あとがき

この「でんし共産制社会」ではマルクス主義の用語を使っています。しかし、
私は共産主義を信奉していません。私は社会主義の独裁者たちがどのような酷
い事をしてきたのかを知っていますので、社会主義に対しては否定的な意見を
持っています。では、なぜマルクス主義の考え方をこれに取り入れたのかお話
しましょう。

私は昭和40年の生まれですから、学生運動など、共産主義的な思想に触れる
機会は全く有りませんでした。私がマルクス主義をかじったのは、勤め始めて
からです。会社の先輩が若い頃の学生運動の思い出を語るのを聞き、興味を持
ったからです。その結果、共産制社会を築くための方法論は間違っていたかも
しれないが、弁証法と言う考え方は優れていることに気づきました。

弁証法は物事を認識するための分析手法です。簡単に言えば物事を動的に見る
ことです。(詳しくは「弁証法」を参照ください。)簡単そうですが以外に難
しいのです。たとえば、ずっと続いている不景気の原因について見てみましょ
う。

多くの人は不景気の原因は銀行の不良債権だと言っています。この問題さえ解
決すれば、景気は回復に向かうと言うのです。しかし、これは違います。物事
を弁証法的(動的)に見ることができないと、このような間違いを起こしてし
まいます。今、目の前に起こっている問題しか目に入っていないのです。もと
もと、バブル景気が起こったのは、工業が飽和したからです。工業に投資して
も成長が見込めないので、当時、絶対下がることのないと信じられていた土地
に投資が集中したのです。

ある政治家は3パーセントの経済成長ができるようにすると目標を掲げていま
す。これも弁証法ができていないことから来る誤りです。この強制的な成長こ
そが工業の飽和の原因なのです。資本主義のシステムは絶えず成長しないと破
綻します。しかし、やがて成長の限界がきて破綻するのです。これはねずみ講
のようなものです。根本的な解決は成長を強制されなくてもうまくいくシステ
ム、つまり、自由貨幣制度を導入する以外にはありません。弁証法ができてい
ると、このことが解るのです。

長野県の田中康夫知事は「しなやか政治」を目標にしていました。記者から
「しなやか」の意味を聞かれて、田中知事は「弁証法ができている事です。」
と答えました。さらに解らなくなった人が多いと思いますが、とてもいい説明
だと私は思いました。弁証法ができていないと現在の日本社会で起こっている
事の正しい認識はできません。しなやかな対応ができないのです。

そういうわけで、このサイトでは弁証法や史的唯物論(生産力の向上が社会の
構造を変えるという考え)を取り入れています。

今までの共産制への移行のシナリオは次のように考えられていました。
    1、資本主義のもつ成長の強制により、資本主義は自ら破綻する。
    2、恐慌、貧困、戦争がおこる。
    3、たまりかねた民衆が革命をおこす。
実際、これは20世紀前半に起こりました。この社会は暴力により生まれ、暴
力により維持されました。ソビエト連邦のスターリン、中国の毛沢東、カンボ
ジアのポル・ポトなど独裁者たちは暴力に頼りました。しかし、結果として、
この社会はうまくいきませんでした。

実際の共産制への移行のシナリオはもっと違ったものになるでしょう。暴力で
はなく、電子や遺伝子の情報技術、NPO、自由貨幣制度の3つが社会を共産
制へ牽引するだろうと思われます。

「共産制」というマルクス主義の言葉が嫌いな人は別な言葉を使ってもよいで
しょう。共同体社会、共生社会、ニューエコノミー、新資本主義など、現在、
いろんな呼ばれ方をしています。わたしは、原始共産制とでんし共産制のごろ
がよいのが面白いので使っていますが、共産制という言葉にはこだわりはあり
ません。いずれ一つの言葉に落ち着くと思います。

社会は自由と平等と友愛の3つがバランスを持って保たれなければなりません。
資本主義社会では、自由であるが不平等で、愛より利己的な欲望に満たされた
社会です。社会主義社会では、平等であるが不自由で、愛より暴力で維持され
る社会です。今後は、これらの欠点を克服した、新しい社会・経済構造が生ま
れることは確かです。企業(自由)、政府(平等)、共同体(友愛)がバラン
スをもって機能する社会です。その兆しが今、見え始めているのです。

でんし共産制社会
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