マルコによる福音書(マルコの証)



第1章

08 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、水だけではなく、火と聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。

12 それからすぐに、御霊がイエスを荒野に連れて行った。
13 イエスは四十日のあいだ荒野にいた。サタンはイエスを誘惑することを求めた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。

第2章

xx それゆえ、安息日は休息の日として人に与えられた。また、人が神をたたえる日でもある。しかし、食べてはならない日ではない。
28 人の子が安息日を定めたのだから、人の子は、安息日にもまた主なのである 」。

第3章

xx そのとき、人々が来て、イエスを責めて言った。「なぜあなたがたは罪人たちを受け入れるのか。あなたは、あなた自身を神の子としているのではないか。」
28 しかし、イエスは答えて言われた。「よく言い聞かせておくが、人が犯すすべての罪は、悔い改めるなら、ゆるされる。わたしは人の子らに、悔い改めを説くために、来たのである。わたしに来て、わたしが行なうのを見たそのとおりのことを行なうなら、神をけがす言葉も、ゆるされる。
29 しかし、赦されない罪が一つある。聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、世の外に切り捨てられ、永遠の罪に定められる 」。

第4章

10 イエスが十二弟子と共にひとりになられた時、イエスを信じる者で、そばにいた者たちが、これらの譬について尋ねた。

24 また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、受け入れ続けるなら、その上になお増し加えられるであろう。
25 だれでも、受け入れる人は更に与えられ、受け入れるのを拒み続ける人は、持っているものまでも取り上げられるであろう 」。

33 イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力でなく受け入れる力にしたがって、御言を語られた。

第6章

20 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人で、神を恐れ、神への礼拝を遵守する人であることを知っていたからである。またその教えを聞く時には、彼のために多くのことを行い、喜んで聞いていたからである。

35 ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、出発の時になりました。

第7章

xx 神の戒めは、あなたがたが拒んだ預言者たちによって、まったくあなたがたのために書かれている。
xx 彼らはこれらの真実なことを証した。彼らの血があなたがたに及ぶであろう。
10 あなたがたは神の命令を守っていない。モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず罪人として死に定められる』と。あなたがたの律法にはこのように書いてあるのに、あなたがたはこの律法を守っていない。

15 すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない。つまり食べ物がけがすのではない。かえって、人の中から出てくるもの、つまり心から出てくるものが、人をけがすのである。

24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロとシドンの地方に行かれた。そして、だれも来ないように、家の中にはいられたが、拒むことができなかった。イエスはすべての人に憐れみを持っておられたからである。

27 イエスは女に言われた、「まず神の王国の子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない 」。

第8章

35 自分の命を救おうと思う者はそれを失うであろう。または、自分の命を救おうと思う者は、わたしのために命を捨てようとするだろう。もし彼がわたしのために命を捨てようとしないなら、彼は命を失うであろう。わたしのため、また福音のために、自分の命を失おうとする者は、それを救うであろう。

37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。それゆえ、自分自身を捨てて、わたしを恥じないようにしなさい。

38節の次に追加
xx そして彼らは人の子が来るときに復活にあずかることはない。
xx まことにあなたがたに言う。人の子は来るであろう。わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、人の子と共に来るであろう。そして、雲の中で神の栄光をまとい、人の子の右手にいるであろう。」

第9章

02 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて行かれた。彼らはイエスが言われたことに関して多くの質問をした。そして、イエスは彼らと高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、

(バプテスマのヨハネが変貌の山にいた。)

04 また、エライアスがモーセとともに、言い換えれば、バプテスマのヨハネとモーセが彼らに現れ、彼らはイエスと語り合っていた。

12 イエスは言われた、「確かに、エライアスが先にきて、万事の備えをし、預言者たちについて教える。その預言者たちは、人の子について、彼が多くの苦しみを受け、かつ恥ずかしめられると、書いた。
13 しかしあなたがたに言っておく、エライアスはすでにきたのだ。そして彼について書いてあるように、人々は自分かってに彼をあしらった 。そして彼はわたしについて証をしたが、人々は彼を受け入れなかった。まことに彼こそがエライアスなのである」。

37 「だれでも、このような幼な子のひとりのように謙遜になって、わたしを受けいれる者は、わたし名によって受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるだけではなく、わたしをおつかわしになったかたをも受けいれるのである 」。

