末日聖徒の証

【目次】
フロイド・ウェストン

モンソン大管長

ある若い母親

ユタの開拓者たち

ジョセフ・F・スミス大管長

菊地長老・姉妹

S兄弟と父の弟

A兄弟と息子

安息日に対するある教会員の証

パーソン兄弟

ネルソン大管長

ミズーリ−救援隊

ユタに逃れた聖徒たち

ハビーリ兄弟

トルストイ

KY姉妹

私とモルモン書

私がバプテスマを受けるまで

私の教会員宅への訪問

私の妻のつわり

私と東日本大震災

ジョセフ・スミス

金版の三人の証人

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フロイド・ウェストン

フロイド・ウェストンとその仲間の5人はアルパート・アインシュタインがカリフォルニア工科大学で講義をしていたとき、それを聞いていた。
彼らは、アインシュタイン博士の最後の言葉に一番興味を持った。
アインシュタインは、「みなさん、私がこの宇宙の科学をより深く研究して、私がより固く確信したことは、一人の神、又は力、又は影響を及ぼす力が、私たちが発見できるように全てのものを組織しているということです」と、言った。

彼とその仲間の5人は寮の部屋へ行き、ダンバーは聖書を手に取り、エペソ人への手紙を読んだ。
そこには「主は一人、信仰は一つ、パブテスマは一つ」とあった。
彼らはもしアインシュタイン博士の最後の言葉が本当であるなら、地上にある800以上ある教会のうちのただ一つが、神の本当の教会であるはずだ、という結論に達した。

ダンバーは黒板を彼らのアパートに持ち込んで、新約聖書の基準を満たす神の教会の特性を全て書き出すために、新約聖書をくまなく調べた。
それらの詳細な研究のうち、17のもっとも重要な特徴だけをカードにタイプで打って、一人一枚づつ配った。

真の教会の17の条件
1. キリストが教会を組織した。
2. 真の教会は、イエス・キリストの名前をうけていなければならない。(教会の名称にイエス・キリストの名前がついている)
3. 真の教会は、使徒と予言者の基盤を持っていなけれはならない。
4. 真の教会は、キリストの教会と同じ組織を持っていなければならない。
5. 真の教会は、神の権威を主張していなければならない。
6. 真の教会は、指導者が無償奉仕をしていなければならない。
7. 真の教会は、水に沈めるパブテスマをしなければならない。
8. 真の教会は、按手礼によって聖霊の賜物を授けなければならない。
9. 真の教会は、神の力による癒しを実行していなければならない。
10. 真の教会は、神とイエス・キリストは別々ではっきりした個人個人として教えられていなけれはならない。
11. 真の教会は、神とイエス・キリストは肉と骨の体を持っていると教えていなければならない。
12. 役員たちは、神により召されなければならない。
13. 真の教会は、神からの啓示のあることを主張していなければならない。
14. 真の教会は、伝道を行う教会でなければならない。
15. 真の教会は、回復された教会でなければならない。
16. 真の教会は、死者のためのパブテスマを行わなければならない。
17. 真の教会は、その実によって、見分けることが出来る。

仲間たち5人、メソジスト教会員のウェストン、カトリック教会員のダンバー、長老派教会員のストーンホッカー、英国教会員のウィリアムス、無神論者のグラッシーは、この17の基準を持って、多くの教会へ足を運んだ。
ウェストンは、メソジスト教会に失望させられ、ダンバーのカトリック教会も除去された。
調査が完了する前に、彼らは兵役で戦地に赴いた。
グラッシーは北アフリカで戦死した。
ウェストンは兵役中に末日聖徒の少年たちと出会った。
少年たちはウェストンを教会へ連れていきました。
この教会は、17の必要条件を全て満たしていた。
その後は戦争が終わるまで、お互いの連絡は途絶えていた。

戦争が終わって、ウェストンがカリフォルニアのバーバンクでのステーク大会に出席していたとき、かつての友人のダンバーを見かけた。
大会が終わると二人は再会を喜び合った。
ウェストンが「ダンバー、ここで何をしているんだい。」と尋ねると、
タンバーは「ぼくは今でもあのカードをポケットの中に持っているんだ。そして、17の必要条件の全てを満たす教会を見つけたんだ。それがこの教会なんだ。」と答えた。
この喜ばしい再会のあと、二人はストーンホッカーとウィリアムスを捜すと、二人もこの教会に入会していたことが分かった。
この教会が17の必要条件の全てを満たす唯一の教会だったからだ。

