5−4 第5日(木曜日)

過越の食事の手配


マタイ26:17-19,マルコ14:12-16,ルカ22:7-13


さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、
イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい 」。
彼らは言った、「どこに準備をしたらよいのですか」。

イエスは言われた、「市内にはいったら、かねて話してある水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、
その家の主人に言いなさい、『先生が、わたしの時が近づいた、あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろうと、言っておられます。弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこかと言っておられます』。
すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい 」。

弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。

過越の食事


マタイ26:20,マルコ14:17,ルカ22:14


夕方になって、時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

だれが偉いのかの論争


ルカ22:24-30

それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。
そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。
あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである 。
それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、
わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

イエス、使徒たちの足を洗われる


ヨハネ13:1-20(ジョセフ・スミス訳)

過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう 」。
ペテロはイエスに言った。「わたしの足を洗っていただくには及びません。」イエスは彼に答えられた。「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもなくなる。」
シモン・ペテロはイエスに言った。「主よ、では、足だけでなく、どうぞ、手も頭も。」
イエスは彼に言われた。「すでに手と頭を洗っている者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない。」さて、これは彼らの律法の下でのユダヤ人の習わしであったので、イエスは律法を成就するためにこれを行われたのである。
イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。
もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。
あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがキリストであることを、あなたがたが信じるためである。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである 」。

聖餐の教え


マタイ26:26-29,マルコ14:22-25,ルカ22:15-20(以上ジョセフ・スミス訳)

イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
あなたがたに言って置くが、預言者たちがわたしについて記したことが成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない。預言が成就する時、わたしはあなたがたと神の国で食事をするであろう 」。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、それを祝福して裂き、弟子たちに与えて言われた。

「取って食べなさい。見よ、これが、あなたがたのために贖いとして与えるわたしの体の記念としてあなたがたに行ってもらいたいことである。これを行う度に、あなたがたは、わたしがあなたがたとともにいたこの時を思い起こすであろう。」

また、イエスが杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。

イエスはまた言われた。「これは、罪の赦しを得させるようにと、わたしの名を信じるすべての人のために流されるわたしの血と、わたしがあなたがたに与える新しい聖約を記念するものである。
わたしはあなたがたに戒めを与える。あなたがたは、わたしが行うのを見たそのことをあなたがたも努めて行い、最後までわたしのことを全世界に証しなさい。
そして、この儀式を行う度に、あなたがたは、わたしが自分の務めの最後の時にあなたがたとともにおり、あなたがたとともにこの杯から飲んだ、この時を思い起こすであろう。
あなたがたによく言っておく。このことについて、あなたがたは証しなければならない。
わたしがやって来て、わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。


【動画】最初の聖餐式



【動画】最後の晩餐


イエス、裏切り者の名を言われる


マタイ26:21-25(ジョセフ・スミス訳),マルコ14:18-21,ルカ22:21-23,ヨハネ13:21-26


そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたの中のひとりで、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている 」。
弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、わたしですか」と言い出した。
イエスは答えて言われた、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。
弟子たちは、自分たちのうちだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。
弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者(ヨハネ)が、み胸に近く席についていた。
そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである 」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。

ユダ、席を立つ


ヨハネ13:27-30

この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい 」。
席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え 」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。

イエス、預言をされる


ヨハネ13:31-33

さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。
彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにもお授けになるであろう。
子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。

あたらしい戒め


ヨハネ13:34-35

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう 」。


【動画】最後の晩餐で話されたそのほかの教え


使徒たち、忠実であることを誓う


マタイ26:31-35,マルコ14:27-31,ルカ22:31-38(ジョセフ・スミス訳),ヨハネ13:36-38

イエスは言われた、「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがた王国の子らを麦のようにふるいにかけることを願った。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい 」。
シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
そして、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。主よ、どこへおいでになるのですか」。
イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう 」。
ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
イエスは言われた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくあなたに言っておく。今夜、鶏が二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないというだろう」。
ペテロは力をこめて言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
イエスは彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか 」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。
あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している 」。
弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい 」。


【動画】ペテロに警告を与え,執り成しの祈りをささげられるイエス


慰め主についての説教


ヨハネ14:1-31(ジョセフ・スミス訳)

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている 」。
トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである 」。
ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう 」。
イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。
イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。
これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
わたしはもはや、あなたがたに多くを語るまい。この世に属する暗黒の君が来るからである。彼はわたしを支配する力は持たないが、あなたがたを支配する力は持っている。
しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

賛美歌を歌う、オリブ山へ


マタイ26:30,マルコ14:26,ルカ22:39


彼らは、さんびを歌った後、
イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

使徒たちがキリスト、この世とどういう関係にあるか
イエスはぶどうの木


ヨハネ15:1-27

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。
もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。
もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。
それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

主の死の説明


ヨハネ16:1-33(ジョセフ・スミス訳)

わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。
人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
けれども今わたしは、わたしをつかわされたかたのところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。
かえって、わたしがこれらのことを言ったために、あなたがたの心は憂いで満たされている。
しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。
そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。
彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。
イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。
よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。
女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。
このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。
その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。しかし、それは、あなたがたに行なわれるだろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが、わたしの名によって、父に求めるものはなんでも、父は下さるであろう。
今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。
父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。
わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである 」。
弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。
あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。
イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている 」。

キリストの生涯と教え

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