(人を誤った道に導く交際を絶つことが、罪を犯させる手や足を切り捨てることにたとえられる。)

43 だから、もしあなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。すなわち、あなたの兄弟があなたに罪を犯させ、その罪を告白することも捨てることもしないならば、彼を切り捨てなければならない。両手がそろったままで地獄に行くよりは、片手になって命に入るほうがよい。
44 あなたとあなたの兄弟が地獄に、すなわち決して消えることのない火に投げ入れられるよりは、兄弟抜きで命に入るほうがよい。地獄では、うじが尽きず、火も消えることがない。
45 また、もしあなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。その傍らを歩むあなたの旗である者が戒めに背く者となるなら、彼を切り捨てなければならないからである。
45 両足がそろったままで地獄に、すなわち決して消えることのない火に投げ入れられるよりは、片足で命に入るほうがよい。
xx だから、すべての人に、他人のためにではなく自分で立つか倒れるかさせなさい。人に頼ってはならない。
xx 父に求めなさい。与えられると信じて、信仰をもって求めるならば、あなたがたが求めるものはまさにその時に与えられるであろう。
47 もしあなたの代わりに見る片方の目、すなわち、あなたを見守ってあなたに光を見せるように任じられている者が罪人となって、あなたに罪を犯させるなら、彼を抜き出しなさい。
47 両目がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって神の王国に入る方がよい。
48 あなたの兄弟とともに地獄に投げ入れられるよりは、あなた自身が救われる方がよいからである。地獄では、うじが尽きず、火も消えることがない。

第10章

27 イエスは彼らを見つめて言われた、「富に信頼を置く人にはできないが、神に信頼を置き、わたしのためにすべてを捨てる人にはできる。そのような人はなんでもできるからである」。

31 しかし、自分を先にしようとする多くの者はあとになり、あとにしようとする者は先になるであろう 」。イエスはこう言って、ペテロをしかった。

第11章

11 こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわり、弟子たちを祝福した後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。

第12章

24 イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないし、理解していないからではないか。

(神は死者を墓からよみがえらせるので、死んだ者の神ではない。)

27 それであるから、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。神は死者を墓からよみがえらせるからである。あなたがたは非常な思い違いをしている。」

第14章

08 この女はできる限りの事をしたのだ。わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたので、
09 この女のした事は福音が宣べ伝えられる所では、次の世代にまでも記憶されるであろう。
10ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。それは、イエスの言葉に腹を立て、イエスに背いたからである。

(イエス、聖餐を定められる。)

22 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、それを祝福して裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。
xx 見よ、これが、わたしの体の記念としてあなたがたに行ってもらいたいことである。これを行う度に、あなたがたは、わたしがあなたがたとともにいたこの時を思い起こすであろう。」
23 また、イエスが杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。
24 イエスはまた言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血と、わたしがあなたがたに与える新しい聖約を記念するものである。わたしについて、あなたがたは全世界に証しなければならない。
xx そして、この儀式を行う度に、あなたがたは、わたしが自分の務めの最後の時にあなたがたとともにおり、あなたがたとともにこの杯から飲んだ、この時を思い起こすであろう。
25 あなたがたによく言っておく。このことについて、あなたがたは証しなければならない。神の王国で新しく飲むその日まで、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない。」

(ゲッセマネにおいて、十二使徒のある者でさえ、イエスのメシヤとしての務めを十分に理解していなかった。)

32 さて一同は、園になっているゲツセマネと名付けられた場所に来た。すると、弟子たちはひどく驚き、打ち沈み、「この方はメシヤなのだろうか」と心の中でつぶやき始めた。
32 イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」
33 そして、イエスはペテロとヤコブとヨハネを一緒に連れて行き、彼らをたしなめて言われた。
34「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目を覚ましていなさい。」

38 (KJ)誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。霊は確かに用意ができているが、肉体が弱いのである 」。

51 ときに、ある弟子が裸の身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、

第16章

(救い主の墓で、二人の天使が女たちを迎える。)

04 ところが、見ると、石はすでに転がしてあった。(その石は非常に大きかった。)
05 そして、そこに真っ白な長い衣を着た二人の天使が座っているのを見て、彼女たちは非常に驚いた。
06 すると、天使たちは言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。イエスをお納めした場所を御覧なさい。
07 そして、行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねてあなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と。」

第章

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