モルモン書 序文



モルモン書

モルモンがニーファイの版から取って自分の手で別の版に書き記した記録

 したがってこれは、ニーファイの民とレーマン人についての記録を短くまとめたものである。――イスラエルの家の残りの者であるレーマン人、ならびにユダヤ人と異邦人にあてて書き記されたもの――戒めにより、また預言と啓示の霊により書き記されたもの――書き記され、封じられ、主に託して隠され、損なわれることのないようにされたもの――神の賜物と力によりもたらされ、翻訳されるもの――定められたときに異邦人によって伝わるように、モロナイの手により封じられ、主に託して隠されたもの――また、神の賜物により翻訳されるものである。
 これには、エテル書から取って短くまとめたものも含まれている。エテル書はヤレドの民の記録であり、ヤレドの民は主が民の言語を乱されたとき、すなわち民が天に達しようと一つの塔を建てていたときに散らされた人々である。――これはイスラエルの家の残りの者に、主が彼らの先祖のためにどのような偉大なことを行われたかを示すものであり、また、彼らはとこしえに捨てられないという主の聖約を、彼らに分かるように示すものである。――また、ユダヤ人と異邦人に、イエスがキリストであり、永遠の神であり、すべての国民に御自身を現されることを確信させるものである。――ところで、もし誤りがあるとすれば、それは人の犯した間違いである。したがって、キリストの裁きの座で染みがないと認められるために、神にかかわるものを非難しないようにしなさい。

   諸版よりの英語への原訳
     ジョセフ・スミス・ジュニア
   英文初版発行
     1830年、
     アメリカ合衆国ニューヨーク州パルマイラ

序文

 『モルモン書』は『聖書』と肩を並べる聖典である。この聖典は、アメリカ大陸の昔の住民に対する神の導きの記録であり、この書物には完全な永遠の福音が記されている。
 この書物は、昔の多くの預言者たちが啓示と預言の霊によって書き記したものであり、モルモンという名の預言者であり歴史家であった人物が、金版に書き記された言葉を引用し、短くまとめたものである。この記録は、偉大な文明を持つ2つの民のことを述べている。一つの民は、紀元前600年にエルサレムからやって来て、後にニーファイ人およびレーマン人として知られる2つの民に分かれた。もう一つの民はそれよりもはるか以前に、主がバベルの塔で言語を乱されたときにやって来た人々で、ヤレド人として知られている。しかし数千年後には、これらの文明の民はレーマン人のほかはすべて滅びてしまった。このレーマン人がアメリカインディアンのおもな先祖である。
 『モルモン書』に記録されている中で最も栄光ある出来事は、主イエス・キリストが復活後間もなく、ニーファイ人の間で親しく教え導かれたことであろう。また、『モルモン書』は福音の教えを宣言し、救いの計画の概要を説き、人がこの世で平和を得、後の世で永遠の救いにあずかるには何をしなければならないかを告げている。
 モルモンは自分の記録を終えると、それを息子のモロナイに渡した。モロナイは、自分の言葉を多少付け加えて、その版をクモラの丘に隠した。その後、1823年9月21日に、復活し栄光を受けた同じモロナイが預言者ジョセフ・スミスに現れて、古代のその記録について指示を与え、やがてそれが英語に翻訳されることを告げたのである。
 その後、時が訪れて、ジョセフ・スミスはその版を渡され、神の賜物と力によって翻訳した。そして、その記録は現在、イエス・キリストが生ける神の御子であられることを証し、またイエス・キリストのもとに来て、イエス・キリストの福音の律法と儀式に従うすべての人が救われることを証する、新たなもう一つの証の書物として、数多くの言語で出版されている。
 この記録について、預言者ジョセフ・スミスは次のように言っている。「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり、わたしたちの宗教のかなめ石である。そして、人はその教えを守ることにより、ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」
 主はジョセフ・スミスに加えて、ほかに11人の人々を、金版を実際に目にし、『モルモン書』が神から与えられた真実の書物であることを証する、特別な証人として立てられた。彼らの証は、「3人の証人の証」ならびに「8人の証人の証」として、この書物に収められている。
 わたしたちはあらゆる地に住むすべての人に、『モルモン書』を読み、この書物に含まれている教えを心の中で深く考え、そして、この書物が真実かどうか、キリストの名によって永遠の父なる神に問うようにお勧めする。この手順を踏んで、信仰をもって問う人々は、『モルモン書』が神から与えられた真実の書物であるという証を、聖霊の力によって得るであろう。(モロナイ書第10章3〜5節)
 聖なる御霊を通じて神からのこの証を得る人々は、その同じ力によって、イエス・キリストが世の救い主であられ、ジョセフ・スミスがこの終わりの時代の主の啓示者であり、主の預言者であることを、そして末日聖徒イエス・キリスト教会が、メシヤの再臨に先立って地上に再び設立された主の王国であることを知るであろう。