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モンソン大管長

その1
何年も前のこと、わたしはデビッド・O・マッケイ大管長が深く愛したサモアのサウニアツという有名な村を初めて訪れました。
そのとき、妻とわたしはおよそ200人の幼い子どもたちが集まった大きな集会に出席しました。
これらの内気な、しかし麗しい幼い子どもたちへの話しを終えると、わたしは現地のサモア人教師に、閉会行事に移りましょうと言いました。
しかし、彼が最後の賛美歌を発表したとき、わたしはふいに、子どもたち一人一人と個人的にあいさつしなければならないという強い気持ちに促されました。
時計を見ると、そのような特権に浴するには時間が短すぎることは明らかでした。
出国する飛行機の時間が決まっていたからです。
それで私はその気持ちを打ち消しました。
閉会の祈りがささげられる前に、わたしはもう一度一人一人の子供と握手しなければならないと感じました。
そこで教師にそのことを知らせると、彼はあのおおらかで美しいサモア人の笑顔を見せました。
そして、サモア語で子どもたちにこのことを発表しました。
すると、子どもたちも輝くような喜びの表情を見せてくれました。
教師は、彼と子どもたちが喜んだ訳を次のように話してくれました。
「十二使徒評議会の一員が教会本部からはるか遠く離れたサモアのこの地を訪れてくださるということが分かったとき、わたしは子どもたちに、熱心に心をこめて祈り、昔の聖書の話のように信仰を表したら、その使徒はサウニアツの小さな村を訪れて、皆の信仰によって一人一人の手を握ってあいさつしようという気持ちを抱いてくださると告げたのです。」
その貴い少年少女達が恥ずかしそうに歩み寄ってきて、かわいらしい小声で「タロファラバ」と麗しいサモア語のあいさつの言葉かけてくれたとき、私は涙を抑えることができませんでした。
あつい信仰の表れを、そこにはっきりと感じました。

その2
わたしの友人スタンは、重い病気にかかり、体に麻痺が残りました。
歩くことも立つこともできなくなってしまったのです。
優秀な医師が治療を続けましたが、彼は病院のベッドに横たわったままでした。
彼は車いすの生活になりました。
ある日、わたしがジムで水泳をしていたとき、静かではあるがはっきりと御霊のささやきを感じました。
「おまえの友人スタンは病院のベッドで身動きもできずにいるというのに、おまえは悠々と水泳などしている。病院に行ってスタンに祝福を授けなさい。」
わたしは泳ぐのをやめ、服を着て、病院のスタンの部屋へ急ぎました。
ベッドは空っぽでした。車いすでプールの所へ行ったと看護婦が教えてくれました。
急いでそこへ行くと、スタンがたった独りでプールの一番深いところの縁にいました。
あいさつを交わしてから、彼の病室にもどり、そこで神権の祝福を授けました。
ゆっくりと、しかし確実に、力と動きがスタンの足に戻ってきました。
まず初めに、よろよろとした足で歩けるようになりました。
次に、以前のように一歩一歩、歩けるようになったのです。v 彼は、そのときのことをこのように話しています。
あの日の午後、プールの縁で車いすに座り、絶望的な人生を思い、憂うつな暗い気持ちになりました。
それから逃れるため、深いプールに向かって車いすを押し出そうと考えました。
しかし、ちょうどそのとき、友人のわたしの姿が目に入ったのです。
スタンはその日、文字通り、人は独りで歩くのではないことを知りました。
その日、わたしもまた教訓を得ました。
決して、決して、決して、御霊のささやきに従うのを引き伸ばしてはならないということです。

その3
何年も前、わたしが監督をしていたときのことです。ワードの会員のメアリー・ワトソンが州立病院に入院したという知らせを受けました。
早速見舞いに行くと、たくさんベッドのある大部屋だったので、彼女を探すのに苦労しました。
ようやく彼女を見つけてベッドに近づき、言いました。
「こんにちは、メアリー。」
彼女が答えてくれました。
「こんにちは、監督さん。」
わたしはそのとき、メアリー・ワトソンの隣のベッドの患者が、シーツの下に顔を隠したのに気づきました。
わたしはメアリー・ワトソンに祝福を与え、握手して、「さようなら」と別れを告げました。
しかし、どういうわけかその場を離れることができません。
まるで見えない手が肩に置かれているかのようです。
そして、心の中に次のような声が聞こえてきました。
「あなたが来たとき、隣のベッドで顔を隠した小柄な女性の所へ行きなさい。」
わたしはそうしました。
導きを受けたら引き伸ばしてはならないことを経験から学んでいたからです。
わたしは隣のベッドに近づき、優しく肩をたたいてから、顔を覆ったシーツをゆっくり下げていきました。
何ということでしょう。
彼女もワードの会員だったのです。
彼女が入院しているなんて知りませんでした。
名前をキャスリーン・マッキーと言います。
彼女はわたしの目を見ると、涙ながらに言いました。
「ああ、監督さんがドアから入ってきたとき、わたしの祈りに答えて、祝福しに来てくれたと思ったのです。
ここにいるのを知ってくれたのがうれしくて。
でも、他の人の所へ行ったので、がっかりしました。
わたしに会いに来たんじゃなかったのだと。」
わたしはキャスリーン・マッキーに言いました。
「わたしが知らなかったことは、問題ではありません。
大切なことは、天父が御存知だったこと、あなたが神権の祝福を静かに祈り求めたことです。
わたしをあなたの所へ導いたのは天父なのです。」
祝福が与えられ、祈りは答えられました。
わたしは彼女の額にキスをし、御霊の導きに感謝しつつ病院を出ました。
この世でキャスリーン・マッキーに会ったのは、それが最後でした。
しかし続きがありました。
彼女が亡くなったとき、病院の人が尋ねてきました。
「モンソン監督、キャスリーン・マッキーが今晩亡くなりました。
彼女は万一の時に、あなたに知らせるよう手配していました。
そして、彼女の地下のアパートの鍵をあなたに残しました。」
キャスリーン・マッキーには身寄りがありませんでした。
わたしは愛する妻と一緒に彼女の慎ましいアパートへ行きました。
鍵を開けて中に入り、電気のスイッチを入れました。
清潔な2間のアパートでした。
小さなテーブルの上に薬の瓶と、その下にキャスリーンの手書きのメモが置いてありました。
こう記されていました。
「監督さん、什分の一がこの封筒の中にあります。
薬の瓶の中のコインはわたしの断食献金です。
これで主に認めていただけます。」
こうして彼女への領収書が発行されました。
あの夜のすばらしい気持ちを忘れることができません。
神への感謝の涙がわたしの心をぬらしたのです。

