トルストイとエスペラント

エスペラントの学習の容易さを説明するとき、よく出されるのが、
ロシアの作家トルストイがエスペラントを2時間で習得した話である。

この話の元ネタはこうである。

  1894年4月27日付、「ポスレードニク」というロシアの出版社への手紙

  「エスペラントの学習がやさしいことは、私が6年前、
  エスペラントの文法、辞書、論文をうけとったとき、
  2時間たらずそれに没頭しただけで、まだ書けないにしても、
  自由に読むことができた、ということでもわかります。」

  エスペラントの単語は、ヨーロッパの各言語から寄せ集めて作られている。
  トルストイは、ヨーロッパのいろいろな言語に通じていたので、
  エスペラントで使われている単語はすぐに理解できた。
  単語を覚える時間が必要なかったので、2時間かけて文法事項を学んだだけで、
  すぐ読めるようになったのである。
  日本人の場合は、単語を覚える必要があるので、2時間というわけにはいかない。
  しかし、英語と比べると、学習にかかる時間ははるかに少なくてすむ。
  平均的な日本人や中国人の場合、2000時間にものぼる英語学習を経ても、英語
  を実際に使えるようになるだけの十分な知識を得られないが、エスペラントの
  場合は平均250時間の教育を受けると、発音の問題もなく、英語よりはるかに
  上手に話せるようになることがわかっている。

この他、トルストイのエスペラントに対するコメントには次のものがある。

  「私は人間が互いに理解しあう上に、ただ外面的な障害から、
  にくしみあう場面をたびたび見てきた。
  エスペラントを学び、それを広めることは、疑いもなく、
  人生の唯一の主要目的である、神の国の創造に役立つキリスト教的な仕事だ。」

  「私は常に思っているのだが、言語の学問、人類のもっとも多くの大衆の連絡と
  共同とを可能にする学問よりも、キリスト者的な学問はない。」

  「私は共通なヨーロッパ語(エスペラント)の学習はおおいに必要なことだと思う。
  私は及ぶ限り、その言語の普及に努力し、なおまた、いっそう大切なこととして、
  その必要性(意義)について、すべての人々の説得に努力しましょう。」

  「『エスペラント』が何を象徴しているか知っている人なら誰でも、
  エスペラント語の普及を進めないことに、背徳の念を感じるはずだ。」

エスペラント界におけるトルストイがからんだ出来事としては次のものがある。

  1895年にトルストイが"La Esperantisto"誌に書いた二つの論文
  (「理性か信仰か(Prudento au^ kredo)」他)がもとで、帝政ロシアの検閲が、
  ドイツのニュールンべルクで出版されていたその雑誌の輸入を禁止した。
  当時はエスペランティストの3分の2がロシアにいたため、
  エスペラント運動は強い打撃を受けた。

  トルストイは当時、政府批判をしていたため、ロシア政府から危険視されていた。
  そのため、トルストイの論文を載せた"La Esperantisto"誌も輸入禁止になった
  のである。

トルストイをエスペランティストとする人もいるが、
トルストイはエスペラントでは文学作品を作らなかった。
しかし、エスペラントのために、論文は書いていたようである。

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