3人の証人の証

 この書物を手にするすべての国民、部族、国語の民、民族にこのことをお知らせする。わたしたちは、父なる神と主イエス・キリストの恵みによって、この記録が記されている版を見た。これはニーファイの民と、その同胞であるレーマン人と、聖典に述べられているあの塔から来たヤレドの民についての記録である。また、その版が神の賜物と力によって翻訳されたことも知っている。神の声がわたしたちにそのことを宣言されたからである。したがって、わたしたちはこの書物が真実であることを確かに知っている。また、その版に刻まれている文字を見たことと、それがわたしたちに示されたのは人の力ではなく神の力によることを証する。また、一人の天使が天から降って来て、携えて来たその版を目の前に置いたので、わたしたちはその版とそれに刻まれている文字を見たことを謹んで言明する。目で見て、これらのものが真実であると証するのは、父なる神と主イエス・キリストの恵みによるものであることを知っている。これはわたしたちの目に驚くべきことではあるが、主の声がこのことを証するようにわたしたちに命じられたので、わたしたちは神命に従ってこのことを証する。わたしたちは、キリストにあって忠実であれば、すべての人の血をわたしたちの衣から取り除いて、キリストの裁きの座で染みがないと認められ、キリストとともに天に永遠に住めることを知っている。一つの神である御父と御子と聖霊に誉れがあるように。アーメン。

   オリバー・カウドリ
   デビッド・ホイットマー
   マーティン・ハリス

8人の証人の証

 この書物を手にするすべての国民、部族、国語の民、民族にこのことをお知らせする。わたしたちは、この書物の翻訳者ジョセフ・スミス・ジュニアから、前述の金に見える版を見せてもらい、またスミス氏が翻訳を終えた部分を手で触れてみた。また、その版に刻まれている文字も見たが、それらはすべて、昔のもののようで、入念な造りに見えた。わたしたちは実際に目で見、手で持ち上げ、今語っている版をスミス氏が所有していたことを確かに知っているので、スミス氏がわたしたちに見せてくれたことを謹んで証するものである。そしてわたしたちは、自分たちが見たことを世の人々に証するために、各々の名を公にする。わたしたちは偽りを言わない。神がそのことを証される。

   クリスチャン・ホイットマー
   ジェイコブ・ホイットマー
   ピーター・ホイットマー・ジュニア
   ジョン・ホイットマー
   ハイラム・ページ
   ジョセフ・スミス・シニア
   ハイラム・スミス
   サミュエル・H・スミス