その4
わたしは監督として、教会から離れている人、集会に出席していない人、責任を受けていない人のことをいつも心配していました。
ベンとエミリーの住んでいる辺りを運転していたときも、そのような気持ちを感じました。
彼らは老齢になり人生のたそがれを迎えていました。
高齢者につき物のうずきと痛みのために活動から遠ざかり、家に閉じこもりきりでした。
日々の生活の主だった活動や交際から孤立し、引き離され、締め出されてしまったのです。
わたしはそのとき集会に行く途中でした。
しかし間違いなく御霊のささやきを感じて、ベンとエミリーを訪問するために車を止めました。
わたしは家のドアをノックしました。
エミリーが出てきました。相手が監督のわたしであることに気づくと、彼女は言いました。
「一日中電話が鳴るのを待っていたのに、電話は鳴りませんでした。
郵便屋さんが手紙を届けてくれるかと思いましたが、届いたのは請求書だけ。
監督さん、今日がわたしの誕生日だとどうしてわかったんですか。」
わたしは答えました。
「神様はご存知です。エミリー、あなたを愛しておられますから。」
静かな居間に通されたわたしは二人に言いました。
「今日どうしてここに導かれたのか、わたしには分かりません。
でも天父はご存知です。
ひざまずいて祈り、天父にその理由を尋ねてみましょう。」
わたしたちは祈り、答えが与えられました。
エミリーは聖歌隊に入って、来るべきワード大会で独唱をするよう依頼されました。
ベンは、御霊のささやきに従ったときに身の安全が守られたという経験談をアロン神権の若人に話すように頼まれました。
エミリーは歌い、ベンは話をしました。
そして、二人が活発になったことに大勢の人が喜びました。
二人はその日から天父のもとに召されるまで、聖餐会を欠席することはほとんどありませんでした。
御霊の言葉が与えられ、聞いて理解されたのです。
心が動かされ、人が救われたのです。

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ある若い母親

ある若い母親の赤ん坊が、家で大けがをした。
赤ん坊を医者に連れて行こうにも手立てがなかった。
そのうえ、彼女は引っ越してきたばかりで、近所にも知っている人はいなかった。
若い母親は助けを求めて祈った。
するとまもなく、近所の婦人がドアをノックして次のように言った。
「何か助けが必要ではありませんか。」
こうしてこの婦人の助けによって、若い母親は赤ん坊を医者に連れて行き、無事に治療を受けさせることができた。

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ユタの開拓者たち

ユタの開拓者たちは、初めて作物を植えた年に、クリケット(コオロギににた昆虫)の大群に襲われた。
開拓者たちは水や火、はたまた棒でクリケットを追い払おうとしたが、何の効果もなかった。
このままでは作物が全滅してしまう。
そこで、開拓者たちは神に助けを求めて熱心に祈った。
すると、カモメの大群がやってきた。
カモメはクリケットを食べ始めた。
単にカモメがクリケットを食べに来たなら、満腹になると帰っていったはずだが、カモメはクリケットを滅ぼすまで、食べては、はき捨てることを繰り返したのである。
これはまさに神が開拓者を救うために使わされたカモメだった。

ジョージ・W・ビーンはこう書いている。
「かもめは何千羽も群れをなして飛んで来て、人間の親指ほどもある大きく肥えたクリケットを、見たところ1パイント(約0.5リットル)は飲み込んだかと思うと近くの川に行って水を飲み、全部吐き出した。
そして少し休んでから、また戻って黒い大きな昆虫を食べるのだった。」

サラ・リッチはかもめについてこう記している。
「かもめはおとなしいアヒルのような大きさで、当時のわたしたちには主のもとからわたしたちを助けるために送られてきた天使のように思えた。
だれもかもめを殺すことは許されなかった。
それは、彼らがやって来たのは、わたしたちが生きていくために必要な作物を育てられるように主の御手が働いたのだということが、だれの心にも見て取れたからである。」

当時の教会の指導者であるオーソン・プラットはこの出来事について手紙にこう書いている。
「中には、これは自然の出来事で奇跡ではないと言う人がいます。
それはそれでけっこうですが、わたしたちは神の御手による祝福であると考えました。
奇跡であろうがなかろうが、そこには神の御手がありました。
何も知らない人がそれを信じるか否かは問題ではないのです。」

