輸血
1.マリア・ワルトルタ
2.シルワン
1.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P50
しかし今、わたしは言う、あなたたちが望まない愛徳は、あなたたちがことによると搾取した後で、蔑み、見捨て、笑いものにした人々の上に再び流れ出ている。彼らは彼ら自身よりも神を愛し、彼ら自身よりもあなたたちを愛し、愛徳のためにしか生きない者たちである。彼らは霊魂においても物質においてもあなたたちを助けて神が愛するようにあなたたちを愛する。あなたたちは何も知らず、何も理解せず、何ひとつ自らに問おうとしない。しかし神は知り、見、何一つたずねなくても理解する。なぜその憐れみをなおもあなたたちの上に注ぐのかを知っている。わたしを愛し、あなたたちを愛するこの思いやりのある人たちは、愛することを人生の目標としている。この人々はあなたたちのためにあなたたちのようにはしない。わたしの気に入ることをするためである。
あなたたちは、どれほどの涙、どれほどの苦しみ、どれほどの償い、どれほどの犠牲があなたたちの存在の代価であるかを知っているのか? あなたたちはあなたたちを生んだ母親と、あなたたちに日ごとの糧を与える父親によって生きてきたと思いこんでいる。そうだ、もっぱら動物的見地からすれば確かにそのとおりで、あなたたちは彼らから生命をもらっている。しかし、いのち、ほんとうのいのちは、この人々のおかげで、あなたたちに回心する時間を与えるために持続する。そして、あなたたちのうちの多くの者が永遠に死なないのは、あなたたちの知らないこの英雄たちが、神とあなたたちのあいだに立ち、神に祈り、道徳的な病気に冒されて出血したあなたたちの体内に、偉大な神秘体の中を循環している恩恵の血である少量の霊的な血を輸血しながら神に罰を思いとどまらせているからだ。しかし、この良いものが邪なあなたたちに浸透するのは彼らの自己犠牲という篩(ふるい)を通してである。
2.シルワン
シルワンの手記/P70
ある人は言う。「修道者たちは この世に仕えるべきだ。働かない人はパンを食べてはならないからだ。」 しかし、修道者の奉仕とはどんなものであろうか。修道者はどのようにこの世に尽くすのだろうか。修道者は涙をもって全世界のために祈るのだ。これこそ、彼らの仕事である。全世界のために泣き、祈るように促すものはだれなのか。神の子イエススは聖霊において愛を与えてくださる。そして修道者は、すべての人について絶え間ない心づかいをする。なぜなら、多くの人は自分たちの救いを求めないからだ。
私は自分のために祈るように、他の人のためにも祈ることだけを望む。人々のために祈るということは、自分の心の血を与えるという意味だ。
世界のために祈る人は、この世がどれほど苦しんでいるか、人々の必要がどういうものなのか、ということをよく知っている。新聞を通してこの世を知るよりも、もっとはっきりとこの世を見抜くほど、祈りは人の精神を浄化する。