預言者ジョセフ・スミスの証

 預言者ジョセフ・スミスは、『モルモン書』が世に出されるに至った次第を、次のように述べている。

 「〔1823年〕9月21日の夜のことである。わたしは……全能の神に……祈って嘆願した……。
 わたしはこのように神を呼び求めていたとき、室内に光が現れたのに気づいた。その光は次第に明るさを増し、ついにその部屋は真昼の時よりも明るくなった。すると、すぐに一人の方がわたしの寝台の傍らに現れ、空中に立たれた。というのは、その足が床から離れていたからである。
 その方はこの上なく美しい白さの、ゆったりとした衣を着ておられた。それは、わたしがこれまで見たこの世のいかなるものにも勝る白さであった。この世のいかなるものも、これほど白く輝いて見えるようにすることはできないと思う。その方の手はあらわで、衣の袖は手首の少し上までで、その足もあらわで、衣の裾は足首の少し上までしかなかった。その頭と首も覆われていなかった。その方の胸が見えるほど衣がゆったりとしていたので、わたしはその方がその衣のほか何も着ておられないのに気づいた。
 その衣が非常に白かっただけでなく、その全身も筆紙に尽くし難い輝きに満ち、その顔はまことに稲妻のようであった。部屋は非常に明るかったが、その方のすぐ周りほど明るくはなかった。わたしは最初にその方を見たときに恐れたが、その恐れはすぐに去った。
 その方はわたしの名を呼び、自分は神の前から遣わされた使者であること、その名はモロナイであること、神がわたしのなすべき業を備えておられること、またわたしの名が良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられること、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られることをわたしに告げられた。
 その方はまた、この大陸の先住民の話と彼らの起源を伝える、金版に記された書が隠されていることも告げられた。また、それには救い主がその昔の住民に述べられたままに完全な永遠の福音が載っていることも告げられた。
 また、銀のつるにはめた2つの石も版とともに隠されていること――これらの石は胸当てに付けてあって、ウリムとトンミムと呼ばれるものを成す――これらの石を所有して使った者が昔すなわち前の時代の聖見者となったこと、ならびにその書を翻訳するために神がそれらを備えてくださったことを、その方は告げられた。

