福音とは

福音に該当する英語の 'the Gospel' は 'good news' (良い知らせ)という意味を持って
いる。なにが良い知らせかと言うと、

聖句ガイドによれば、
イエス・キリストの贖罪によって可能になった神の救いの計画。
福音には、人が神のみもとへ戻るのに必要な永遠の真理や律法、聖約、儀式が含まれる。
神は預言者ジョセフ・スミスを通して、19世紀に、完全な福音を地上に回復された。

つまり、「イエス・キリストによって、神の救いを受けることができるようになった。」
ことが良い知らせなのである。

第3ニーファイの27章13節から21節では、キリストご自身が福音について定義され
ている。「福音とは次のとおりである。」から「以上がわたしの福音である。」までが、
そうである。

第3ニーファイ 第27章
13 見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。
  わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。
  すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。
14 父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。
  十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。
  わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわた
  しの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。
15 このために、わたしは上げられたのである。
  それで、父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ、彼らが各々の行いに
  応じて裁かれるようにするのである。
16 さて、悔い改めて、わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと、満
  たされるであろう。
  そして、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、わたしはその者を、わたしが立って世の人
  々を裁くその日に、わたしの父の御前で罪のない者としよう。
17 また、最後まで堪え忍ばない者は、切り倒されて火の中に投げ込まれ、父の正義のゆ
  えに、そこから二度と戻ることができない。
18 これは父が人の子らに告げられた御言葉である。
  父は御自分の正義のゆえに、御自分が告げられた御言葉をことごとく成就される。
  父は偽らず、御自分の御言葉をことごとく成就される。
19 清くない者は、決して父の王国に入ることができない。
  したがって、信仰を持ち、罪をすべて悔い改め、最後まで忠実であることによって、
  わたしの血により衣を洗われた者のほかには、父の安息に入る者はいない。
20 さて、戒めは次のとおりである。地の果てに至るすべての者よ、悔い改めて、わたし
  のもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたが
  たは聖霊を受けて聖められ、終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであ
  ろう。
21 まことに、まことに、あなたがたに言う。以上がわたしの福音である。
  あなたがたは、わたしの教会で行わなければならないことを知っている。
  わたしがするのを見たその行いを、あなたがたもしなさい。
  わたしが行うのを見たそのとおりのことを、あなたがたも行いなさい。

上記を整理してみるとこうなる。
  ・天父はイエスを十字架に上げられるように遣わされた。(贖い主)
  ・天父はイエスをすべての人々の行いを裁くものとして召された。(裁き主)
  ・次の条件を満たすもの
    ・キリストへの信仰を持つ。
    ・罪をすべて悔い改める。
    ・キリストの名によってバプテスマを受ける。
    ・最後まで堪え忍ぶ。
   は、
  ・次のことを約束される。
    ・聖霊を受けて聖められる。
    ・裁きの日に罪のない者(染みのない状態)とされる。
    ・天父の王国に入る。

ここで興味深い表現がされている。
  「キリストが 人々によって 十字架に     上げられること」と、
  「人々が   天父によって キリストのもとに 上げられること」が、
対比して書かれている。
そして、この二つの関係について、後者のための理由として前者があることになっている。
前者は贖いについて、後者は裁きについて述べられている。
つまり、裁きのために贖いが行なわれたということである。
これは何を言いたいかというと、贖いが行なわれなかったら、裁きを行なうことができな
かったと言うことである。人々は神から引き離された状態にある(霊の死)ため、贖いが
無かったら、人々は、裁きの座につくとすらできなかったのである。

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