「漢字原子論」はハルペン・ジャック氏が1987年に出した「漢字の再発見」という本に書かれている説である。残念ながらこの本は今は絶版になっている。
「漢字原子論」では、基本的な漢字を漢字原子とし、それを組み合わせて他の漢字ができているとしている。しかし、漢字が他の漢字の組み合わせでできていることは、古くから言われている。紀元100年ごろ、許慎(キョシン)が著した「説文解字(セツモンカイジ)」では、象形文字と指事文字の基本漢字があり、それを組み合わせて会意文字と形声文字ができていると述べている。では、漢字原子論が従来と違っている点は何かというと、基本漢字を漢字原子と名付け、この数を308個に特定し、原子番号を付けたことである。
漢字原子がどういうものかというと、たとえば、「解」は「角」「刀」「牛」に分解でき、それぞれの要素には意味があるが、「角」を「ク」「冂」「土」に分解しても、それぞれの要素には意味がない。だから、「解」の場合、「角」「刀」「牛」は漢字原子であるが、「ク」「冂」「土」は漢字原子ではない。(「土」は別の字の中では漢字原子である)。この漢字原子の組み合わせでできた漢字を漢字化合物という。
漢字原子は従来の部首を言い換えただけではない。漢字原子と部首の間には根本的な違いがある。部首は辞書を引くための分類に過ぎない。単に字形の違いによって分類していることがある。そのため、部首の要素には意味のある場合とない場合がある。一方、漢字原子はそれぞれの要素に明確な意味がある。たとえば、「萬」の部首は「艹」(くさかんむり)であるが、この「艹」は草を意味するものではない。「萬」はサソリをかたどった字で、「艹」の部分は2つのはさみの部分である。だから、これを「艹」「禺」に分けずに「萬」の形で漢字原子としている。「若」も部首は「艹」であるが、これは踊る人の手をあらわすので、これも「草」をあらわさない。部首「亠」は、これ自体には何の意味も持たないので、漢字原子ではない。部首「亠」に属する「亡」「交」「京」はこれ以上分解できないので、これ自体が漢字原子である。
「漢字の再発見」という本には308個の漢字原子ですべての漢字を説明できると述べられている。そこで、私は常用漢字の約2000文字で検証してみた。結論は約9割の漢字は308個の漢字原子で説明できたが、残り1割は他の漢字部品を必要とすることが分かった。その結果は漢字化合物のページに載せている。
漢字化合物の表では308個の原子以外に必要であると思われる漢字原子は、頭にAを付けた番号で載せてある。また独立して存在しないが、漢字を構成する部品となっているものには、XXXという記号を付けている。
もしかしたら、ハルペン・ジャック氏に尋ねれば、Aを付けた文字も308原子で説明できるとおっしゃるかもしれない。機会があれば尋ねてみたいと思う。
白川説について
藤堂明保(トウドウ アキヤス)氏と
白川静(シラカワ シズカ)氏はともに漢字学では著名な方々である。しかし、二人の学説の間には違っている点が多々ある。
ハルペン・ジャック氏は藤堂明保氏から学んだそうだ。だから「漢字の再発見」は藤堂説にならっている。このサイトは「漢字原子論」の検証という立場から藤堂説を優先している。しかし、所々に白川説も入れた。その部分には「白川説では」と記している。
藤堂氏の説は、同じ発音の字は共通の意味を持つということ(単語家族)が特徴である。
一方、白川氏の説は、字の成り立ちを古代の宗教儀礼や呪術から説明することが特徴である。
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「漢字の世界」
用語解説
漢字の説明中に使われている専門用語について解説する。
仮借(カシャ)
ある事柄の単語に漢字がないとき、同じ音の漢字を借りること。
たとえば、「六」は元はテントを表す。6の意味は仮借である。
つまり、6を表す音が「六」の音と同じため、「六」を6の意味で
使うようになった。
音符
2つの漢字を組み合わせて漢字を作るとき、音を表す方の要素。
たとえば、「紅(コウ)」は「糸」と「工(コウ)」からなり、「工」が音符である。
この場合の「工」は音のみで意味はない。
べに色の糸を表す音が「工」の音と同じなため、「工」が仮借されて、
「工」と区別するために「糸」が付け加えられた。
梵語(ボンゴ)
サンスクリット語(古代インドの言葉)。
仏教用語で、漢字に音訳されたものが多い。
例)シャーキャ→釈迦。ブッダ→仏陀。
参考文献
「漢字の再発見」 ハルペン・ジャック著 祥伝社
「漢字源」 藤堂明保編 学習研究社
「常用字解」 白川静著 平凡社
「字統」 白川静著 平凡社