ブログ記事 言語 |
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愛知 (2005/03/26) |
日本では35年ぶりの万博、愛知万博「愛・地球博」が開催された。
地球を愛するという意味と、愛知をかけている。
前から気になっていたのが、この愛知という県名の由来である。
「哲学」は欧米では philosophia (フィロソフィア)と言うが、
これは philo(愛する)と sophia(知る)とに分解できる。
つまり知を愛するということが philosophia (哲学)の由来である。
これと愛知には関係があるのか、とても気になっていたが、
なにもしていなかったので、今回調べてみた。
これは愛知県のサイト
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/koho/0000007714.html
ここでは、愛知の名は年魚市潟(あゆちがた)に由来するといわれ、
「あゆち」が「あいち」に転じて愛知になったと書かれている。
でも、なぜ「愛知」という字が当てられたかは書かれていなかった。
このことについて、情報を探したが見つけきれなかった。
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一寸の虫にも五分の魂 (2005/04/27) |
このことわざの意味はわかるのだが、
使われている単位が昔のものなので、
感覚としてわからない。
そこで調べてみた。
寸というのは長さの単位で約3センチ。
分というのは、長さの単位だと思ったのだが、
分は寸の10分の1なので、
5分は1.5センチということになり、
ことわざの意味とは違ってくる。
たぶんこれは通貨の単位だろう。
分は1両の4分の1である。
江戸時代、1両で米が1石(約150キログラム)
買うことができたようだ。
現在、米10キログラムが3600円程度なので、
1両は現在で54000円になる。
5分は67500円になる。
現代風に言えば、
「3センチの虫にも67500円の魂」だ。
ちなみに7センチのオオクワガタは5000円ほどだそうだ。
五分というのは、五分五分で引き分けと言うように、
人の魂も虫の魂も対等という意味であるとの説も有る。
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月刊「言語」2006年11月号 (2006/10/24) |
月刊「言語」2006年11月号の特集は「人工言語の世界」だ。
エスペラントについても触れられているようなので購入した。
エスペラントについて書かれていた記事は、
「エスペラントに文学は可能か」(渡辺克義氏)と
「人工言語と自然言語」(金子亨氏)
驚いたのは、人工言語ミニ辞典に「ノシロ語」が取り上げられていたこと。
実に4ページに亘って内容が紹介されている。
とうとう「言語」に取り上げられるようになったのかと、しみじみ思う。
古くからのネット・エスペランティストには有名な人工言語だ。
というのは、ニフティーのエスペラント・フォーラムに、
96年7月ころ作者の水田扇太郎氏が宣伝を始めたからだ。
以下がそのときの引用。
水田扇太郎 新時代の人工言語ノシロを一月で修得しよう
96/07/25 12:03
新時代の人工言語ノシロを一ヶ月で修得しよう
日本生まれの人工言語ノシロを楽しみながら世界に普及させましょう。
ノシロは英語やエスペラント語には見られない合理性と真の国際性を
もっています。
●アジア人も、欧米人も、共に親しめる文型と文法。
●不規則変化や無意味な例外が無いので、修得も翻訳も驚くほど簡単。
●単語の多くは各国言語から採用してある為どの国の人も親しみを
感じられる。
●これまで学んだ英語や日本語を十分生かすことができ、
単語の流用も可能。
●日常会話から先端科学の論文まで、ノシロは難無くこなします。
文明を作り上げて来たのは英米人だけではないのに英語一辺倒が
続いています。そのため非英語圏の人は英語圏の人といつも不利
な立場でつき合いをしなければなりません。エスペラント語も結局は
欧米の言語に基づいて作られたもので、アジアの言語は蚊帳の外に
置かれたままです。ノシロはこうした問題点をきれいに解決してしまう
新時代の人工言語です。
その後、ノシロについて大きな論議が続いたわけである。
欧米だけでなく、世界中に公平な言語ということで、最初は興味を
