ヘブル人への手紙



第1章

(天使は仕える霊である。)

06 さらにまた、神はその長子を世界に導き入れるに当たって、「神の天使たちはことごとく、仕える者たちを炎とする者を拝すべきである」と言われた。
07 また、天使たちについては、「天使たちは仕える霊である」と言われた。

第2章

18 (KJ)主ご自身、誘惑を受けて苦しまれたからこそ、誘惑の中にある者たちを助けることができるのである。

第4章

(神の業は世の初めから備えられていた。)

03 ところが、わたしたち信じている者は、安息に入ることができる。それは、神がこう言われたからである。「わたしが怒って誓ったように、彼らは心をかたくなにするならば、わたしの安息に入れない。また、心をかたくなにしなければわたしの安息に入れると、わたしは誓った。もっとも、神の業は世の初めから備えられていた(すなわち、出来上がっていた)。」

第5章

(ジョセフ・スミス訳の草稿には7,8節はキリストではなくメルキゼデクについて語ったものであるとの書き込みが見られる。それ以外は、欽定訳とジョセフ・スミス訳は同じである。)


第6章

(完成へと導くキリストの原則。)

01 そういうわけだから、わたしたちはキリストの教義の原則をなおざりにすることなく、完成を目指して進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔い改めと神への信仰、

03 神の許しを得て、完成を目指して進もう。
04 いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
05 また、神の良き御言葉と、来るべき世の力とを味わった者たちが、
06 そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔い改めにたち帰ることは、神はお認めにならない。
07 その日が来ると、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、そこに住んで耕す人々に役立つ作物を育てるので、神の祝福にあずかる者は、まさに、火によって清められる。
08 いばらやあざみをはえさせるものは、無用になり、やがてのろわれるので、良い実をつけないものは、火に投げ入れられる。彼らは、ついには焼かれてしまう。
09 しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、あなたがたについて更に良いことと、救いにかかわることがあるのを、確信している。
10 神は不義なかたではないから、あなたがたが御名のために示してくれた愛の働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えていることを、お忘れになることはない。

第7章

(神の御子の位に従う聖なる神権は、父もなく母もなく、生涯の初めもなく終わりもない。)

03 なぜなら、このメルキゼデクは神の御子の位に従う祭司に聖任されたからである。その位とは父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、命の終わりもないものである。そして、この神権に聖任される人々は皆、神の御子のようであって、いつまでも祭司なのである。

17 それについては、「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクの位に従う祭司である」と証されている。
18 前の戒めは弱くかつ無益であったために無効である。
19 というのは、この律法は、誓いなしで執行されて、何事をも全うし得なかったからである。しかし、唯一のさらに優れた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づけるのである。
20 この大祭司は誓いなしに召されたのではないので、イエスはさらに優れた証を保証するのである。
21 (これらの祭司たちは、誓いをしないで召されたのであるが、この人の場合は、次のような誓いをもって召されたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠にメルキゼデクの位に従う祭司である」。)

(仲保者としてのキリストの役割が説明される。)

26 このように、聖く、悪の汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天を治める者とされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしい御方である。
27 この御方は、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、犠牲をささげる大祭司のようではない。罪を知らないので、御自分の罪のために犠牲をささげる必要がないからである。しかし、民の罪のためには犠牲をささげる必要がある。この御方は一度だけ、御自分をささげてそれをされた。

第11章

(キリストのために苦しむ忠実な人々は、第一の復活にあずかる。)

35 女たちは、その死者たちをよみがえらせてもらった。ほかの者は、第一の復活にあずかるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

第章

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