって願い求める ・2種類の人   1)社会的な動機 <−−−> キリストのような献身      ・社会的な動機により福音の儀式に参加する      ・キリストと同じように神の御心に沿おうと献身する     ほとんどの人は、現在二つの状態の間のどこかに位置しています     自分がどの位置にいるでしょうか     イエス・キリストの福音のよい知らせが心に入り精神を占有するようにすべきです。   2)イエス・キリストの福音をまだ生活に完全に受け入れていない人      ・バプテスマによって、キリストと共に葬られたにもかかわらず、       キリストが死人の中からよみがえらされたように、       わたしたちもまた、新しいいのちに生きる       という部分がまだ欠けている。      ・福音によって特徴づけられていない。      ・キリストを中心としていない。      ・従うべき教義や戒めをえり好みする。      ・いつ、どこで教会の奉仕をするかを選ぶ。     聖約による選民      ・厳密に聖約を守ることによって欺きを避ける。      ・キリストを信じる信仰を固く保つ。 ・苦難のとき    ・神なし      落胆、失望、苦しみ    ・神の助け      キリストを信じる信仰を固く保つ → 主の恵みと支えに力づけられる      苦痛  →  慰め      混乱  →  平安      悲しみ →  希望      試練  →  祝福 ・苦難を克服した例   1)慢性的な病気      祈りの力への信仰、神に愛されている      教会で奉仕、若い家族の世話、まわりの人を幸せにしている   2)兄弟たちが教会や預言者を批判、教会を離れるよう説得される。      元教会員の批評家が作成した論文や動画を見せてきた。      兄弟たちの主張に答えられず、信仰が揺らぎ始めまた。      聖霊を感じそれが真実だという証を御霊から受けてきたことを思い出した。      自分に正直であるならば、御霊が何度もわたしを訪れ、確かに証をしてくださった。   3)子供をもうけることに、苦難、悲しみ、相当な金額を費やして、息子に恵まれた。      1年後に、赤ん坊は事故の犠牲者となり、脳に深刻な損傷を負って半昏睡状態となった。      夫婦は、ほかの責任を果たしながら、赤ん坊を必死で世話をしている。      困難なさなかに、夫婦は主に目を向けている。      思いやりの深い友人や家族に助けられ、神権の祝福に強められている。      互いの結びつきが強くなり、完全に一致している。   ・例から学べることの中で、苦難にあって確固として揺るぎなくあろうと    思わせてくれるのはどのようなことでしょうか。     慢性的な病気  → 祈りの力への信仰、奉仕     兄弟たちの背教 → 証を御霊から受けてきた     子供の病気   → 主に目を向けている、               友人や家族の助け、神権の祝福
【補足情報】 ・バアル   カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。   その名はセム語で「主」、または「主人」「地主」を意味する。   神がイスラエルの民に偶像崇拝をやめさせるために、雨を降らさなかったのは、   このバアルが無力であることを示すためであった。 ・偶像崇拝の罪深さ   偶像崇拝ついて、神との関係を親子に置き換えて、   次のように例えることができる。   家の中で、子供が人形を自分の親のように扱って、   実際の親に対しては無視をしている。   親は、子供と接して、導きや、助けを与えたいと望んでいるが、   子供の方は、それを拒絶している。 ・預言者の外套に従う   外套(mantle)は預言者の権能を象徴する。   エリヤがエリシャに外套を渡したことから。(列王下2) ・「社会的な動機により福音の儀式に参加する」人とは。   ・人との関係で、教会に通う。   ・家族が教会に行くから行く。(2世教会員など)   ・教会での楽しい集会目当て。   ・惰性で教会に通っている場合もある。   ・親元を離れると、教会に行かなくなる2世教会員。   ・宣教師が転勤すると、教会に来なくなる新会員。   ・ある教会員との関係が悪化すると教会に来なくなる。 ・「キリストと同じように神の御心に沿おうと献身する」人とは。   ・神様との直接の関係が出来ている。   ・社会的な要因で起こる障害では、信仰が揺らぐことはない。 ・神様と個人的な関係を築くこと   神様をまず信じてやってみる。   その中で、神様からの影響を感じることができる。   神様との個人的な信頼関係を構築することができる。 ・火事でベランダから飛び降りて受け止めてもらう話   子供は親を絶対的に信頼して、必ず受け止めてもらえると信じて飛び降りる。   疑いが生じると、飛び降りれなくなってしまい、火事に焼かれて死んでしまう。 ・苦難を受けた時の選択パターン   苦難を受けている     苦難が解決するよう祈る       解決する → 神様に感謝する       解決しない         神様に不満を持つ → 神様から離れる         神様は解決方法を模索する過程で学びや成長を望んでいると思う           解決方法を模索する             解決する → 神様に感謝する、自身が成長する。             解決しない               神様に不満を持つ → 神様から離れる               今は時期ではないと忍耐する                   → 聖霊により癒しと慰めを受ける                 自分のことを置いて、他者に奉仕する                   → 喜びを感じる                     互いの結びつきが強くなる ・聖霊は家庭教師   問題は自分自身で解く必要があるが、正解にたどり着けるよう、   ヒントを与えてくれる。マンツーマンで教えてくれる。 ・改心、悔い改め   改心や悔い改めとは、罪をやめることだけではない。   常に自身を改善していくことである。永遠の進歩の過程である。 ・信仰について   ・聖句ガイドより     ・あるものに信頼を寄せること。     ・信仰とはイエス・キリストに対する確信と信頼である。     ・確信と信頼があれば、人はイエス・キリストに従うようになる。     ・人を救いに導く信仰は、イエス・キリストを中心としたものである。     ・信仰とは、「神から示された事柄を決して誤りのないものと信じること」     ・奇跡が信仰を生み出すのではなく、      イエス・キリストの福音に従うことによって強い信仰がはぐくまれる。      言い換えれば、信仰は義から生じる。     ・真の信仰は奇跡や示現、夢、癒し、      および神が聖徒にお授けになるあらゆる賜物をもたらす。     ・奇跡によって信仰が生じるのではなく、信仰によって奇跡が起る。   ・真理を守るより     ・信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認すること。      まだ見ていない真実のことを待ち望む。      価値ある目標に向かって努力するときには信仰を行使する。     ・主イエス・キリストに対する信仰       ・救いへと導く信仰は,主イエス・キリストを中心に置く。        キリストに対する信仰を行使する。         ・主が実在の御方だということに対する確信         ・主の属性に関する正しい理解         ・自分は主の御心に添った生活を送ろうと努力       ・イエス・キリストを完全に頼る。        その無限の力,英知,愛に信頼を置く。       ・イエス・キリストの教えを信じる。       ・すべてのことが理解できなくても,イエス・キリストは理解されていると信じる。       ・イエス・キリストは人の痛み,悲しみ,弱さをすべて経験していて,        人が日々の困難な状況から立ち上がるのを,どのように助ければよいのかも御存じ     ・信仰によって生きる       ・信仰を行動,生き方を通して表す。       ・主の心にかなうことを何事でも行う力を持つ。       ・主の完全な模範に従いたいと思うようになる。       ・善い行いをし、戒めを守り,自分の犯した罪を悔い改める。       ・誘惑に打ち勝つことができる。       ・主は信仰に応じて,人の人生に大きな奇跡を起こす。       ・主の贖いを通して霊的,肉体的な癒しを受ける。       ・力を与えられ,その結果,前進し,苦難に勇気をもって立ち向かうことができる。       ・未来が不確かなときですら,救い主への信仰によって平安を得ることができる。     ・信仰を強める       ・強い信仰を持ち続けるためには信仰を養い育てる。       ・天の御父に祈る         ・御父に感謝の気持ちを述べ,自分とほかの人々が必要としている祝福を願い求める。         ・憐れみを願い求め、救い主に近づく。         ・聖霊の静かな導きを感じることができる。       ・戒めを守る         ・義にかなった行い。         ・主と交わした聖約を守る。       ・聖文と末日の預言者の言葉を研究する         ・御言葉を良いものだと感じる。         ・心を広げ,理解力に光を注ぎ始める。   ・人は信仰によって罪の赦しを得、最後には神の前で生活できるようになる。   ・信仰の欠如は、人を罪悪の結果である絶望に至らせる。   ・信仰によって人は善いものをことごとく手にする。   ・「信仰」とは、目に見えないことを、目に見えているように、信頼すること。    目に見えない力を感じ、感謝できる人は、目に見えない力に、助けてもらえる。   ・目に見えるものに価値を見出すのではなく、目に見えないものに価値を見出す。    人は目に見えることのみに心をとらわれ、人生の成功を物質中心に考える。    良い学校を出て、大きな会社に就職し、理想の人と結婚し、立派な家に住み、    衆望を集め、豊かな財産に恵まれ、誉れ高き勲章を得ることが、価値ある人生。    大切なのは『どれだけの経験と感動をなしえたか』    物質はいつか失われる。しかし、人それぞれの心に刻まれた経験と感動は、    どのようなことがあっても決して失われることなく、何人にも奪われない。   ・信仰とは、まだ見ていないことを確認すること。    この世では神様を見ることができないが、信仰により、その存在を信じる。    目に見えないものを信じることが、信仰である。   ・信仰には行いが伴う。 その行いの結果によって、    それが確かなものであることを確認することができる。   ・建物を建てようとするときも、建てる前はその建物を見ることができないが、    建てるという行いを通して、建物を建て、    その結果、建物という確かな結果を見ることができる。    信仰は、私たちの行いの原動力になる。   ・私たちはこの世に生まれてくるとき、    それまでに神様と一緒に住んでいた記憶を消される。    それは私たちが信仰によって歩むため。    テストの問題ではじめから答えがわかっていると、問題を解く努力をしない。    結果がわからないから、それを求める努力をし、私たちは成長する。    信仰によって歩まなければならないのは、私たちが成長するため。   ・なぜ神様は私たちが信仰を使うようにされたのか。    たとえば、登山で、登山列車で山頂に登るのと、歩いて山頂に登るのとを比べると、    山頂で見る景色は両者とも同じだが、感じ方が違っている。    感動があるかないかの違いがある。また、道中での経験があるかないかが違っている。    この例と同じように、最初から神様が現れて、神様の存在を知るのと、    神様が存在するかわからないけど、信仰を持って、神様に従うという意志を持ち、    努力を続け、行動をする過程で、神様の導きと愛を感じ、    神様の存在を知るのとの違いになる。    神様の存在を知るという点では、両者は同じだが、神様との信頼関係、    経験、感動というものがあるかないかが違っている。    信仰を用いないと、このようなものは得られない。 ・「教会のいろいろなことに疑念があるので、それが晴れるまで、   研究を続けている途中です。」といってなかなか従わない人がいた。   疑念の例として    ・モルモン書の記載内容が、史実と違っている。    ・なぜ一夫多妻が行われたのか。    ・なぜ、黒人に神権が与えられなかったのか。    ・なぜ、女性に神権が与えられないのか。   これでは、いつまでたっても、改心を始められない。   神の高みに上る道に歩み始められない。   わからないことがあっても、歩み始めることが大切。   その中で分かってくることがある。 ・教会歴史書「聖徒たち」の話   ・迫害が激しく、苦難の中、多くの人が教会を離れた。   ・オハイオ、ミズーリ、イリノイと点々としていた。    預言者が安全な地に導くことができないと疑いを持ち、    ジョセフ・スミスは神様からの導きを受けていないと思ってしまう。 ・キリストから離れていった人々   ・癒しを行っていたときは、多くの人がキリストについていったが、    キリストが捕まったあとでは、多くの人が去っていった。    物質的なものを求める人は苦難が訪れると信仰を失う。   ・神様の計画では失敗や挫折は織り込み済み。    そこから、学んで、成長して、得られるものがある。    物質的なものではない、永遠にかかわるものを得られる。 ・奇跡を経験しても、信仰が育たない例   ・紅海が割れる経験をしても、金の子牛の偶像を作る。   ・身近で奇跡を経験しても、キリストを裏切ったユダ ・神様との関係   ・自分の外側に神様を見るのではなく(外的な奇跡)、    自分の内側に神様を見る(神様との信頼関係)ことが大事。   ・神との関係を親子に置き換えて例えるなら、    親が目の前にいても、親に従わないことが外側に見ること。    親と離れて暮らしていても、親の心を理解して、親に従うことが、    内側に見ること。   ・見て知っていること、経験して知っていること    前世では、神様を身近に見ていた。知識として知っている状態。    自分が子供のときに親を見て知っているのと同じ。    この世では、経験を通して神様を知る。だから、神様の外見をあえて見せない。    大人になって人の親になって、親を知るのと同じ。   ・神様を信じて、現世的、物質的な利益を得たことを喜びとはしない。    たとえ、物質的な利益を得たとしても、その過程の経験を通じて、    神様との関係が強まったことを喜びとする。

ホーム