承久の変

承久の変

本庄市史 通史編 Ⅰ (P715~719)

当時の朝政は、朝廷権力の回復・増大をめざしていた 後鳥羽上皇による院政が行われていた。上皇は当時の幕府や御家人たちの状況等を判断し、 幕府打倒の成算ありとして、 承久三年(一二二一)五月十五日、北条義時追討の院宣を発し、広く各地の守護・地頭等に伝えて、上皇方への協力を求めた。 こうした院(上皇)方の挙兵や、義時追討のなど院宣等についての、在京出先からの報告は、四日後の五月十九日幕府に到着した。 幕府では御家人たちを召集し、 尼将軍正子が源三代の重恩をといて、幕府への忠誠を誓わせ、軍議を開いたが、「直ちに京をめざして進発すべし」との大江広元の献策により、 北条泰時・同時房を大將として、大挙西上させることとした。
五月二十二日、泰時・時房・時氏・足利義氏・三浦義村・千葉胤綱を東海道の将として、十万余騎が鎌倉を進発した。 このとき、丹党勅使河原小三郎は泰時直属の武将として進発した。
また、武田信光・小笠原長清・小山朝長・結城朝光を東山道の将として五万余騎、北条朝時・結城朝広・佐々木信実を北陸道の将として四万余騎を率い、総勢十九万余騎
(『大日本史料』承久三年五月二十二日の条〔保暦間記〕には
「(上略)当座ノ勢ヲ差上セケリ(中略)三手に二十万八千騎上ル」とある。)

 が三道から一斉に進み、およそ、しかるべき東国の武士は悉く上洛軍に加わった。 幕府軍は上皇軍を所々で撃破し、六月五日、泰時・時房両将は尾張国一ノ宮に到着し、部署を定め、 道を分けて進撃にかかったが、上皇軍は至るところで敗退した。上皇軍は、比叡の僧兵三千余を加えた二万七千余の軍を集めて部署を定め、六月十三日、勢多で防戦した。この時熊谷直実の子、 小次郎直家は其の子直国と共に時房に従って上洛し、勢多で直国が討死した。 勢多を越えた幕府軍は、ついで宇治川にかかったが、宇治川は水勢強く、幕府軍は敵前渡河に困難を極めた。翌十四日、 陣頭指揮の泰時は、民家を取り壊して作った筏によって渡河に成功したので、武蔵・相模の軍勢は力を得てこれに続き、上皇軍は弓矢を持ち忘れて敗走した。この渡河戦で、幕府軍では激流に流される者が 少なからず出たが、安保刑部丞もこの日激流に呑まれるという事態が生じている。こうした犠牲を払いつつも、宇治川を渡った幕府軍は、翌十五日入京し、京都を制圧した。 この日、後鳥羽上皇は泰時の軍陣へ勅使を遣わし、院宣を伝えた。泰時以下幕軍の諸将は下馬して院宣を拝したが、泰時は、並みいる幕軍五千余人の中に、 誰か院宣を読める者がいるかと尋ねさせたところ、 勅使河原小三郎が「武蔵国の住人で、藤田三郎は文博士であるから、藤田三郎を召し出すべし」と申し出た。 そこで泰時は藤田三郎を召し出して院宣を読ませた。院宣の趣旨は、今度の合戦は、上皇の考えから出たことではなく、謀臣等の行ったものであることや、 幕軍兵士の狼藉を取り締まることなどが述べられていた。「『吾妻鏡』承久三年六月十五日の条」泰時・時房は六波羅館に移り、乱後の処理に当たったが、幕府は後鳥羽上皇を隠岐へ流すなど厳しい処置を行い、 上皇側関係者の所領を没収して、戦功の武士らに分け与えた。このとき任命された地頭を新補地頭といい、従来からの地頭を本補地頭というが、地頭の新設と相まって、幕府の支配力はさらに全国的に伸長した。 承久三年六月十三日・十四日を中心として、宇治の合戦で敵を討った人々、手負いの人々、討死の人々が記録されて、北条泰時に報告されたが、そのうち、当地域(武蔵国)及び周辺地域の武士と思われるものは、次の通りである。(『吾妻鏡』承久三年六月十七日の条・『承久記』)
* 敵を討った人々
奈良五郎・秩父平次五郎(一人・冨田小五郎(一人)・庄四郎(一人生取)・庄五郎(一人生取)・河越三郎・猪俣左衛門尉・金子大倉太郎・小代右馬次郎(二人)・秩父次郎太郎(一人)・ 甕尻(みかじり)小次郎(甕・・「かめ」と読む)・藤田兵衛尉・内嶋三郎・小越四郎(一人)・小越四郎太郎(二人)・小越右馬太郎(二人)・児玉刑部四郎(一人)・人見八郎・勅使河原五郎兵衛尉・勅使河原四郎・甘糟小次郎・ 小代与田次郎(一人)・奈良兵衛尉・別府次郎太郎・荏原六郎太郎・荏原七郎・古郡四郎
* 手負の人々
今泉弥三郎兵衛尉・同五郎・甘糟小太郎・藤田新兵衛尉・安保右馬允・行田兵衛尉・小嶋三郎・同六郎・同七郎・岩田八郎五郎・大倉小次郎・新開弥次郎・奈良左近将監・ 小代小次郎・蛭河刑部三郎・同三郎太郎・塩谷左衛門尉家友・同太郎・同六郎左衛門尉家氏・塩谷弥四郎・同奥太・塩谷小三郎・同五郎・冨田太郎・同五郎・玉井小四郎・屋嶋次郎
* 討死の人々
内嶋七郎・荏原六郎・同弥三郎・今泉七郎・阿保刑部丞・同四郎・同左衛門次郎・塩谷民部太夫・金子大倉六郎・成田兵衛尉・同五郎太郎・玉井兵衛太郎・新開兵衛尉・金子小太郎・ 庄三郎・屋嶋六郎 ( 赤字は児玉党)