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ジョセフ・F・スミス大管長

ジョセフ・F・スミス大管長は、チャールズ・W・ニブレ−監督と一緒に東部の旅を終え、汽車で帰宅の途に就いていた。
ワイオミング州のグリーンリバー付近でスミス大管長は列車の最後部のデッキへ出た。
すると、次のような声が聞こえた。
「中へ入って、座席に着きなさい。」
車内に戻ると、一瞬ためらった後に、自分にこう言い聞かせた。
「ああ、あれはきっと空耳だったのだ。」
すると再び声が聞こえた。
「座りなさい。」
スミス大管長は急いで座った。
そのとき、列車が突然傾いて、レールが折れ曲がり、機関車をはじめほとんどの客車が脱線した。
ニブレー監督は、もしスミス大管長があのような行動をとっていなければ、大けがをしたところだったと述べている。
彼の乗った客車は脱線しなかったが、ほとんどの客車がひどく押しつぶされたからである。

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菊地長老・姉妹

菊地長老と姉妹はアメリカに住んでいたときのある日、二人同時に同じ夢を見た。
北海道に住んでいたときに同じ支部にいた人たちが夢に出てきた。
菊地長老と姉妹が北海道に住んでいたのは、まだ東京神殿ができるずっと前で、神殿ができる前にその人たちは亡くなっていた。
菊地長老・姉妹は気になり、彼らが死者の身代わりのエンダウメントを受けたか調べたところ、まだであることが分かった。
そこで、菊地長老・姉妹は日本の北海道時代の友人に、彼らの名前を神殿に提出し、儀式を受けてくれるよう頼んだ。
頼んだ相手からはしばらく連絡が来なかったので、儀式が終わったかどうか分からなかった。
しかし、ある日、菊地長老と姉妹はまた二人同時に同じ夢を見た。
今度は、夢に出てきた人々がこのように言った。
「これでやっと伝道に行くことができます。」
後に、この夢を見た少し前に儀式が終わっていたことが分かった。
菊地姉妹は「霊界で、身代わりのエンダウメントを受けると、伝道にでることが分かりました。」と語り、。
菊地長老は霊界での伝道について「よっぽど特別な人でない限り、ほとんどの人は霊界で福音を受け入れます。」と語った。

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S兄弟と父の弟

S兄弟は三歳のときに、父が亡くなった。
彼は19歳で、この教会に入った。
彼が20歳のある日、父がどんな人だったかを、父を知る人たちに聞いてみたいと思った。
父には兄弟がいた。
しかし、父が亡くなってからは、連絡が途絶え、父の兄弟が今どこにいるのか、母は知らなかった。
しかし、彼は何かの手がかりを捜し求め、父がかつて設計の仕事で働いていた米軍基地に連絡を取った。
そこで父が所属していた設計事務所の連絡先を教えてもらった。
そして、父を知るかつての上司に会うことができ、父の話しを聞くことができた。
その人の話しによると、父は立派な人だったようだ。
その人から父の実家の連絡先を教えてもらい、その住所を訪ねた。
しかし、近所の人に聞くと、もう、父の両親は亡くなっていた。
父の兄弟の連絡先は分からないとのことだった。
S兄弟はがっかりしたが、父のかつての上司とも話しができたことだし、これで満足しなければいけないと思いあきらめた。

それから数ヵ月後、奇跡が訪れた。
S兄弟は父の身代わりの儀式を神殿で受けるために、父の名前を提出していた。
しかし、教会の管理本部で働いている同じワードの姉妹から「あなたのお父さんは、十年前に身代わりの儀式を受けているよ。」と言われた。
はじめ彼は何を言われているのか分からなかった。
実は、教会の管理本部にはS兄弟のおじさん、つまり、お父さんの弟が勤めていた。
先の姉妹がS兄弟の提出したお父さんの名前をコンピュータに入力しようとしていたところ、S兄弟のおじさんがその横を通り、ふと画面を覗き込んだ。
自分の兄の名前があるので彼は驚いた。
そういう経緯で、すべてが明らかになった。
それを聞いたS兄弟は、捜していた自分のおじさんが、同じ教会の会員であったことと、自分の父が自分より前にバプテスマを受けていたことに驚いた。

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A兄弟と息子

A兄弟は、ある日、変な夢を見た。
山道を歩いていると、おばあさんが石に腰掛けていた。
A兄弟は、おばあさんに「何をしているんですか。」と尋ねたところ、おばあさんはこう言った。
「儀式を受けるのを待っているのです。」
ここで夢から覚めた。
その朝、家族と食事をしているときに、A兄弟は、この変な夢の話しをした。
すると彼の息子が震え始めた。
実は、息子も同じ夢を見たのだ。
これは何かありはしないかと言うことで、神殿に提出した自分達の先祖の名前に漏れがないか調べてみることにした。
すると、先祖のある女性の名前が漏れていることが分かった。
A兄弟は、その女性の名前を提出し、身代わりの儀式を行った。