ひかれたが、歌い文句に反して、作者が日本語と英語しか知らない
ようで、まだまだ未熟な言語に感じた。そういうわけで、私はそれ
以上の興味を抱かなかったので、その後、すっかり忘れていた。
今はもっと進化したかもしれないが、今回の「言語」での解説を見
た限りでは、まだ、学んでみようという気が起こらない。たとえば、
子音の無声音と有声音の区別がまだあるようで、無声音と有声音の
区別のない中国語や韓国語を母語とする人には不利な仕組みを残し
ている。世界中に公平な言語という歌い文句はまだ実現されていない。
まだ言葉遊びの領域を脱していないようである。
地球語やLoCoSなどの表意文字を使った言語もなかなか面白い。
しかし、絵にしやすい概念ではその文字を見て単語の意味を理解
しやすいのでいいが、そうでないものは、かえって、いちいち、
別々の文字を覚えていかなければならないので不便である。
すべての単語に対して表意文字を考えるのが一苦労で、何らかの
限界を抱えているように感じる。新しい単語が出てくるたびに、
だれかが表意文字を考えなくてはならず、言語の自立的な発展は期
待できない。エスペラントのように外来語を簡単に取り入れられる
仕組みがなくてはならない。
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簡易日本語 (2006/10/29) |
前回、人工言語についての話をしたが、今回は「簡易日本語」の
話をしたい。「簡易日本語」は実際に存在する言語ではなくて、
井上ひさしさんの劇「国語事件殺人辞典」の中で、劇中の人物が
作って広めようとした言語である。
面白いので、その言語仕様を、劇の文中から拾ってみる。
簡易日本語の文法
21世紀の世界語である「簡易日本語」には文法規則は次の5つ
しかありません。
1)動詞、形容詞、形容動詞、助動詞に一切、活用はありません。
すべて終止形だけといたします。
2)終止形からすべて「~ます」「~です」に続けて行くのです。
つまり簡易日本語では四段活用だの上一段活用だの下一段活用
だのを覚える必要がありません。
3)命令形は、終止形に「~ませ」を付けます。
例「起きるませ」「寝るませ」「食べるませ」
4)可能表現は「(終止形)ことができるます」で表します。
5)否定表現は「(終止形)ません」「(終止形)でせん」で
表します。
なお、この簡易日本語では、使用頻度の多い、ごく普通の語を二千語、
使用いたします。人間の生活に二千語以上のことばは不必要であると
信ずるからです。
日本人の生活には、動詞が47個あれば充分です。しかもその47個
の動詞は活用させてはなりません。辞典に載っているままの形、すな
わち終止形で用います。さて、その47個の動詞は以下のとおりです。
する、ある、行く、来る、生きる、死ぬ、得る、与える、作る、壊す、
取る、寝る、起きる、押す、引く、伸ばす、縮める、送る、関わる、
かかる、属する、貸す、借りる、食べる、吐く、いじる、孕む、生む、
落とす、・・・
たとえば、こぼす、くだす、したたる、垂らす、降る、ずりさがる、
散る・・・といった、つまり物体物質の下に向かっての移動はすべて
「落とす、落ちる」で代表させようというのか。
1841個の名詞は、みんな普通名詞です。固有名詞や専門用語は、
話は別です。
架空の言語なので、今回は、批判をすることはしない。
詳しくは知らないが、井上ひさしさんは、エスペランティストらしい。
エスペラントがこの作品のヒントになったようである。
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今年の冬は暖かいでした (2007/03/21) |
私は「い」で終わる形容詞に「です」を付ける言い方に違和感を感じる。
たとえば、「今年の冬は暖かいです」という言い方である。
とても、幼い子の言い方に感じる。
でも、そう思いながらも、私もついこの言い方をしてしまう。
形容詞で終わる文の丁寧な言い方で、他に適当ものがないからである。
この言い方に違和感を感じない人も「暖かいでした」という
言い方には違和感を感じるはず。
普通は「暖かかったです」と言う。過去を表す「た」は、
一番後にもっていくのが普通なので、この言い方は例外である。
伝統的な言い方は「暖かくあります」や「暖こうございます」なのだが、
長くなるので、「暖かいです」が使われるのだろう。
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