私は15歳のころから聖書に興味があり、読んでいました。ある時、聖書の他にも聖書
のような物があることを知りました。(ずっと後でそれは聖書外典のこととだと分かりま
した。)わたしはそれが欲しくて、いろいろな本屋や古本屋を探しましたが、見つけるこ
とはできませんでした。わたしが16歳の時、ある古本屋で珍しい本を見つけました。聖
書ではないがキリストのことが書いてあり、わたしが探していたものはこれではないかと
思いました。本のタイトルは「モルモン経」でした。(その当時は「書」ではなく「経」
だった。)私はその本が欲しかったのですが、お金を持っていなかったので買えませんで
した。その数日後、貯金をおろし、その本を買いに行こうと自転車に乗って出かけました。
わたしが交差点で信号待ちしていたところ、だれかに背後から声をかけられました。振り
向くと、二人のスーツを着た若いアメリカ人の男性がいました。彼らはモルモン教会の宣
教師で、お話をしたいとわたしに言いました。わたしは話を聞くことにしました。私はモ
ルモン書をただで貰えることを期待していたのですが、その当時モルモン書の配付プログ
ラムが無かったので、お金を出して買うことになりました。(450円だった。)古本屋
で買ったほうが安かったので、ちょっと悲しかったです。(古本屋は300円だった。)
あるとき宣教師から凄いことを聞きました。モルモン書には素晴らしい約束が付いてい
ます。モロナイ書10章4節に直接神様からこの本が真実の物であることを教えて貰える
と書かれています。私は「これは凄い。ぜひともやってみなければ。」と思いました。私
はジョセフ・スミスのように人のいない所へ行って祈ってみることにしました。私の通っ
ていた高校の裏には人けのない林がありました。私は朝4時に起きてそこに行くことにし
ました。私はそこに着く迄の間もし神様に会ったらどうしようとわくわくどきどきしてい
ました。しかしそこに着いてから祈ってみましたが結局何も起こりませんでした。私はが
っかりして家に帰りました。
モロナイ書の約束は嘘だったのでしょうか。実はこの約束には条件がついています。4
節には「キリストを信じながら」とあります。しかしイエス様がどのようなお方で、どの
ようなことをされ、自分にとってどれほど重要な方なのか、その当時の私はよく理解して
いませんでした。ですから、私の場合はキリストに対して信仰を持てるようになるには時
間がかかりました。そこで、これから、わたしがどのようにして信仰を持つにいたったか
をお話していきたいと思います。
アルマ書32章では信仰を築き上げることを植物を育てることにたとえています。
ここでは、これをヒントにし、話をひろげ、人が神様の福音が受け入れ、信仰を養い、
証を得る方法について、わたしの経験から、お話します。
それには6つの段階があります。
1)信じようとする望みを持つ。
2)御言葉を学ぶ。
3)光を感じる。
4)御言葉を行う。
5)証を得る。
6)証をする。
これらの6つの段階について話していきたいと思います。
第1段階は信じようとする望みを持つことです。これは果物を食べることにたとえます。
人からもらったおいしい果物を食べるととてもうれしい気持ちになります。そして、その
果物に入っている種を育てて、自分もそのような果物を作ってみたいと思うようになりま
す。この果物は福音に対する証を表しています。そして、他の人の証によって信じようと
する望みを持つことを表しています。ここで言う証とは言葉だけでなく行いなども含みま
す。むしろ行ないの方が重要です。私に信じようとする望みを持たせてくれた、3つの例
についてお話しましょう。
1つ目は宣教師の証です。私は彼らの言葉による証よりも彼らが無報酬で働いていること、
しかも生活費も伝道に出る前に自分で貯めた物であることに感動しました。
2つ目はジョセフ・スミスの証です。彼は福音が真実であることを否定しなかったので暴
徒の銃弾にやられ殉教しました。もし彼が単なる詐欺師なら自分だけ生き延びることを考
えたでしょう。
3つ目は3人の証人の証です。彼らの証はモルモン書の冒頭に載っています。しかし、彼
らの証はこれだけでは終わりませんでした。後に彼らはジョセフ・スミスと意見が対立し
てスミスから破門を受けました。しかし彼らは最後までモルモン書が真実のものであるこ
とを証し続けました。もし天使から金版を見せてもらったことが彼らとスミスとの間で共
謀された嘘であったのなら彼らはきっと嘘であったことをばらしたに違いありません。し
かし、そうなりませんでした。モルモン書が真実のものだったからです。
