武蔵武士(渡邊・八代編)

上編  第一章
(武蔵武士 渡邊世祐・八代国治著 より転記 )

諸   言

大和魂と武士道・・・武士道と国民道徳・・・武士道国民一般に普及す・・・ 滔々とうとうたる浮華軽佻ふ かけいちょうの俗

・・・歴史と国民教育・・・武蔵は天府の地・・・武蔵武士と正史野乗・・・武蔵武士と青年

秀麗しゅうれい なる山、清冷なる水によりて涵養かんようせられたる我が国民は、古来より秋霜烈日しゅうそうれつじつ の如く凛乎りんことして動かし難き特種の国民性を有せり。これ所謂大和魂にして、中古以来武士によりてひたす ら伝承せられ、発達奨励せられたるを以て又武士道と称す。武士道は我が国民固有の道徳なれども、時勢に従ひ境遇に依り、自ら表顕の形式を異にす。 然れども其実体精神に於ては古今一貫していささかも変ずることなし。脊きに一朝明治維新の変革により封建制度は瓦解し、 武士たる階級は全く亡びしも、尚ほ其固有の道徳は依然として国民の間に存在せり。初め時勢の変革により未だにわか に之を彰顕しょうけんする能はざりしも、五ヶ条の勅諭ちょくゆを軍人に賜はりて、先づ将卒の 遵奉じゅんぽうすべき道を定め、更に教育勅語によりて国民の帰饗き きょうする所を明ならしめたまひしかぱ、 武士道は上下の間に唱道しょうどうされ、広く普及するに至りぬ。而して日清日露の両戦役によりて、この玲瑞れいずい たる国民性は十分に発揮宣揚せんようせられたりき。然るに今や維新の鴻図こうとようやを結びじつげ、雄を天下に称せんとするに当り、やや もすれば戦勝の余栄に眩惑げんわくして、漸く浮華軽佻ふかけいちょうの俗をなし、凛乎たる士風は日に地を払はんとす。 是に於てか為政者、教育者は勿論、至誠しせい国家をうれふるの士は、共に寒心憂慮かんしんゆうりょ せざるなし。

この秋に当りて宜しく一般の国民を指導し、之をはせて武士道の発揮宣揚につとめしむるの としては、父祖がかつたいしたる勲績偉行くんせき いぎょう喧伝けんでんせしめ、国民をして共に大に発憤、興起せしめ以て反正の力を与ふるに若くはなし。昔右大臣菅原道真、其母の膝下にありて 「久かたの月の桂を折るばかり家の風をも吹かせてしかな」の歌を聞きて、歴代文章博士の家たるに感激し、彼の如き偉人となり、 遺徳いとく後昆こうこんに垂れたりき。又伊操守源義経は、其幼時鞍馬山にありて、 光輝こうきある家系を見て大に感奮かんぷんし、武略非凡なる武人となりたりき。 仏蘭西ふらんすナポレオンは「歴史と数学とを以て国家を治むるを得べし」と自覚し、 終に欧洲蕩平とうへいさくして其覇権を握りたりき。 我が邦上下二千年の間、父祖が胎したる勲績偉行はあきらかとして国史の上に異彩を放ちぬ。宜しくとっ て以て発憤反正の資となすに足るべし。

そもそ昔時(せきじつ) の武蔵は、月影の草より出でて草に入る広漠(こうばく)たる平野にして、右に洋々たる坂東太郎の長江を たたえへ、左に溶々ようようたる多摩の清流を控ひかえへ、常に深碧しんへきの色を湛へたる荒川は、 中央を貫流して潅漑の利、水利の便普びん  あまねく、土地肥沃豊饒  ひ  よくほうじょうにして耕耘こううんに宜しく、 又牧畜に適す。而して秩父の峻嶺翠峰しゅんれいすいほうは相連りて其西境をし、両毛の赤城、日光、男体等の峯轡婉々ほうひえんえんとして遠く 北背ほくはいを限りて、自然の屏障へいしょうとなり、天然形勝の地たり。真にこれ天府の地と云ふべし。往昔おうせき皇族以下国司として 任に此地に来る者は、多く空閑くうかんの地を開墾して庄園を起し、牧場をかんして土着し、住人となり、 やがては武士となりぬ。而してこれ等の武士は、自然の感化、天然の影響をこうむりて自ら 勇健澗遠ゆうけんかんえんの性情を養ひ、尚武しょうぶの風、義侠ぎきょうの俗をなし、 従て彼等の中より幾多の英傑俊材彬々えいけつしゅんさいひんぴんとして輩出し、栄誉ある武名を国史に胎しぬ。これ等の 俊傑しゅんけつの勲績偉行は、正史は勿論稗史野乗もちろんはいしやじょうに於てもひろ 喧伝せられ、世道人心を稗益はいえきする所少なからざりき。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。山河の形勢旧態を改めず、天然の利依然として変ずるなきに、勇健澗遠の性情、 尚武義侠しょうぶぎきょうの習俗は、日に薄らぎ行んとす。往昔俊傑が弧々ここの声を揚げ、 幼時嬉々ききとして遊び戯れ、 心身を鍛錬し、弓馬きゅうばの術を練磨れんましたりし地に生れ、 日夕にっせき遺趾いし目堵めどし、 其遺物に親灸しんきゅうするの士は、其祖先が垂れたる武士道の精華、国民の模範にのっとり、 すべからく自ら鑑み、発憤興起反正して華を去り実に就き、 凛乎たる士風の養成に努めざるべからず。

(つづく)