大量消費社会

工業製品は、物理的な場所を占めるため、ある程度まで売れると、それ以上売
れなくなります。しかし、企業はそれでは困るので、何とか買ってもらおうと
いろんな手段を講じます。今あるものを捨てさせることによって、新たな物を
買う余地を造ります。このように必然的に大量消費社会となってしまうのです。

消費させる手段としては次の方法があります。

新機能追加、モデルチェンジなどをして、古いものを陳腐化させ、新しいもの
を欲しがるようにさせます。また、いろいろな用途別に製品を細分化したり、
多彩なデザインを用意することによって、同じ物をいくつも買わせることがで
きます。省エネ、エコロジー製品も、実はこのこれらの例に入ります。より自
然にやさしい製品に替えさせることによって、自然にやさしくない製品を捨て
させているのです。

商品の使い捨て化(消耗品化)によって、どんどん買わせる方法があります。
割り箸、紙おむつ、100円ライター、レンズ付きフィルムなどがその例です。
資産的製品から消耗品的製品への傾向が最近見られるのはこのためです。

ソフトウェア製品も今までは会計システムや給与システムのように長年使い続
ける資産的製品が主流でした。それが飽和状態になってきて、短期間に使われ
てすぐ捨てられるデジタル・コンテンツ(電子著作物)へと主流が移行し始め
ています。

ローンやクレジットによって、今お金が無くても物を買わせるという手もあり
ます。結構この方法で物を買っている人が多いので、今の社会をローン社会と
呼ぶ人もいます。

リースやレンタルも有効な手段です。企業では、設備投資を買い取りではなく
リースで行っているところも多くなってきました。設備投資資金を融資してき
た銀行も、その本来の役割の範囲が狭くなり始めていて、リースなど多角的な
経営を余儀なくされています。レンタルはあまり長期的な使用をしないものを
手に入れるのに有効な手段です。ビデオテープ等どうせ買っても、1回ぐらい
しか見ないと思われるものは、わざわざ買わなくてもレンタルで済ませること
ができます。

食物を大量消費させるために行なわれているのは食肉化です。穀物はそのまま
ですと、一人は一人分の穀物しか消費できませんが、牛に穀物を食べさせて、
その牛を人が食べるという方法をとれば、一人が10人分の穀物を消費できま
す。現在、生産される穀物を動物ではなく、全て人にまわせば、100億人を
養うだけの量があります。60億人の世界人口を養うには余りありというとこ
ろです。それでも世界には飢えている人がいるというのは、物は必要としてい
る所に集まるのではなく、お金のあるところに集まるという現在のシステムが
もたらしている現象です。

個人と家庭の備え

政府も企業ももっと消費をするように言っていますが、むやみな消費の結果、
私たちが、一文無しになっても、誰も責任を取ってはくれません。自分の家庭
は自分で守らなくては行けません。将来の危機に備え、蓄えをするのは、個人
の責任なのです。政府がどうにかしてくれるなどとは考えてはいけません。

この低金利の時代、世間は、どんどん借金をしても大丈夫だといっていますが、
これには落とし穴があります。国際化の時代においては、資本も物も自由に世
界をかけめぐり、自由に国境を越えてきます。そのことによって、内外価格差
が平均化されると、物価の高い日本の物価は下がります。つまりデフレが起こ
ります。物の価格が下がるということは、金銭の価値が上がるということです。
金利が4%でも、デフレ率が6%であれば、実質金利は10%あることになる
のです。この変革の時代においては通貨の価値が安定しているという前提は捨
てなくてはなりません。それにも増して、失業の多い時代です。むやみに借金
をするのは控え、今ある借金はなるべく早く返すよう努めるべきです。

蓄えは、金銭だけでなく、物資(食料、燃料、衣料)という形でもしておくべ
きです。災害や戦争などにより、物資が手に入らないことが起こりうるかも知
れません。そのような状況では、金銭を持っていても、意味がありません。で
きるならば、1年分の物資を蓄えるのがよいでしょう。

物資による蓄えは、同時に、不況対策にもなります。貯蔵物資を購入するとい
う行為が一見、消費の形を取るからです。

でんし共産制社会
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