善が発生する手段となる悪
天界の秘義4172
「わたしはその損失を負いました」。これは善がそこから発したことを意味していることは、『損失を負うこと』の意義から明白であり、それは善を作ることであり、ここでは善がそこから発したことである。前に示されたように、『屍[死体]』と『引き裂かれたもの』により意味されているところの、過失の悪と過失によらない悪については、実情は以下のごとくである、過失の悪は、または人間が実際の生活により招きもし、また思考の中に確認もして信念とも確信ともなった悪は矯正されることはできないで、永遠に存続するが、それに反し人間が思考によって確認はしないし、また内的に自分自身に説きつけもしなかったところの過失によらない悪は、実際存続はするものの、たんに外なるものの中に密着しているにすぎないのである、なぜならそれは内部に浸透して、内なる人を歪めはしないからである。こうしたものが善が発生する手段となる悪である、なぜなら未だ心を動かされて同意を与えていないところの内なる人はそれを外なるものの中に悪として認めることができ、それでそれは遠ざけられることができるからである。そして内なる人はそれを認めることができるため、そうした理由から同時にそれは善を更に明らかに認めることができるのである、なぜなら善はそれに対立していないものよりもそれに対立しているものからさらに明らかに認められ、その人間はそのときまたさらに明らかに善に感動するからである。それでそのことが善がそこから発することにより意味されている事柄である。