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安息日に対するある教会員の証

ある教会員の経営する店では、日曜日に収入が多いので、日曜日も休まずに営業していた。
しかし、機械、備品の故障などが多く、出費も多くなった。
そこで、ためしに日曜日の営業をやめたところ収入が減ったが、機械、備品の故障などが減り、出費も減った。
収入と出費の差額(利益)を比較してみたら、日曜日に休んだほうがわずかに多かった。

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パーソン兄弟

デル・パーソン兄弟は末日聖徒の画家だ。
パーソン兄弟は、教会から救い主の肖像画を描く依頼を受けた。
これは世界中の教会で使われる予定のものだった。
彼は、へりくだり、祈り、勉強して、この仕事を依頼した教会幹部に認められるような作品が描けるよう望んだ。
そして、彼は作品を描き上げて、提出した。
彼は心配しながら承認を待っていたが、結果は「残念ですが、これとは違います。もう一度、やり直してください。」というものだった。
それから彼はさらにへりくだり、心から祈り、主の御手の道具となれるよう望み、もう一度作業に取り掛かった。
そして、彼は2番目の作品を仕上げ、提出した。
しかし、これも、承認されなかった。
彼は、度重なる断食と祈りをもって、3作目の作業を行なった。
そして、霊感と導きを受け、教会幹部が認める作品、すなわち、主御自身がお認めになる作品を完成させた。

あるとき、パーソン兄弟はファイアサイド(特別集会)に呼ばれ、この経験談を話すことになった。
その集会には、反抗的な十代のある少女が出席していた。
彼女は幼い頃、自動車事故に遭い、両親を亡くし、一人だけ生き残った。
その後、親戚に引き取られた。
しかし、この不幸で、苦しい経験のため、彼女は、誰からも愛されていないと感じていて、家族や友達からの愛を受けようとしなかった。
パーソン兄弟はこの集会で、承認されなかった1作目と2作目を見せながら、話を進めていった。
そして、パーソン兄弟が3作目の承認された救い主の肖像画を見せた時、この少女は本能的に立ち上がり、その絵に向かって走って行った。
「この人よ!」彼女は繰り返し叫んだ。
「私の両親が死んだ時に抱き締めてくれた人よ。」
彼女はこの幼いころ記憶を呼び覚ましたことにより、よい方向に変わっていった。


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ネルソン大管長

ネルソン大管長は心臓外科医だったときの体験談

ユタ州南部出身のステーク祝福師に初めて診察室で会ったのは40年以上前のことで、当時、心臓外科手術は始まったばかりでした。
聖徒と呼ぶにふさわしいこの男性は心臓の障害で大変苦しんでおり、助けを懇願していました。
心臓の弁さえ治療すればよくなると考えていたのです。
精密検査の結果、障害のある弁が二つあることが分かりました。
外科手術で片方は治せますが、もう一方は無理でした。
それで、手術はしない方がよいということになり、この知らせを聞いて彼は大いに落胆しました。
その後もこの祝福師は何度かやって来ましたが、同じ結論を伝えることしかできませんでした。
ついに彼はわらにもすがる思いで、感情を高ぶらせながら言いました。
「ネルソン先生。わたしは助けを祈り求め、あなたのもとへ導かれてきました。
主はどうやってその弁を治せばよいのかわたしには示してくださらないでしょう。
しかしあなたにならお示しになられるはずです。
あなたなら理解できるからです。
もし手術してくださるなら、主はあなたにどうすればよいか教えてくださいます。
どうかわたしに必要な手術をしてください。
そしてあなたに必要な助けを祈り求めてください。」
この兄弟の強い信仰はわたしの心を大きく揺さぶりました。
その願いをまた拒むことなどできませんでした。
二人で熱心に祈った後、わたしは手術を行なうことに同意しました。
一生を決める重要な日に備えて何度も何度も祈りました。
しかし三尖弁(さんさべん)の逆流をどう処置すればよいのか答えは出ませんでした。
助手に「どうするつもりですか」と聞かれました。
「分かりません。」そう答えました。
手術が始まりました。一つ目の弁の狭窄(きょうさく)を取り除いてから、二つ目の弁を調べました。
弁膜自体に傷はありませんが、拡張して正常に機能していませんでした。
よく調べているうちに、一つのメッセージが心にはっきりと聞こえてきました。
「リングを縮小しなさい。」
わたしはそのメッセージを助手に伝えました。
「リングをうまく縮小して正常な大きさにできれば、弁膜組織は十分残ります。」
でも、どうすればいいのでしょう。
ウエストの大きいズボンをベルトで調整するような具合にはいきませんし、馬に倉を着けて腹帯で締めるようにもいきません。
そのときです。鮮明なイメージが心に浮かび上がってきて、どのように縫い合わせればよいのか、プリーツやタックをどこにつければよいのか、どのように仕上げればよいのかが分かったのです。
そのとき心に浮かんだイメージを今でも思い出すことができます。
どこを縫い合わせるべきかを示す点線まで完全に覚えています。
手術は心に描いたとおりに終了しました。弁の調子を試してみましたが、血液の漏れは驚くほど減少していました。
助手は言いました。「奇跡です。」
わたしは答えました。「祈りに対する答えです。」
患者の快復は速く、満足のいくものでした。
この出来事は、ただこの兄弟が奇跡的に助かっただけではなく、同じような症状を抱える人々にも手術で助かる道が開かれたことを意味しました。
わたしには何の功績もありません。
信仰深い祝福師と、祈りに答えてくださった神こそたたえられなければなりません。
信仰深いこの男性はその後何年も生き、それから永遠の栄光を受ける場所へ召されました。