      * * * * * * *

 さらに、わたしがその方の語ったその版を受け取るとき――というのは、それを手に入れる時はまだ来ていなかったからである――その版や、ウリムとトンミムの付いた胸当てを、それらを見せるように命じられた人々のほかにはだれにも見せてはならない、もしも見せたならば滅ぼされる、とその方はわたしに告げられた。その方が版についてわたしと語っておられる間に、わたしの心に示現が開かれ、わたしはその版の隠されている場所を見ることができた。そして、それは非常に明瞭ではっきりとしていたので、そこを訪れたときにはその場所が分かった。
 この指示を受けた後、わたしが見ると、室内の光はたちまち、わたしに語っておられたその方の周りに集まり始めた。そして、光は集まり続け、その方のすぐ周りを除いてついにその部屋は再び暗くなった。その途端に、わたしが見ると、あたかも一筋の道が天に向かってまっすぐに開いたかのようで、その方は昇って行かれ、ついにその姿がまったく見えなくなった。そして、その部屋は、この天の光が現れる前の状態に戻った。
 わたしはその奇異な有様をつくづくと考え、またこの常ならぬ使者によって告げられたことを不思議に思いながら横になっていた。このように思いにふけっている最中に、わたしは、突然部屋が再び明るくなり始めたのに気づいた。そして、あたかも突然であるかのように、同じ天の使者が再びわたしの寝台の傍らにおられた。
 その方は語り始め、最初に訪れたときに述べたこととまったく同じことを少しも変えずに再び述べられた。それを述べた後、飢饉と戦争と疫病によるひどい荒廃を伴って地上に来ようとしている大きな裁きについてわたしに告げ、またこれらの厳しい裁きがこの時代に地上に来ることを告げられた。これらのことを述べた後、その方は再び前と同じように昇って行かれた。
 このときには、心に受けた印象が非常に深かったので、わたしは目がさえて眠れなくなっており、見たり聞いたりしたことへの驚きに圧倒されて横になっていた。ところが何とも驚いたことに、わたしはまたもや寝台の傍らに同じ使者を見、その方が前と同じことをわたしに詳しく語られるのを、すなわち、再び繰り返し語られるのを聞いたのである。そして、その方はわたしに一つの警告を加え、(父の家族は貧しい暮らしをしていたので)金持ちになるために版を手に入れるように、サタンがわたしを誘惑しようとするであろうと告げられた。そしてその方は、このようなことのないようにわたしに命じ、版を手に入れるに当たっては神の栄光を現す以外の目的を心に抱いてはならないこと、また神の王国を築こうとする動機以外のいかなる動機にも左右されてはならないこと、そうでなければそれを手に入れることはできないことを告げられた。
 この3度目の訪れの後、その方は前のようにまた天に昇って行かれた。そして、わたしはたった今経験したことの不思議さをまた深く考え続けた。その天の使者が3度目にわたしを離れて昇って行かれたのとほとんど同時に、鶏が鳴いたので、わたしは夜明けの近いことを知った。したがって、わたしは一晩中その使者と会見していたことになる。
 わたしはその後間もなく起きて、いつものように、その日にしなければならない仕事に出かけた。しかし、わたしは普段のように働こうとしたが、まったく働けないほど疲れ果てているのを知った。わたしと一緒に働いていた父は、わたしの具合が悪いのに気づき、家に帰るように言った。そこで、わたしは家に帰ろうとして出かけた。しかし、囲いを越えて畑から出ようとしたときに、すっかり力を失ってぐったりと地に倒れ、しばらくの間まったく意識を失っていた。
 わたしが思い出せる最初のことは、わたしの名を呼んで、わたしに語りかける声があったことである。見上げると、あの同じ使者が前のように光に包まれて、頭上に立っておられるのが見えた。それからその方は、前夜わたしに話したすべてのことを再びわたしに話し、父のところへ行って、わたしが受けた示現と命令のことを告げるようにと命じられた。
 たしはそれに従い、畑にいた父のところへ戻って、父にすべてのことを詳しく告げた。すると、父はわたしに、それは神から出ていると答え、その使者から命じられたとおりにするように告げた。わたしは畑を去って、版が隠されていると使者から告げられた場所へ行った。すると、それに関して受けていた示現が明瞭であったので、そこに着くとすぐにその場所が分かった。
 ニューヨーク州オンタリオ郡マンチェスターの村の近くに、かなりの大きさの丘が一つある。そこはその界わい切っての高い丘である。この丘の頂上から遠くない西側の所にかなりの大きさの石があって、その石の下にあった石の箱の中に版が置かれていた。この石は厚みがあって、上部の中央が丸みを帯びており、へりに行くに従って薄くなっていたので、その中央部は地上に見えていたが、へりはすべて土に覆われていた。
 わたしは土を取り除いて、てこを一本手に入れ、それをその石のへりの下に差し込んで、わずかな力でそれを持ち上げた。中をのぞき込むと、あの使者から言われたように、実際にそこに、版と、ウリムとトンミムと、胸当てが見えた。それらが納められていた箱は、ある種のセメントの中に石を置いて造ったものである。箱の底には、横向きに2個の石が置かれ、その石の上に版とその他の物が一緒に載せられていた。
 わたしはそれらを取り出そうとしたが、あの使者に止められた。そして、それらを出す時はまだ来ていないことを再び知らされた。また、そのときから4年たたないと、その時は来ないとのことであった。その方はわたしに、そのときからちょうど1年目にその場所に来るように、そうすれば彼がわたしに会ってくださること、また版を手に入れる時が来るまでわたしはそれを続けなければならないことを告げられた。
 それで、わたしは命じられたとおりに、1年ごとにそこへ行き、その度にあの使者にお会いした。そして、お会いする度に、主が何を行おうとしておられるか、また終わりの時に主の王国がどのように指導されるべきかに関して、その方から指示と知らせとを受けた。

      * * * * * * *

 ついに、版と、ウリムとトンミムと、胸当てを手に入れる時がやって来た。1827年9月22日、わたしがいつものように満1年目に、それらが隠されている所へ行くと、あの同じ天の使者が、それらを次の責任とともにわたしに渡してくださった。すなわち、わたしはそれらに対して責任を持たなければならない、もしわたしが不注意や自分の怠慢でそれらを失うならば、わたしは絶たれるであろう、しかしその方、つまりその使者がそれらを取りに来られるまで、わたしがそれらを保存するためあらゆる努力を尽くすならば、それらは守られる、というのであった。
 わたしは間もなく、なぜそれらを安全に保つためにそのような厳しい責任を課せられたのか、またわたしが自分に求められたことを成し遂げたときにそれらを取りに来るとなぜ使者が言われたのか、その理由が分かった。わたしがそれらを持っていることが知れるやいなや、わたしからそれらを奪おうとするあらんかぎりの努力が払われたからである。そのために思いつくかぎりのあらゆる策略が実行に移された。迫害は以前にも増して激しく、容赦のないものとなり、大勢の人が、できればわたしからそれらを奪おうと絶えず機会をうかがった。しかし、わたしが求められたことをそれらによって成し遂げるまで、それらは神の知恵によって、わたしの手の中で無事であった。そして、前もって定められたとおり、使者がそれらを取りに来られたとき、わたしはそれらを使者に引き渡したのである。そして、1838年5月2日の今日まで、その使者がそれらを管理しておられる。」

