下記「藤原氏及び庄家略系図」は「談山神社の藤原氏略系図」と「岡山の庄氏略系図」から引用したものである。
平成14年4月15日初めて法隆寺、藤ノ木古墳、談山神社(http://www.tanzan.or.jp/)などを訪問。

藤原氏及び庄家略系図

↓国経
↓遠経・・良範・・住友
基経(良房養子)
↓高経・・惟岳・・倫寧・・(右大将道綱母)
↓豊成・・継縄・・乙叡 ↓鳥養→小黒麻呂→葛野麻呂↓長良・→・高子(清和女御・陽成母)
↓定恵(多武峰開基)仲麻呂(恵美押勝)↓時信・・維遠(二階堂) ↓祐次・・祐経(工藤)・・祐成↓顕忠・・→元輔
鎌足・→・不比等→・武無智麻呂(南家)・→・乙麻呂・→是公・→雄友・・(5代略)・・時理・→・ 維景(狩野)・・(2代略)・・家次・→・祐家・・祐近・・祐道・・時宗・・永手
↓保忠
氷上娘(天武帝夫人)↑巨勢麻呂家光(工藤)↓時平・→・敦忠
五百重娘(天武帝夫人)↑貞嗣・・(6代略)・・実範・→・季兼・・ 秀範(熱田大宮司)↓真夏↓兼平↑褒子(宇多后)
耳面刀自(大友皇子紀)↑季綱・・実兼・・ 通憲(信西)↓仲平
房前(北家)・・→・・→・・→ ・・→・・→・・→・・→・真楯・・内真呂・・冬嗣・・・良房・・ 基経→・・忠平 ・・→→・・・

↓広嗣↑清河↑頼子(清和女御)
宇合(式家)・→・良継・・乙牟漏(桓武后 平成・嵯峨母)↑魚名↑妹子(清和女御)
↑清成・→・種継・・・→・仲成↑温子(宇多女御)
東子(桓武天皇夫人) ↑薬子↑穏子(醍醐后・朱雀・村上母)
↑百川・・緒継↑明子(文徳女御・清和母)
↑旅子(桓武天皇夫)↑良相・・・多賀幾子(文徳女御)
↑帯子(平成天皇夫人)↑多美子(清和女御)
↑蔵下麿・・(6代略)・・教信・・明衡・・敦光↑良門・・利基・・兼頼・・雅正・・為時・・紫式部
麻呂(京家)・・浜成・・豊彦・・冬緒↑高藤・・定方・・朝頼・・為頼・・宣孝
↑宮子(文武天皇夫人・聖武天皇母↑良世
↑明子(聖武天皇后・孝謙天皇母)↑順子(仁明女御・文徳母)
↑多比能(橘諸兄室)↑古子(文徳女御)

