屋根

1.善

 

 

 

1.善

 

天界の秘義10184

 

最も内なるもの。善。

それは最も上にあるもの、または最も高いものであり、最も上にあるもの、または最も高いものは前に示したように(10181)最も内なるものを意味しているためであり、また屋根は人間における頭が意味していることに似たことを意味しているため。

なぜなら自然界における表象的なものは凡て人間の形に関連しており、この関連に従って意義をもっているからである。

 

 

[2]

『屋根』により最も内なる天的なものが意味されているため、善もまた意味されている、なぜなら善は凡ゆる所で最も内なるものであり、真理は、たとえて言えば、光が焔から発出しているように、善から発出しているからである。これがマタイ伝の『屋根』により意味されているものである―

 

家の屋根にいる者はその家から何かをとり出すために下に降りてはならない(24・17、マルコ13・15、ルカ17・31)。

 

ここにとり扱われている主題は教会の最後の時であり、『屋根の上に』いることにより善の中にいる人間の状態が意味され、『家から何かを取り出すために下へ降りること』により前の状態へ帰ることが意味されているのである(3652番)。またエレミア記には―

 

モアブの屋根の上に、その街路の中に、凡てが嘆き悲しんでいる(48・38)。

 

『凡ての屋根の上の嘆き悲しみ』により、モアブによりその表象的意義において意味されている者たち、すなわち、自然的な善の中にいて、自らが容易にたぶらかされるのに甘んじる者たちのもとで善がことごとく剥奪されることが意味され(2468番)、『街路の中の嘆き悲しみ』により凡ゆる真理が剥奪されることが意味されているのである(『街路』が真理を意味していることについては、2336番を参照)。

 

 

[3]

『屋根』は善を意味したため、それでサムエル記前9・25,26、サムエル記後11・2、ゼパニア記1・5に見られることができるように、古代人はその家の上に屋根を作り、そこを歩き、またそこで礼拝もしたのである。モーセの書に

 

 あなたが新しい家を建てるときは、その屋根のために手すりを作らなくてはならない、たれかがそこから落ちて、なたはたあなたの家に血をもたらさないためである。あなたはぶどう園に種を混ぜてまいてはならない、あなたがまいた種から、またぶどう園の作物からとり集めたものが失われないためである。あなたは雄牛とろばとをともにして耕しではならない。あなたは羊の毛とリンネルとをともに混ぜた衣服を着てはならない(申命記22・8−11)。

 

 

[4]

この凡てから『屋根』により愛の善が意味されていることもまた明白である、なぜならこれらの教令の各々には類似した事柄が含まれており、それは内意によらなくては明らかにされはしないからである。この意味は再生した人間の状態であるところの、善の中にいる者は、その者の先在的な状態である、すなわち、再生の間の状態である真理の状態へ帰ってはならないということである、なぜならその状態の中では人間は真理により善へ導かれ、かくて多少その者自身により導かれるが、しかし後の、または後在的な状態では、すなわち、かれが再生したときは、人間は善により、すなわち、主により善を通して導かれるからである。

 

 

[5]

これがこれらの教令[教え]の各々の中にかくされている秘密であり、かくて以下の記事の主の御言葉に含まれていることと同じである―

 

そのとき家の上にいる者は、下へ降りて、その家から何かをとり出してはならない。畠にいる者は、その衣服をとるために帰ってはならない(マタイ24・17、18)。

 

 屋根にいる者は家の中へ降りて行ってはならない、その家から何かをとり出すために入ってもならない、畑にいる者はその衣服をとるために重ねて帰ってはならない(マルコ13・16)。

 

 かの日、たれであれ、その家の上にいて、その器が家の中に在る者は、それをとり出すために下へ降りてはならない、たれであれ畑にいる者も同じくその者の後に在る物へ帰ってはならない、ロトの妻をおぼえなさい(ルカ17・31,32)。