山羊

 

 

 

天界の秘義4769

生命の歓喜が発生してくる源泉である外なる人の諸真理は聖言の文字の意義の神的真理のような真理であって、その諸真理から純粋な教会の教義的なものが派生しており、この諸真理が、元来雄山羊により意味されており、その諸真理から発した歓喜が『山羊』により意味されており、かくて山羊の雄山羊により、その純粋な意義では、このような真理の中に、またそこから発した歓喜の中にいる者たちが意味されている。しかしその対立した意義では、『山羊の雄山羊』により、自分の生命の歓喜と一致しているところの、例えば全般的に快楽と呼ばれているところの身体の快楽と全般的に名誉とか利得であるところの低い心の歓喜と一致しているところの外なる諸真理の中に(すなわち、文字の意義から派生した真理のいくたの外観の中に)いる者らが意味されているのである。このような人物が『山羊の雄山羊』によりその対立した意義において意味されているのである。約言すると『山羊の雄山羊』のこの意義では仁慈から分離した信仰の中にいる者らが意味されているのである、なぜならこれらの者はかれらの生命の歓喜に一致しているところの、すなわち、自己と世を求める愛を甘やかしてくれるところの真理のみを聖言から選び出すからである。それ以外の諸真理はかれらは色々に解釈して一致させるようにし、そのことにより誤謬を真理の外観として示すのである。

 

 [2]『山羊の雄山羊』は分離した信仰の中にいる者らを意味していることはダニエル書から明白である―

 

(ダニエル書8・5,9,10,12)

 

 

黙示録講解817ホ