なぜ教会に来ることになったのか

聖餐会の話

2019年4月28日


自分と家族の状況   最初のころは、浦添の教会に行っていたのですが、   やがて行かなくなって、ずっと教会をお休みしていました。   再び教会に行くようになったのは、去年の10月からです。   妻と娘の状況を説明しますと、娘がまだ幼いときから、   妻は教会をお休みしていて、今も教会に行っていません。   そんな状態なので、娘はまだバプテスマを受けていません。   今回は、私が、なぜ教会に来なくなったか、   そして、なぜ教会に来ることになったのか   という、お話をしたいと思います。 なぜ教会に来なくなったか   まず、なぜ教会に来なくなったかというと、   簡単に言うと、自分の弱さと未熟さが原因で、   教会に行くのがつらくなったからです。   神様や教会が嫌いになったわけでなく、   教会員との人間関係が悪くなったわけでもありません。   だから教会から離れていても、神様のことは好きでした。   聖典や教会の機関誌も読んでいましたし、お祈りもしていました。   まだ、東京の教会に行っていたころ、妻が教会に行かなくなりました。   原因は育児疲れだと思います。まだ娘が幼く手がかかるときでした。   当時、私は、教会の書記の責任をしていたので、   日曜日でも、教会から帰って来るのが、夜遅くなり、   妻がそのことに不満をもらすようになりました。   妻が言うには、教会のために家族があるのでなく、   家族のために教会があるべきだということでした。   そう言われても、私は教会の責任をやめさせて下さいと言えず、   そのまま教会の活動にたずさわり続けました。   そして、妻は教会に行かなくなり、それに合わせて、   娘も教会に連れて行けなくなったので、   娘のバプテスマを受けさせられない状態になりました。   単身赴任で沖縄に転勤になったのは、会社の経営不振で立て直しが必要に   なったからでした。   なので、土曜日も日曜日も働かなければならない状態が続きました。   日曜日は仕事を抜けて、教会に通っていましたが、心身ともに疲れていたので、   教会に行くのがつらくなってきました。   家族が教会から離れていることによる空しさと、自分の疲れが原因で、   教会に行っても、幸せが感じられなくなって、教会から離れていきました。 なぜ教会に来ることになったのか   そんな私が、なぜ再び教会に来るようになったかというと、   教会に行かない間でも、神様からの多くの助けがあり、   神様の愛を感じることができたからです。   特に去年は、たて続けに困難な状況が押し寄せてきました。   困難なことが起きると、なぜか、タイミングよく、適切な助けがあり、   困難を乗り越えることができました。   神様が助けてくれているとしか思えなくなり、神様の愛を感じました。   具体的にどんな困難と助けがあったかというと    ・まず、1つ目は、家族と私に病気や怪我が続きました。      ・母は3月に心臓の手術、4月に肺がんの手術を受けました。      ・弟は下血をし、6月と11月に、2回、入院しました。      ・妻は4月に肋骨を骨折し、12月に足を骨折しました。      ・私は2月に右目が硝子体剥離をおこしました。       10月に大腸の腫瘍が見つかりました。       11月にぎっくり腰になって、1か月間も痛みに苦しみました。     しかし、どれも、早期に見つかって、簡単な手術ですんだり、     適切な治療が功を奏して、今では、順調に回復しています。    ・2つ目は、家の貯金が底を着きました。     しかし、その後すぐ、会社からボーナスが出て助かりました。     ボーナスが出るのは5年ぶりのことだったです。    ・3つ目は、会社の事務所の鍵が壊れて、事務所に入れなくなりました。     壊れた鍵を交換するにも、事務所の中からしか交換できません。     ビルの管理会社に連絡しようとしても、連絡先は事務所の中にあるので、     連絡先がわかりません。助けを求めて神様に祈ったところ、     奇跡的に鍵があいて、事務所に入ることができました。     そして、管理会社に連絡して、壊れた鍵を交換してもらえました。   このように、続けて起こる困難と助けを経験すると、   神様が積極的に私に働きかけていることがわかり、   神様が私に教会に戻るように望んでおられると感じました。   ネルソン長老が大管長に就任してから、   教会では、いろんな変更や新たな発表が行われていますが、   それを見ていると、神様が、その御業を急がれているように感じました。   去年の4月の総大会で、ネルソン大管長が、これからの困難な時代では、   教会員が皆、啓示を受けられるようにならないといけないという   お話をされたのを聞いて、私も自分と家族のため、   そのようにならないといけないと思うようになりました。   それで去年の9月に勇気を出して、この教会堂に来ることにしました。   私の場合は、誰か教会員が教会に来るように誘ってくれた   ということではなかったです。自分から教会に来ました。   