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・道隆{関白内大臣従二位 号中関白}・・伊周{天延二年生大臣ニ位}・・道雅・・顕長・・遠岩・・惟行・・廣行・・家行・・家広・・・・藤原廣高(元祖 従五位下 庄権守・・→・・
↓敦敏・・佐理↓公任母摂津守藤長女)母従二位高乗忠卿女}↑忠廣母 有故始テ武家二為ル)
↓頼忠・・→・・→・諟子(花山女御)↑隆家 ↑経行・時行・行家・重行→・↑高家↓為行(安芸国毛利家の家臣となる。
↓実資↑遵子(円融后)定子{一条后} ↑貞行・秦行・行家↓朝行・・・忠行・氏行・・児玉主計広高)
↓斉敏・・実資
↓兼隆 ↑惟親・秦親・重蓮・繁行・家親・親満・光行・・児玉三郎右衛門広長
実頼・→・慶子(朱雀妃)↓義孝・・行成・・行経↑家実→・兼経(近衛)(安芸国毛利家に仕える。)
↑述子(村上妃)↓義懐道兼→・・ ↑師実→・師通・・忠実・・忠通(五摂家祖)・・→・→・基実(近衛)→・基通→・道経↓兼平(鷹司)
↓師輔・・→・伊尹・→・懐子(冷泉女御・花山母)↑尊子(条女御) ↓家忠↓頼長・→・兼長↓長子(後堀河后)
兼通・・遵子(円融妃)
↑通房 ↓経実↓師長↑家房
↓兼家・・→・・→・・→・道綱・・兼綱↑覚円↓忠教 ↓多子(近衛后)↓基房(松殿)・→・隆忠・・基忠
↓為光・・→・斉信↓賢子(後冷泉后)↓師家・・基嗣
↓公季↑公信↓道長・・→・・・→・ 頼通・→・ ↓嫗子(後朱雀中宮)↓忠房・・良嗣・・冬房↓教実(九条)
↓低子(花山女御)↓寛子(後冷泉后) ↓兼嗣↓良実(二条)
↓安子(村上后・・冷泉・円融母)↓超子(冷泉女御・三条母)↓嫄子(後朱雀中宮) ↓兼実(九条)・・→・良通↓道家・・→・実経(一条)
↓怤子(冷泉女御)↑兼頼↓良経・・→・教家↓頼経(鎌倉将軍)
師氏↓詮子(円融女御・・一条母)↓頼宗→・俊家 ↓良輔↓基家↓靖子(後堀河后・四条母)
↓師尹・・・済時・・・娍子(三条后) ↓延子(後朱雀女御) ↓兼房↓良平↓立子(順徳妃・中京母)
↓綏子(三条母)↓能信・・・能長・・道子(白河女御)↓慈円↓任子(後鳥羽后)
↓茂子(後三条女御・白河母)↓聖子(徳中宮)
↓昭子(後三条女御)↓育子(二条后)
↓教通・・→・信長 呈子(近衛后)↓呈子
↓歓子(後冷泉后)
↓長家↓真子(後朱雀女御)
↓妍子(三条中宮)

↓威子(後一条中宮)

↓嬉子(後朱雀后・後冷泉母)

↓盛子(三条女御)

↓寛子(小一条院女御)

↓尊子


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家長{家紋 合印紙木瓜 幕紋上藤三ノ字 旗紋中黒團 -本庄太郎}・・・頼家・・・家次{本庄三郎右衛門}・・朝次{本庄左衛門}・・ 時次{本庄太郎}・・有次{本庄太郎}・・資房{庄左衛門四郎 片山村}・・・資氏{幸山城主}・・・資政・・・

広善{四方田三郎}家次{本庄三郎右衛門}(山城ヲ領ス 母木屋 (庄七郎)
↓広末{牧西四郎} (兄頼家ノ養子トスル)村福山城主眞壁小六是久女)(母小見山十郎太郎行好女)
↓資政(庄左衛門 兄資氏ノ
↓家綱{改定綱 本庄二郎}養子ニナル。猿懸城主)
【北庄家】↓資経・・資昭・・→・←・

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↓資定(信濃)・・資宗・・則資(右京進)・・兼資(民部小輔)・・為資(備中守 元資の後を嗣ぐ)

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・資昭(猿懸城主 庄小太郎・・ 氏貞(猿懸城主 小治郎 庄掃部介)・・氏敬(猿懸城主 小平次 庄左馬允)・・元資(猿懸城主 十郎太郎 庄駿河守)・・為資(猿懸城主 松山城主 庄備中守)・・・高資(松山二代城主 庄備中守)・→・・→・

母小見山治郎行忠女)母三村源太左衛門尉親氏女)母石川源左衛門城尉久忠女) (母石川源左衛門尉久式伯母(母野山宮内少輔朝村女(母三浦氏女
↓女(四畝忍山城主工藤治郎兵衛尉室)洞松寺殿桂宗常久大居士)上合寺殿前備中大守花岩柳紅大居士禪應寺殿備中大守高山道林大居士
↓行尊(備前金山僧)↓資長(備後柏村で討死)内室作州高田城主三浦下野守平元兼女 内室石川治部少輔久道女
↓女(竹庄矢倉畝城主田中掃部直重室)↓女(大槻源内信繁室)法号明光寺殿天室知心大姉)法号玉樹院殿瑚月妙珊大姉)
↓女(新見鳶巣城主樽崎右京大夫利景);↓女(石賀興兵衛室)↓藤資(斉田城主 植木下總守・・→・・→・↓資朝(津々城主元祖 津々加賀守
法号本覺院殿前總州大守一雲源空大居士↓母三浦氏女
内室上唐松甲籠城主伊達常陸守女)
瑞岩寺殿前加州大守光喚應道機大居士
右衛門四郎ニ郎(福岡合戦討死)内室上野備前守頼久女薫)
法号慈眼寺殿蓮室貞薫大姉)
↓資重(福井太郎左衛門)・・重定(福井五郎)・・重光(太郎)・・重忠(次郎)・・重之(福井孫六左衛門  有故庄家長臣右重之由来書庄氏植木氏記録ニ委ク有之)