これらの例を見てみると彼らの証は彼ら自身の行いによって確かなものになっています。
そしてこのような行いに現れる証によって私は信じようとする望みを持つことができまし
た。
第2段階は神様の御言葉を学ぶことです。これは種を植えることにたとえられています。
信じようとする望みを持つと御言葉を学びたくなります。モルモン書や聖書などの聖典を
読んだり、聖餐会や日曜学校などの集会に参加したりして神様の御言葉を学びます。
第3段階は光を感じることです。これは種が芽を出すことにたとえられています。この光
は目に見える光ではなく、心で感じる光で、キリストの光とも言われています。これは、
人の心を広げ、人の理解力に光を注ぎ、人に良い気持ちを与えます。そして、人はこの光
が善であることを知るようになり、これは良いものに違いないと感じます。
第4段階は御言葉を行うことです。これは養いを与えることにたとえられています。せっ
かく芽が出ても水や肥料をやらなければ芽は枯れてしまいます。これと同じように御言葉
を学び光を感じてもそれを行いに移さなければ信仰は萎んでしまいます。神様の戒めを守
り、自分の生活を改善し、良い人格を養い、キリストのような特質を持つことができるよ
う努力します。また、キリストの生涯と模範、主が示された愛と希望と思いやりに注意を
払って生活し、もっと人に親切にし、もっと忍耐強く、もっと礼儀を尽くし、人をゆるせ
るようになるように努力します。
第5段階は証を得ることです。これは実を得て味わうことにたとえられています。聖句ガ
イドによると証とは聖霊によって与えられる知識と霊的な確信とあります。証は聖霊によ
って与えられます。モロナイ書10章4節にはモルモン書について証を得る方法が書かれ
ています。「キリストを信じ」ながら問うならば「聖霊の力」によって答えが来ます。宣
教師に会ってから、まだバプテスマは受けていないある日、私は『モルモン書』の「モー
サヤ書」第14章を読んでいた時、キリストの贖いについて感謝の気持ちに満たされまし
た。このとき初めて、キリストがわたしのために苦しまれ、罪の贖いをされたのだと強く
実感でき、キリストが救い主であることの確信を得たのです。そのとき、わたしは主の贖
いに対する感謝の気持ちから、涙を止めることができませんでした。このような気持ちを
与えてくれるのは聖霊です。私は主のために働く時にもっとも主を身近に感じます。そし
て、主に対する感謝の気持ちも強くなります。ですから行うことがないならこのような証
は得られません。証を得たとしても行うことをやめてしまうと証を失ってしまいます。
第6段階は証をすることです。聖句ガイドでは証をすることとは聖霊の力によって証言す
ることとあります。これには言葉だけでなく行いや思いや感情や表情など自分の持つ人柄
すべてが含まれると思います。これらは私たちの周りにいる人々になんらかの影響を与え
ます。私が意識して行う証よりも無意識に行う証のほうが多いかもしれません。これを果
物の実を他の人に与えることにたとえています。
このような積み重ねによって、私に実っている証という果物を周りの人々が味わい、そし
て、信じようとする望みを起こすようになることでしょう。大切なのは、私が証という果
物をいつもおいしく実らせていることです。
そのことによって彼らも信仰を持ち、証という果物を実らせていくのです。そして、こん
どは彼らが彼らの周りの人々に果物を伝えていきます。このようにして、神様の福音は確
実にひろがっていきます。
モルモン書は私の信仰を強くし、私がキリストのような特質を身につけるのに役立つ手
引き書です。このような素晴らしい書物を神様からいただいていることに感謝します。
図)証の6つの段階と福音の伝わり方
―――――――― ――――――――――――
|他者が証をする|――>|1)信じようとする |
―――――――― | 望みを持つ |
| (他者の実を食べる)|
――――――――――――
|2)御言葉を学ぶ |
| (種を植える) |
―――――――― ――――――――――――
|キリストの光 |――>|3)光を感じる |
―――――――― | (芽を出す) |
――――――――――――
|4)御言葉を行う |
| (養いを与える) |
―――――――― ――――――――――――
| 聖霊の力 |――>|5)証を得る |
―――――――― | (実を得る) |
―――――――――――― ――――――――――――
|6)証をする |――>| 他者が信じようとする |
| (実をあげる) | | 望みを持つ |
―――――――――――― ――――――――――――
|