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ミズーリ−救援隊

教会員に対する暴徒の襲撃が横行していて、ミズーリ−州では、多くの聖徒たちが家を追われていた。
1834年2月24日、主はジョセフ・スミスに、救援隊を組織し、オハイオ州カートランドからミズーリ−州まで行き、聖徒たちのために住む場所を取り戻すように言われた。
救援隊が組織されたのは5月6日で、207人の男性、11人の女性、11人の子供が加わった。

6月18日、ミズーリー州クレイ郡に到着し、フィッシング川の合流地点で野営を開始した。
6月19日、野営地に5人の男が馬に乗ってやってきて、「おまえたちは夜明けまでに地獄を見るだろう。」と言った。
彼らは、リッチモンド、レイ、そしてクレイ郡から武装した軍隊がジャクソン郡の軍隊に加わって、野営している救援隊を叩きつぶしてしまうだとうと告げた。
これらの5人の男がまだ野営地でのろいの言葉をはいている間に、嵐の近づいている兆候が現れた。
男たちが野営地を去るやいなや、嵐が烈火のごとく怒り狂った。
木々の枝を切り落とすほどの大きなひょうが降り、強風が木々を根元からよじり、野営地中に枝が飛び交うありさまだった。
地は震え、揺れ動き、小川の流れは荒れ狂った奔流と化した。
暴徒たちは散り散りになって避難所を探しましたが、見つけることができなかった。
ひとりの暴徒は稲妻に撃たれ、他のひとりは暴れる馬に手を引き裂かれた。
彼らは恐れおののきながら、「これが、神がモルモンの民のために戦うやり方なのか」と言いながら、彼らの本来の仕事に戻っていった。

この嵐の間、野営地の聖徒たちはその猛威にさらされはしなかった。なぜ聖徒たちは守られたのか。
彼ら全員が主に対して従順だったからだ。

2日後の6月21日には、スコンス大佐がふたりの同僚を伴って聖徒たちが何を考えているかを聞くために野営地を訪れた。
そして、こう述べた。
「わたしは、この人々を守っているのは全能者の力であることがわかる。
というのは、わたしは、武装した軍隊を率いてあなたがたを滅ぼそうとしたのだが、嵐に妨げられて近づくことができなかったからだ。」
預言者ジョセフ・スミスはその時、彼らに、聖徒たちが受けている迫害について話した。
すると、彼は、自分たちの力で、聖徒たちに反対する人々を鎮めてやろうと申し出て、野営地を去った。

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ユタに逃れた聖徒たち

ミズーリ州知事によって聖徒たちへの撲滅令が出され、ミズーリ州を離れることになり、聖徒たちはイリノイ州ノーブーに移り住んだ。
後に、イリノイ州でも迫害が起こり、聖徒たちは1847年にユタに移り住んだ。
1861年に南北戦争が始まり、ミズーリ州やイリノイ州は戦禍に巻き込まれた。
一方、聖徒たちはユタにいたので、戦争の被害を受けずに済んだ。
むしろ、1848年から、カリフォルニアでゴールド・ラッシュが起こり、カリフォルニアに向かう人々の中継地として、ユタは大いに栄えることになった。

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ハビーリ兄弟

ナナウ病院の手術室で麻酔専門医のハビーリ兄弟と二人の外科医は老紳士の手術をしていた。
患者の脈がないという看護婦の言葉で、患者が手術台の上で死亡したことを知った。
何が間違っていたか調べたが分からなかった。
そして、ハビーリ兄弟は必死に祈りはじめた。
限られた知識と設備の中で、あらゆる物を駆使して何とか生き返らせようとした。
しかし、なかなかうまくいかなかった。
心臓が止まってから18分たったとき、最後にさらに熱心に祈り始めた。
もしこの人を生き返らせてくださるなら、人生のすべてを主にささげると約束した。
疑いのかけらをすべて取り去り、目を開けたときには患者の心臓が動き始めるという確かな気持ちになるまで祈りつづけた。
奇跡的にもそのとおりになった。
25分間まったく動かなかった患者の心臓が再び動き始めた。
次の朝、患者の意識もはっきりし、話すこともでき、そして確かに生きていた。

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トルストイ

アンドレ・ホワイトはコーネル大学学長や駐ドイツ大使を歴任した人物である。
彼は仕事でロシアに行っている時に、ロシアの作家、トルストイを訪問した。
以下はその時にかわされた会話である。

