系図の検討
児玉黨の系譜と系図(本庄市史 通史編 Ⅰより転記)
 系図の検討(物部氏の流れ)

児玉党の起源を物部連の系統とする説は、『医道系図』などから導かれている。この系図は、
まず第一に、維行の父に 維能これよしがおり、内大臣藤原伊周の家令であったということ、そして、維能の父、つまり維行の祖父にあたる 刑部丞維広ぎょうぶのじょうこれひろが関白道隆の家司であったということ、従って、維広・維能親子がそれぞれ藤原道隆・伊周親子に仕えていたということに特色がある。
第二の点は、起源を物部氏の始祖の 天忍穂耳命あめのおしほみのみことの子 膽杵磯丹杵穂命いきしにきほのみこと(神 饒速日命たけはやひのみこと)に結びつけている。
第三の点は、その後裔の丈部氏道はせつかべうじみち 宥道宿禰ありみちしゆくねの姓を賜ったとしていることである。
それは『続日本後記』に仁明天皇 天長一〇年(833)二月の項に
   二月丙子。常陸国筑波郡人散位正六位上初丈部長道。一品式部卿親王家令外従五位下丈部氏道。下総少目従七位下丈部継道。左近衛大初位丈部福道四人、姓有道宿祢を賜る。
とあるように、この時、丈部の四人が有道宿祢の姓を賜わっている。
ところで、この丈 部はせつかべは律令時代の諸氏を収録した『 丈部 新撰姓 氏録はせつかべ しんせんしょ うじろく』(『群書類住 雑記』)に、
丈部左京皇別下天足産国押人命孫 比古意祁豆命之後也
丈部首    武内宿禰男紀角禰之後也
丈部山城国神別  鴨縣主同祖。鴨建津身命之後也。
とある。そして、同書の末定雑姓和泉国に「丈部首 膽 杵 磯 丹 杵 穂 命い き し に ほ&bnsp; のみこと(神 饒 速 日 命たけはやひのみこと)之後也。」とあり、丈部・大部首を物部氏としている。
太田亮『 姓氏せいし家系大辞典』には

丈部はせつかべとは、もと馳使部はせつかべにして配下として馳使せしなるべければ職業的 品部ともべ と見るべきなれど、多くは安部氏配下の氏なりしが如く」とあり、丈部は安部氏が私有した部曲ともべで、東国から奥州に多く分布しているとある。
この有道宿祢氏道の六代あとに維広がある。注記に「刑部丞 中関白家司 正六位上 正暦四年十一月廿三日死五十三歳」とあり、藤原伊周の父道隆(中関白)の家司(事務をつかさどる職員)としている。 維広は、また、武蔵守となった平公雅(天慶五年任)の娘を妻とし、 維中と維能の二人が子として系図に記載されている。そして維能の後裔が児玉党となるわけである。維能は、系図によると、 長徳元年(995)二月藤原伊周の家令(家務や会計を管理した人で、家司がおかれてからは有名無実となる)となったが、 翌二年二月解職されている。この時期は、伊周が道長に出し抜かれ、 九州の太宰府に流される寸前である。そして武蔵権介になった。武蔵守の平公雅との親戚関係によるものであろうか。いずれにしても、 有道維広・維能が藤原道隆・伊周 の二代に仕えたというのがこの系図の特徴とするところである。こうしてみると、 此の系図は前記の藤原伊周に出自を求めた系図より、無理なく編まれているようである。児玉黨の初期の姓が、有あるいは有道であり、 有道宿禰氏道から継がれている事、そして氏道のでた丈部氏が安部氏とともに東国に早くから移住して活躍して古代氏族であることなどからして、此の系図の方が説得力がある。しかし、児玉黨の起源を此の系図に求めることについては、維行の父維能、維能の父維広の実在が確認されていない現状では、 一応、合理的な系図であるということに留めておく方が無難であると考える。
    以上 本庄市史 通史編Ⅰ p625~627
上里町の「有道系図」によると、天平神護二年(七六六)船瀬ふなせと見るべきなれど、多くは安部氏配下の氏なりしが如く」とあり、丈部は安部氏が私有した宿尼すくね 十一世の孫、外正六位上群擬丈部ぐんぎはせつかべ小牧万呂は郡大領に任ぜられている。
物部の船瀬宿尼ふなせすくねと見るべきなれど、多くは安部氏配下の氏なりしが如く」とあり、丈部は安部氏が私有した宿尼すくねの子孫は丈部となり、筑波郡に住居を移して郡司となっている。
丈部は埼玉県稲荷山古墳の金象嵌の太刀銘にある丈刀人と同じものである。
全国の軍事的要衝に配置され、その大部分は関東とその周辺にある(『姓氏家系大辞典』)。これは対蝦夷作戦に配置された屯田兵であった。その長は国司を上廻る権力がといわれる。
天応元年(七八一)十月十日小牧万呂の子丈部稲守は、アルテイの乱により、軍輸軍糧として陸奥へ行き外正位上に叙せられている(『続日本紀』)「有道系図」)。

ともべ【品部】

1   大化前代、伴造(とものみやつこ)に管掌されて、種々の職能をもって朝廷に勤仕する人々の集団。各地に居住して農民と生活し一定の品を貢納するものや、定期的に朝廷に出仕して労役に服するものなどがある。貢納物や職能の名を冠して呼ばれ、 また、管掌する伴造の名を冠して呼ばれることもある。伴造の勢力の強い時にはその私有民の様相を呈していた。大化の改新で解放されて大部分は公民となった。しなべ。
2  大化前代の遺制が律令制に組込まれて諸官司に存置された技術者の集団。また、特別の職務に従事する者の集団。官司の中に伴部と総称される専従者が置かれ、これに指揮されて生産・労役に従事する。身分的に公民よりも下で良民と賤民の中間。たとえば、 大蔵省に百済手部一〇人・狛部六人があって、それぞれに百済戸・狛戸が属し、典鋳司には雑工部と称する一〇人の伴部を置き、これに雑工戸が属していた。しなべ。

はせつかべ【杖部・丈部】

大化前代、部民の一つ。阿倍氏の私有した部曲(かきべ)か。東国・東北地方に多く居住した。また、その子孫。

かきべ【民部・部曲】

律令制以前の臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)、村主(すぐり)等の豪族の私有民。大化改新以後、特に天武朝ののち公民とされた。かき。

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