山の上での礼拝
天界の秘義4288[3]
表象的な教会では神礼拝は山の上に行なわれたが、それは山が天的な愛を意味し、その最高の意義では主を意味したからであり(795、1430、2722、4210番)、かれらが山上で礼拝を奉げていたときは、それと同時に天的な愛の中にもいたため、その聖い状態の中にいたのである。
天界の秘義4288[4]
教会を表象するものの中にも実際最初は山の上で、また杜の中で同じような神礼拝が捧げられ、かれらもまたその顔を陽の登る方へ向け、月と星とを見、テントまたは幕屋の中で同じように礼拝をささげたのである。しかしかれらは内なる礼拝のない外なる礼拝の中におり、または身体的な世的な愛の中にいて、天的な霊的な愛の中にはおらず、かくて山と杜そのものを、太陽と月と星を、同じくまたテントまたは幕屋を拝し、かくて古代教会では聖いものであった祭儀を偶像崇拝的なものとなしたため、かれらは凡てのものに共通しているものに制限されたのである、すなわち、エルサレムが在り、最後にはシオンが在った山に制限され、その山から、また神殿から眺められる日の出に、また会見の天幕と呼ばれる共通の天幕に制限され、最後には神殿の箱に制限されたが、このことはかれらが聖い外なるものの中にいるとき教会を表象するものが存在するようにとの意図の下に行なわれたのである、なぜならもしそうでなかったならばかれらは聖いものを冒涜してしまったからである。
天界の秘義4288[5]
このことから表象的な教会と教会を表象するものとの間の区別のいかようなものであるかが明白である、全般的に言って、表象的な教会のものであった者たちはその内部の方面で三つの天界と交流したのであり、その内部にこの外なるものは面として役立ったのであるが、しかし教会を表象するものの中にいた者はその内部の方面では諸天界とは交流しなかったのであるが、それでもかれらがその中にとどめおかれたところの外なる物は面として役立つことができたのであり、しかもこのことは、教会の何か類似したものによって、天界と人間との間に多少の交流が存在するようにとの意図の下に主の摂理により奇蹟的に行なわれたのである、なぜなら教会の何かを通して天界が人間と交流しないなら、人類は死滅するからである。内なるものの相応の何であるかは僅かな言葉では述べられることはできないが、主の神的慈悲の下に以下の頁に述べることにしよう。
天界の秘義6435[11]
天界の秘義6435[12]