というか、聖霊が導いてくださったのだと思います。   教会に来るようになってからは、このワードの教会員の皆様が、   いろいろと助けてくださいました。感謝しています。 まとめ   教会に来るようになりましたが、まだ、悔い改めの最中で、   相変わらず弱さと未熟さを持ったままです。   しかし、考え方は変わりました。どう変わったかと言いますと、   以前は、教会に行き、神様の戒めを守るから、   神様から愛され、幸せになれると、思っていました。   しかし、今は、神様から愛されていると感じるから、幸せであり、   教会に行って、神様の戒めを守りたいと思うようになりました。   私が教会から離れていた間も、神様はいつも愛を注いでくださり、   手を差し伸べていてくださいました。   しかし、私は、それに気づいていませんでした。   神様は、私に、いろいろな困難を与えることによって、   それに気づかせてくださったのです。   以前は、大きな石を動かそうとして、動かないことに辛さを感じていたのですが、   今は、私は大きな石を押すだけで、神様が動かしてくださると分かったので、   幸せを感じることができます。   私が一番つらかったとき、自分は孤独に人生を歩いていたと思っていたのですが、   実は、神様は歩けなくなった私を背負って歩いてくださっていたのに気づきました。   この時期に、神様から、多くの働きかけをいただいたのは、   今、私にしかできない特別なことがあるのかなと思いますが、   それは何なのか、今は、わかっていません。   まずは、私が教会をお休みしていた間に亡くなっていた、   私の父と、妻の両親については、神殿に記録を提出して、   他の教会員の方の協力で身代わりの儀式が終わりました。   あと考えられることは、妻と娘が神様に心を向けるように   なることかなと思っています。   他にすべきことは、今後、分かっていくことと思います。 証   最後に証をして終わりたいと思います。   イエス様は復活して、今も、生きていらっしゃいます。   そして、ご自身の教会を回復して、今も、この教会を導いていらっしゃいます。 これらの話と証をイエス・キリストのお名前によって行いました。アーメン。
【時間があるときに追加する分】 ・総大会の感想   4月8日月曜日は、なぜか朝早く目覚めました。   総大会の最終セッションは日本時間の月曜日の朝5時から7時に   行われているので、総大会を生中継で見ました。   ネルソン大管長から、沖縄神殿の発表を聞いたとき、驚きました。   そして、涙がでました。つい最近、札幌神殿をいただいたばかりなので、   次の日本の神殿は、もっと先のことになるだろうと思っていたので、   不思議に思いました。   平和の礎(いしじ)の約24万人の慰霊碑を見ると、   この人たちのためにも、沖縄に神殿が必要なのだと感じます。   (東京大空襲で亡くなった約10万人の方のために、東京神殿があります。   広島の原爆で亡くなった約31万人、長崎の原爆で亡くなった約15万人   の方のために、福岡神殿があります。)   また、沖縄の人たちは、先祖を大切にされていますので、   多くの先祖が自分の子孫と結ばれたいと望まれていることでしょう。   そのためにも、沖縄に神殿が必要なのだと感じます。   また、まだ教会が公認されていない中国に住んでいる信者の方の   ためにも、近くにある沖縄に神殿が必要なのだと感じます。 ・改宗談   私が16歳のとき、1981年にローマ法王が初めて日本に来ました。   日本中がキリスト教に関心を持っていました。   その中で私もキリスト教に関心を持ち、聖書を買って読んでいて、   いつか教会にも行ってみたいと思っていました。   あるとき、聖書の他にも聖書のような本があるという噂を聞き、   本屋を探しまわりました。しかし、見つかりませんでした。   ある古本屋でそれらしきものを見つけました。その本のタイトルに   モルモン経(経は、お経の経)と書いてあったので、   最初は仏教系の本だと思ったのですが、   開いてみてみると、キリストのことが書いてあったので、   私が探していた本だと思いました。   そのときはお金がなかったため、買えなかったので、   お金ができたら、買いに行くことにしました。   その2日後、交差点で信号待ちをしていると、   二人組のアメリカ人の男性に声を掛けられました。   彼らは、モルモン教会の宣教師だと名乗り、   話をしてもいいかと尋ねてきました。   モルモン経と関係している教会だと思ったので、話を聞く事にしました。   それから教会に通うようになりましたが、   バプテスマを受けて教会員になるには、20歳未満は両親の許可が必要でした。   両親が反対していたので、バプテスマを受けることが出来ず、   20歳になってからバプテスマを受けました。   そのとき、助けてくれた宣教師は、沖縄から来られていた方で、   安里吉隆兄弟でした。彼とは、私が沖縄に来た時、再会しました。

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