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秀長(植木城主 斎田城主 竹俣城主 下総守・・・・秀資(斎田城主 植木城主 下総守)・・→・・→・・秀直(斎田城主 植木孫左衛門)・・・直資(植木五郎兵衛尉↓資時(庄右京進
母伊達氏女↓秀富(美作守)・・・→・資富(与九郎 猿懸城で謀殺)↓秀紀(後左衛 規雉丸)         水野勝成に三百石母三浦氏女
内室上唐松甲籠城主伊達隼人頭女)↓道久(五名 山王城主↓資忠(源左衛門 父と共に討ち死に)↓ 新二郎で仕える)清臺院殿徳岩宗重大居士)
秀胤(植木孫左衛門)・・・秀時(五郎兵衛)山陰で討ち死に)↓房幸(重左衛門 猿懸城謀殺)↓孝資(利右衛門)・・→・
↓資行(林次郎右衛門)↓女(庄信資の妻)↓資光(新左衛門 猿懸城謀殺)↓清資(新三郎))
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↓女↓資胤(新次郎 源右衛門 島津家に使える)・・・胤貞(源右衛門)・・・元貞(甚兵衛)
↓宥善(三尾寺)↓幸資(甚左衛門)
↓秀貞(弥右衛門)・・・秀雅(長兵衛)・・・元貞(甚兵衛)・・・貞雅(長兵衛)↑貞能(甚之丞)
  ↓貞英(甚兵衛)・・・・維貞(甚助 大阪蔵屋敷務)

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・・→・・→・・→・・→・資直(庄市之丞 勝資舎弟・・・直清(津々村元祖・・・→・・直明(津々村本家農戸初代 本姓庄氏・・・・・直法(津々村農戸二代、本姓庄氏、津々彦左衛門・・・→・

女(植木孫左衛門 秀胤室)女(植木五郎兵衛の妻)長松寺殿活雲玄機大居士庄宗右衛門
故有テ毛利家ノ命ニテ改ム、津々輿左衛門了義院雄山宗英居士 正徳三年癸巳十二月廿七日
↓ 勝資(始松山城主・・→・・→・・→・→・
女(野山宮内少輔益朝の妻)内室津々加賀守資朝女母津々加賀守資朝女
母新山氏女 妻宮内賀陽兵部姉 貞性院天巌壽松大姉