「ホワイト博士、アメリカの宗教について話してくれませんか。」とトルストイは質問した。
「わたしたちは別にアメリカ国教を持っていませんよ。」とホワイトは答えた。
「いや、そんなことはよく知っています。それではなく、アメリカにある宗教について教えてもらいたいのです。」とトルストイは言った。
そこでホワイトはアメリカにあるいろいろなキリスト教宗派について詳しく話し、だれでも自分の好きな宗派に入って神を礼拝することができると話した。
この話を聞いてトルストイはいらだたしげに言った。
「そんなことは全部知っています。わたしが聞きたいのはアメリカで生まれた宗教のことです。
カトリック教会はローマで作られ、監督教会はイギリスで組織され、ルター教会はドイツで生まれました。
しかし、アメリカで組織され、普通モルモン教会と呼ばれている教会について知りたいのです。
モルモンの教えについて話してくれませんか。」
「はい、しかし残念ながらモルモンについては少ししか知りません。
彼らの評判はあまり良くないし、多妻結婚を行ない、迷信めいております。」とホワイトは答えた。
そのときトルストイは断固とした口調で、ホワイトをなじった。
「ホワイト博士、あなたのような学者で大使という地位にある方が、この重要な問題についてほとんど知っていないご様子を見て、非常に驚き失望を感じています。
モルモンの人はアメリカの宗教を教えているのですよ。
彼らの教義には神の国の人々やそれに伴う栄光について説明されているばかりでなく、健康な生活の中にいかに社交的、経済的なものを織り込んで生きるかについて詳しく教えられています。
もし人々がこの教会の教えに従って生活するなら、彼らの進歩をさえぎるものはありませんし、その発展は無限に近いでしょう。
もちろん過去には偉大な運動もありましたが、それらが完成される前に頓挫したり、変形したりするのが大部分でした。
もしモルモンの人々がどんな迫害にあっても、3、4代にわたって教義を曲げずに忍耐し続けるなら、彼らは世の人々がかつて知らないほどの大きな力を持つようになるでしょう。」

ホワイトはこのことがきっかけとなって、アメリカ合衆国に帰ってから、教会事業に関する研究を行ない、コーネル大学にもそのための研究所を設置した。

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KY姉妹

KY姉妹のお母さんは、徐々に目の視力が無くなっていった。
病院で診てもらうと脳に腫瘍(つまりガン)があり、それが原因と分かった。
しかし、その病院では手術ができないので、大学病院を紹介してもらった。
大学病院に予約を入れたが、診てもらえるのは1か月後だった。
それまでにもっと悪化しないか不安になったがどうにもできなかった。
その後すぐステーク大会で教会の中央幹部が訪問することを知って癒しの祝福をしてもらえないか、ステークの役員に相談した。
土曜の夜の集会の後、中央幹部の長老が家を訪問してくれて、癒しの祝福をしてもらえた。
大学病院の診察日になって、診察してもらうと、脳の腫瘍が消えていて、治療は必要はないと言われた。
お母さんの視力はやがて戻っていった。

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私とモルモン書

1981年、私が16歳のとき、ローマカトリックの教皇、ヨハネ・パウロ2世が来日した。
ローマカトリックの教皇が日本に来るのは初めてだったので、マスコミでは大きく取り上げられた。
これがきっかけで、私はキリスト教に興味を持ち、聖書を買って、読みはじめた。

しばらくたったあるとき、聖書の他にも聖書のような本があると、うわさに聞いた。
しかし、その本の題名は分かなかった。(後で死海文書だと分かった)
いろいろな本屋や図書館を探しめぐったが見つからなかった。
キリスト教のコーナーにあるのは、キリスト教や聖書について、解説した本だけで、古代の預言者が書き記したような本は聖書以外にはなかった。
ある日、古本屋に行ったところ、「モルモン書」という本を見つけた。
中を見てみるとキリストのことが書いてあり、古代の預言者が書いたものだったので、私が探していたのは、この本だと思った。
しかし、そのときは、お金がなかったので、買えなかった。
その日は土曜日だったので、月曜日に貯金を下ろして買いに戻ることにした。
月曜日は学校があったので、学校が終わると、すぐに郵便局に行って貯金を下した。
わくわくしながら、自転車に乗って買いに行く途中、交差点で信号待ちをしていると、2人のアメリカ人の青年に声をかけられた。
彼らはモルモン教会の宣教師だと名乗った。
すこし話をしても良いかと言うので、買おうとしていた本と関係がある人たちだと思い、彼らの話を聞くことにした。
そして、彼らから新品のモルモン書を手に入れることができた。
そのときは、新しいのが手に入って、運が良かった程度の思いだったが、後で、神様のお導きがあったのだと分かった。

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私がバプテスマを受けるまで

私は16歳のときに、この教会に出会ったが、親の反対があり、20歳までバプテスマを受けられなかった。
しかし、その間、教会に通うことは許されていた。

20歳になったとき、親の許可が無くてもバプテスマを受けられるので、宣教師からバプテスマを受けるように勧められた。
そのことを親に話したところ、まだ、親に養ってもらっている間は認められないとのことだった。
就職するまで2年間、待たなければならないのかと残念な気持ちになった。
それを宣教師に話すと、その宣教師から、そんなことではいつまでたってもバプテスマを受けられないよと、叱られた。
今後、どうするべきか、分からなかったので、神様に祈って助けてもらうことにした。
その結果、できないことはできないので、できることからやっていくべきだという思いに至った。
教会員になれなくても、できることはやっていこうと思った。