 記録の全文については、『高価な真珠』の「ジョセフ・スミス―歴史」ならびに『末日聖徒イエス・キリスト教会歴史』(History of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)第1巻、第1〜6章を参照していただきたい。

 このようにして、地の中から語る一つの民の声として地から取り出され、神の断言によって明らかなように、神の賜物と力によって近代の言語に翻訳されたこの古代の記録は、1830年に、THE BOOK OF MORMON(『モルモン書』)として初めて世に出された。

『モルモン書』についての概説

 『モルモン書』は、昔アメリカ大陸に住んでいた民の神聖な記録であり、金属版に刻まれていたものである。そしてこの書には、4種類の金属版のことが述べられている。

1、ニーファイの版。
小版と大版の2種類がある。小版には、特に霊的な事柄と預言者たちの務めと教えが記されており、一方大版は、大部分が世俗の歴史で占められている(ニーファイ第1書第9章2〜4節)。しかし、モーサヤの時代以後は、大版にも、霊的に際立って重要な事柄が記された。

2、モルモンの版。
モルモンがニーファイの大版から短くまとめた記事と、多くの解説文から成る。この版には、モルモンが書き継いだ歴史と、息子モロナイが付け加えた記事が載っている。

3、エテルの版。
ヤレド人の歴史を伝えるものである。モロナイはこの記録を短くまとめて、これに自分の解説を織り込み、「エテル書」という表題を付け、全体の歴史に組み入れて編集した。

4、真鍮の版。
紀元前600年に、リーハイの民がエルサレムから携えて来たものである。この版には、「モーセの5書……また、世の初めからユダの王ゼデキヤの統治の初めに至るユダヤ人の記録……また……聖なる預言者たちの預言」(ニーファイ第1書第5章11〜13節)が載っている。イザヤやその他、聖書の預言者や聖書に現れない預言者たちの言葉が、この版からたくさん『モルモン書』に引用されている。

 『モルモン書』は、一つの例外はあるものの、ほかはすべて各々主要な著者の名を冠した「書」として知られる15の主部すなわち区分から成っている。「オムナイ書」までの最初の6つの書は、ニーファイの小版からの翻訳である。また、「オムナイ書」と「モーサヤ書」の間に「モルモンの言葉」と呼ばれる挿入記事がある。これは、小版に刻まれている記録とモルモンが大版から短くまとめた記録をつなぐものである。
 「モーサヤ書」から「モルモン書」第7章に至る長い部分は、モルモンがニーファイの大版から短くまとめたものの翻訳である。また、「モルモン書」第8章から巻末までの残りの部分は、モルモンの息子モロナイが刻んだものである。モロナイは父の生涯について記録を終えた後、(「エテル書」として)ヤレド人の記録を短くまとめたものを作り、その後、「モロナイ書」として知られている部分を付け加えた。
 紀元421年、あるいはそれに近いある年に、ニーファイ人の最後の預言者であり歴史家であるモロナイは、昔の預言者たちを通じて神の声により予告されたとおりに、末日に明らかにされるように、その神聖な記録を封じ、主に託して隠した。そして紀元1823年に、当時復活していたこの同じモロナイが預言者ジョセフ・スミスを訪れ、後に、記録の刻まれているその版を彼に渡したのである。

 本版について――過去に出版された英文の『モルモン書』には、その本文に小さな誤りが幾つか残っていた。本版は、出版前の原稿と預言者ジョセフ・スミスが校訂した初期の版に合わせて、適切と思われる訂正を加えたものである。



【動画】モルモン書の出現