牧の字義は馬城で、「令義解」には
「畜園也」とあり、牛馬の放養飼育地という。 馬は古代においては水上の舟とともに、陸上唯一の交通機関で、軍事上からも必要不可欠のものであり、
その他官馬・駅路乗用の駅馬・伝馬等の確保のため、官牧の制を定めている。大宝の厩牧令 の中に、厩
条以下十三カ条にわたり、牧馬養成その他について細かな規定があるが、
延喜式によれば、牧は御牧(勅旨牧)・
諸国牧・近都牧の三種に分かれていた。
えんぎしき【延喜式】
Ⅰ 平安中期の法典。五〇巻。延喜五年醍醐天皇の命により藤原時平、忠平らが編集。延長五年(九二七)に完成。弘仁式、貞観式以降の式を取捨し、集大成したもの。康保四年施行。
Ⅱ (Ⅰが律令の施行細則を記した法典であるところから)堅苦しいことを言う人をあざけっていう語。古文真宝。*太平記‐三五「あら見られずの延喜式や」
●御牧(勅使牧)
御牧は左右馬寮に属し、東国に二十三か所置かれた。
内訳は甲斐国三・信濃国十六・上野国九・武蔵国四で、武蔵国では石川牧・小川牧・由比牧・立野牧であった。御牧の官人は牧監または別当があり、甲斐・信濃・上野は牧監が任ぜられ、
武蔵は別当が任じられた。 御牧から左右馬寮への貢馬は、毎年甲斐国六十疋・信濃国八十疋・上野国五十疋・武蔵国五十疋と定められている。国司は、毎年九月十日に牧監武蔵国は
別当と共に、牧に臨んで馬を検印し、四歳以上の用に堪えるものを選びこく、武蔵国の場合は立野牧二十疋・他の三か所の牧で三十疋、計五十疋を馬帳に記し、翌年八月に牧監、別当らがこれを引き連れて貢上した。
上記武蔵の御牧のいちについては、埼玉県史は遺された地名や自然条件などにもとづいて論究し次のように推定している。
石川牧 神奈川県に属す久良岐郡(石川郷・本牧郷あり)
由比牧 東京都に属する多摩郡(由比郷あり)
小川牧 東京都に属する多摩郡(小川郷あり)
立野牧 埼玉県北足立郡(浦和・川口市にかけて、大牧・駒形・立野などの地名が遺されている)
御牧から貢進された馬は、駒牽といって日を定めて、天皇が紫宸殿または仁寿殿で親覧する
儀式が行われ、そのあとは左右馬寮や廷臣などに配賜されたが、この天皇の貢馬御覧は宮中の年中行事として、後世までも永く行われた。
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