後下呰部 (あざえ)丸山城主 庄兵部大輔↓信資(高鶴部城主惠日院殿花屋貞顔大姉)一方院殿昌安常春大居士)巨獄院雲霜常岫大居士 慶安五年辰二月十日貞享三年丙寅五月廿七日  
活光院殿前兵部大輔節岳法忠大居士幼名宮若丸 庄三治郎慶安二年己丑三月十六日
天正四年乙亥八月廿一日戦死洞水寺殿旨外文宗大居士内室備前小倉城主新山玄蕃女 妻宮内賀陽兵部姉 貞性院天巌壽松大姉後妻備中国三ノ割亀山五郎右衛門宗政女
内室植木下總守藤資女文禄元年壬辰四月廿四日戦死了知院殿光室理清大姉↓直久(津々板屋元祖 津々惣右衛門 母同→・↓ 地院花岳妙香大姉 享保十四年己酉十月十三日
活箭院殿節心貞孝大姉)内室植木孫左衛門秀胤女後妻作州笹城主江原兵庫孫女↓意法院善徳居士 寛永十五戊寅十二月分↓直政(高尾宗兵衛 堀大和守殿奉公、
↓資直安庭院殿禪外智宗大姉)↓ 家ス、訳ハ元祖津々加賀守資朝名跡絶シ↓  有故、高尾家ノ養子トナル)
↓ 有之、故ニ新ニ立ラル、↓某(本固和尚 笠岡感徳寺住職)
↓女(川面、森脇九兵衛室)↓直次(津々与左衛門)
↓女(中津井、室權左衛門室)
↓女(上唐松、伊達市之介室)
↓女(室)
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↓直家(太左衛門・・・・直房
↓   妻直法女)↓女 フエ
↓直(久右衛門)↓女 サト
↓女↓直 (三太郎)
↓直(太右衛門)↓女 カメ
↓直(重治郎)↓女 ユキ
↓女↓直(惣右衛門 妻宮崎氏小坂)
↓直政(清五郎)・・・直(太左衛門)・・・女 シケ死
↓直(戸三郎)↑女 タ↑女 タカ
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直勝(津々邑本家農戸三代、有故如本本姓ニ復、庄治右衛門・・
女(養子時直妻)↑女(松樹院指月淨宥大姉;・直頼(津々村本家農戸六代 庄彦左衛門・・直阿{津々邑本家農戸七代 庄彦左衛門

本覺院雄鑑宗夢居士↓時直 (津々本家農戸四代 庄新左衛門→・ 宝暦十年庚辰七月廿九日)實ハ太田光政ノ養子津邑氏子太田義鏡院知覚円空居士)
正徳四年甲午十二月廿九日實中津井佐田 室氏子 聟養子↓直庸 (津々村本家農戸五代 庄三左衛門→・仲右衛門ニ男養子↓女 ナチ 早世
妻西方山田治左衛門女直指院亨岩是眞居士實直勝末子仙壽院法雲慈海居士↓ 如蓮覚淳童女 安永五年申七月八日
心蓮院遍山妙松大姉)延享三年丙寅八月廿五日見性院栢翁禪庭居士文化六年己巳九月廿六日↓直万吉死
女(津々太左衛門室)妻清榮院宝室妙珠大姉)明和九年壬辰正月廿一日妻直庸女↓直浅之?死
↓直重(元禄十一年戊寅八月分家 呰部元祖 庄茂兵衛)・・↓女(下唐松 田井氏妻紫雲院観室智明大姉知性院?嶺壽雲大姉↓直戈市
(儀門院雲洞清山居士↓ 心月慧照大姉 安永五年丙申七月八日)安永五年丙申六月廿六日)↓女 シマ
元文四年己未十二月六日↓ 童形(庄市之丞 早世 竹林幻空童子)↓女(ニン↓女(直頼妻)↓女 ツネ
妻離縁二成ル)↓女(千屋 太田氏妻 法号昭室慈鏡大姉↓ 瑞光院妙珠淨明大姉)↓童形  早世↓直和吉
直文(庭瀬荒木氏養子 荒木与治兵衛↓ 始ハ室六郎右衛門へ嫁、後太田↓直(庄八之?↓童形(庄浅之介 早世↓直松之丞
通玄宗徹居士)↓ 理左衛門室↓ 知光元照居士↓ 理元巖童子↓直定治郎
↓女(呰部二代、庄茂兵衛妻)↓ 元文二年丁巳三月二日)↓ 安永五年丙申八月八日)↓女 フュ死
↓女(矢掛八軒屋 江木源左衛門妻
右縁組ノ節、呰部庄茂兵衛直寛
引請整由傳 蘭室明秀大姉、
天明五年乙巳七月七日
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↓直寛(三上助九郎男・→・直政(富治郎・・→・・→・・直興(武兵衛・・→・・女 アヤ
茂兵衛西方妻妹尾女)      五名太田氏女}
妻直勝女↓直喜(彦三郎・・→・・→・・庄 喜市・・→・・→・松與・・與市・・
谷尻妻室氏女)寛政十二年十一月十一日     
↓女 ハナ五名太田基定室
↓女 キミ千屋太田光政室
↓直亮(三郎吉 松山原上村ニ分家
妻中島氏女)