2−1 ユダヤでの伝道

イエスが伝道を始められる


ルカ3:23

イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であった。

イエスの務めの最初の過越の祭、最初の宮清め
壊された神殿を3日のうちに建てる[たとえ]


紀元30年4月 ユダヤのエルサレム
ヨハネ2:13-25(ジョセフ・スミス訳)


さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。

そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、

なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、

はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな 」と言われた。
弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。
イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう 」。
そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。
過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。
しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。それは、すべての事を知っておられ、
また人のあかしは何も必要とされなかったからである。それは、何が人の心の中にあるかを知っておられたからである。


【動画】イエスと天のお父様の宮



【動画】イエスが神殿を清められる


ニコデモ、イエスを訪問する


紀元30年 ユダヤのエルサレム
ヨハネ3:1-21(ジョセフ・スミス訳)

パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない 」。
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである 」。
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。
イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。
よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。
天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである 」。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。以前、それは、わたしを証するために聖なる預言者たちの口から語られたものである。
そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。


【動画】ニコデモ



【動画】再び生まれることについてお教えになるイエス


イエス、ユダヤの荒れ野に行かれる


紀元30年 ユダヤの荒れ野
ヨハネ3:22

こののち、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らと一緒にそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。

ヨハネ、御子に対する信仰を説く


紀元30年 サマリヤのアイノン
ヨハネ3:23-36(ジョセフ・スミス訳)

ヨハネもサリムに近いアイノンで、バプテスマを授けていた。そこには水がたくさんあったからである。人々がぞくぞくとやってきてバプテスマを受けていた。
そのとき、ヨハネはまだ獄に入れられてはいなかった。
ところが、ヨハネの弟子たちとひとりのユダヤ人との間に、きよめのことで争論が起った。
そこで彼らはヨハネのところにきて言った、「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、やって来るすべての者を受け入れています」。
ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。
『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である。
花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。
彼は必ず栄え、わたしは衰える。
上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。
彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。
しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。
神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。そして神の完全な性質が彼に宿っている。
父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。
御子を信じる者は永遠の命をもつ。そして神の完全な性質を受ける。御子に従わない者は、命にあずかることがなく、神の完全な性質を受けないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

ヨハネ、投獄される


紀元30年 ペレアのマルケス
マタイ14:3-5,マルコ6:17-20(ジョセフ・スミス訳)ルカ3:19-20

ヘロデは自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、また自分がしたあらゆる悪事について、ヨハネから非難されていたので、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れた。
すなわち、ヨハネはヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
そこでヘロデヤはヨハネを恨み、ヨハネを殺そうと思ったが、できないでいた。
それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人で、神を恐れ、神への礼拝を遵守する人であることを知っていたからである。またその教えを聞く時には、彼のために多くのことを行い、喜んで聞いていたからである。

イエス、ユダヤを離れてガリラヤに向かう


紀元30年
マタイ4:12,マルコ1:14,ルカ4:14,ヨハネ4:1-3(以上ジョセフ・スミス訳)

さて、イエスは、ヨハネが獄に入れられたことを知って、天使たちを遣わされた。そして見よ、天使たちは来て、彼に教えと導きを授けた。
イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、またバプテスマを施しておられるということを、パリサイ人たちが聞いたとき、彼らはイエスを死に追いやる手立てを懸命に探した。多くの者がヨハネを預言者として受け入れたが、イエスを信じていなかったからである。主はこれを知っておられた。
しかし、主御自身、弟子たちほど多くはないが、バプテスマを施された。互いに尊敬し合うという模範を彼らに示すためであった。
そして、ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

井戸端のサマリヤの女


紀元30年 サマリヤのスカル
ヨハネ4:4-42(ジョセフ・スミス訳)

しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、
そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい 」と言われた。
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう 」。
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう 」。
女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。
イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい 」。
女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。
あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである 」。
女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。
わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
神はそのような者に、神の御霊を約束されたからである。だから、神を礼拝する物は、霊とまこととをもって礼拝しなければならない。」
女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである 」。
そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。
この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。
その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある 」。
そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。
イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。預言者たちが労苦してきてた。あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである 」。
さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。
そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである 」。


【動画】井戸のそばに来た女



【動画】サマリヤの女を教えられるイエス


イエス、ガリラヤの地に入られる


ガリラヤ
ヨハネ4:43

ふつかの後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた。

キリストの生涯と教え

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