教会に通う中で、私の先祖の救いは子孫の中で唯一この教会に導かれた私にかかっていると分かった。
まだ教会員ではないが、先祖の救いに係わることにした。
先祖について調べ、系図と家族の記録を作り、神殿に提出した。
戸籍で調べられる範囲はやりつくしたので、他に記録を持っている親戚はいないか、親に尋ねた。
親は私の作った系図を見てよろこんでくれた。
そして、親は私の作った系図のコピーを親戚に送ってくれて、これ以上の情報はないか、尋ねてくれた。
結果はそれ以上の情報を持つ親戚はいなかった。
しかし、私の作った系図は親戚の間で好評を得た。

そんなこともあってか、やがて、親は心を和らげてくれて、しぶしぶながらも、教会に入ることを認めてくれた。
先祖が私の両親の心に働きかけてくれたかもしれない。

16歳から20歳の4年間は聖霊の賜物については経験できなかった。
それは、どのようなものなのか期待が大きかった。
バプテスマを受けた日の夜、お祈りをしていると、全身が火で包まれたように熱くなった。
しかし、苦痛ではなく、むしろ、幸せな気持ちになった。
このようなことは初めてで驚いたが、聖霊の賜物を経験することができた。

私が、社会人になったらバプテスマを受けますと伝えたときに、「そんなことではいつまでたってもバプテスマを受けられない」と叱ってくれた宣教師の言葉の意味は、私が社会人になってから分かった。
私と同期に入社した男性社員たちは、女性と体の接触のある酒場や、女性の裸が見られる酒場に誘われていた。
私がクリスチャンであることと、宗教上の理由で酒が飲めないことを皆に伝えていたので、そのような場には誘われなかった。
会社の先輩からは、酒や女やギャンブルができないなんて、人生が全然楽しくないなと言われた。
社会人の年齢は、酒もギャンブルも性的な娯楽もできる年齢なので、そのような誘惑も多くなる。
聖霊の賜物という守りがないまま、親元を離れて独り暮らしをすることの危険性を理解した。
もし、社会人になって、まだ教会員になっていなかったら、そのような場に誘われて神様から遠ざかっていたのかもしれない。
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私の教会員宅への訪問

私はある教会員の家族の家を訪問しようとしていた。
初めての訪問だったので、住所と地図を書いた紙をもらっていた。
しかし、最寄の駅で降りたあと、住所と地図を書いた紙を家に置き忘れてきたのに気が付いた。
家に取りに戻っていては、約束の時間に間に合わない。
相手の電話番号もわからないので、電話をかけることもできない。
どうにもならない状態になったので、その家族の家に導いてくれるよう、神様にお願いした。
歩き始めると、ある方向に行くべきという思いが心に湧き、そちらに向った。
曲がり角では、行くべき方向が分かった。
それを繰り返しているうちに、目的の家にたどり着くことができた。
私は神様の導きに感謝した。

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私の妻のつわり

わたしと妻が結婚して間もないときのことだった。
妻は妊娠したが、つわりがひどくなった。
家の中ではどうにか動けるのだが、外に出て歩くことはとても難しい状態になった。
わたしは仕事があるので、いつもついていることができない。
そこで、もっとひどくなる前に妻の実家に里帰りさせることになった。
しかし、東京の三鷹市から青森の八戸市までは新幹線と在来線で6時間以上もかかる。
この長旅を妻は絶えられるのだろうか心配した。
そこで、わたしは神権の力を使って、病人の癒しの儀式を妻に施した。
そうすると、旅行の朝は、昨日までとは違ってとても元気になった。
新幹線の中でも、おせんべいをボリボリ食べるし、チョコも食べるし、とても前日まで何ものどを通らなかった人とは思えなかった。
そして、問題もなく、妻の実家に着いた。
わたしや妻や妻の両親は、つわりが無くなったのなら、実家に帰る意味はなくなったねと喜んでいた。
しかし、それは違った。
翌日、またつわりが復活した。
そして、1週間後には脱水症状がひどくなり、とうとう病院に入院をしてしまった。
旅に耐えられるように、神様からの助けがあったと思う。

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私と東日本大震災

私は東日本大震災の前日に、次のような啓示を受けた。
「大きな地震が来るので備えるように」と。
その日は木曜日の夜だったので、土曜日に防災用品などを買いに行こうと思っていた。
しかし、翌日の金曜日に大地震は起こってしまった。
土曜日には、防災用具を買うどころか、どの店も店内の片づけで臨時休業していた。
結局、たいした備えはできなかった。
危機を知らせる聖霊の声は、不安や恐怖をあおる大きな声ではなく、平安と温かさのある、ささやきだった。
今後のための教訓になった。

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ジョセフ・スミス

ジョセフ・スミスが命を失ってまで、神から受けてきたものを証し続けた。
もし、彼が詐欺師だったら、命の危険があったとき、主張を翻しただろう。

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金版の三人の証人

三人の証人が、ジョセフ・スミスから破門された後でも、天使モロナイから金版を見せてもらったという証言を取り消さなかった。
もし、彼らがジョセフ・スミスと共謀して嘘をついていたなら、嘘だったとバラしただろう。

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