5−6 第7日(土曜日)

墓に番人を置く


マタイ27:62-66

あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。
ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。
そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

イエス、死と復活の間に霊界に行かれる


教義と聖約133:12-37

非常に多くの正しい者の霊が、一つの場所に集まっていた。彼らは死すべき世に住んでいた間、イエスの証に忠実であった者たちであり、
神の御子の大いなる犠牲のひながたとして犠牲をささげ、また贖い主の名によって艱難を受けた者たちである。
これらの者は皆、父なる神とその独り子イエス・キリストの恵みにより、栄光ある復活の望みを確固として持って死すべき世を去ったのである。
わたしは彼らが喜びと楽しみに満たされ、解放の日が近づいたので、ともに喜んでいるのを見た。
彼らは集まって、神の御子が霊界に来て死の縄目からの贖いを宣言されるのを待っていた。
彼らの眠れるちりは、骨が本来の骨と連なり、その上を筋と肉が覆って、その完全な造りに回復されるのであった。彼らが満ちみちる喜びを受けるために、霊と体が決して再び分離することのないように結び合わされるのである。
この大群衆が死の鎖からの解放の時を喜び、語り合いながら待っていると、神の御子が現れて、忠実であった囚われ人に自由を宣言された。
また、そこにおいて神の御子は、永遠の福音と復活の教義、堕落からの人類の贖い、および悔い改めを条件とする個人の罪からの贖いについて彼らに宣べ伝えられた。
しかし、悪人のところへは、御子は行かれなかった。また、神を敬わない者や、肉体にあるときに自らを汚して悔い改めなかった者の中では、御子の声は発せられず、
昔の預言者たちの証と警告を拒んだ不従順な者は、御子の臨在を目にすることも、御子の顔を仰ぎ見ることもなかった。
これらの者のいる所では暗闇が支配していた。しかし、義人の間には平安があった。
そして、聖徒たちは彼らの贖いを喜び、ひざまずき、神の御子を贖い主、および死と地獄の鎖からの解放者として受け入れた。
彼らの顔は光を放ち、主の前から発する輝きが彼らのうえにとどまった。そして、彼らは主の聖なる名を賛美した。
見よ、主は義人の中から軍勢を組織し、力と権能をまとった使者たちを任じて、暗闇の中にいる者たち、すなわちすべての人の霊のもとへ行って福音の光を伝えるように彼らに命じられた。このようにして、福音が死者に宣べ伝えられたのである。
選ばれた使者たちは、主の恵みの日を告げ知らせ、束縛されている囚われ人、すなわち、自分の罪を悔い改めて福音を受け入れるすべての人に自由を宣言するために出て行った。
このようにして、真理を知らずに罪のうちに死んだ者や、預言者たちを拒んで背きのうちに死んだ者に、福音が宣べ伝えられた。
これらの者は、神を信じる信仰、罪の悔い改め、罪の赦しのための身代わりのバプテスマ、按手による聖霊の賜物について教えを受けた。
またこのほかに、肉においては人間として裁きを受けるが、霊においては神のように生きるための資格を得るうえで知っておく必要のある、福音のすべての原則が教えられた。
そしてこのように、神の御子の十字架上での犠牲によって贖いが行われたことが、死者の間に、すなわち、小さな者にも大いなる者にも、不義な者にも忠実な者にも知らされたのである。
このようにして、わたしたちの贖い主は、霊の世界に滞在しておられる間、肉において贖い主のことを証した忠実な預言者たちの霊を教え、備えるのに、その時間を費やされたということが知らされたのである。
それは、この預言者たちの霊が、背反と戒めに対する背きのゆえに贖い主御自身が行くことのできなかった、すべての死者に贖いの知らせを伝えて、彼らも贖い主の僕たちの働きによって御言葉を聞けるようにするためであった。

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