笑い

1.笑い・・真理の情愛

 

 

1.笑い・・真理の情愛

 

天界の秘義2072

 

 「そして笑った」(創世記17・17)。

これは真理の情愛を意味していることは、笑いの起原と本質から認めることができよう、なぜならその起原は真理の情愛以外の何ものでもなく、またはそうでないなら誤ったものの情愛以外の何ものでもなく、そこから喜びと楽しさとが生まれて、それが笑いの中に顔に現れてくるのであって、そのことが笑いの本質はそれ以外のものでないことを示している。笑いは実さい顔にぞくしているため身体にぞくしているところの外なるものであるが、しかし聖言では内的な事柄は外的なものにより表現され、また意味されているのであって、それは丁度こころの内的な情愛がことごとく顔により表現され、意味されているのと同じであり、例えば内的な傾聴と服従とが耳により、内的な視覚または理解が目により、力と強さとが手と腕によって、その他色々なものにより表現され、意味されており、それと同じく真理の情愛も笑いにより表現され、意味されているのである。

 

[2]人間の合理的なものの中には真理が存在していて、それが合理的なものの主要な特質となっており、また(人間の合理的なものの中には)善の情愛も存在しているが、しかしこれは真理の情愛そのものの中にその霊魂として存在しているのである。合理的なものの中にある善の情愛は笑いによってそれ自身を示しはしないで、笑いはしないところのある喜びとそこから生まれてくる楽しい歓喜によりそれ自身を示すのである、なぜなら笑いには余り良くないものが普通存在しているからである。真理が人間の合理的なものにおける主要な特徴である理由は、合理的なものは真理のいくたの知識により形成されているということである、なぜならそれ以外の手段によってはたれ一人決して合理的なものにはなることができないからである。善の知識は、真理の知識と全く等しく、真理である。

 

[3]ここの『笑い』は真理の情愛を意味していることは、アブラハムが笑ったと述べられていることから、同じくサラーも笑ったと述べられ、二人ともイサクが生まれる前とその生まれた後に笑ったと述べられていることから、またイサクが『笑い』から名づけられていることからも―なぜなら『イサク』という言葉は『笑い』を意味しているからであるが―認めることができよう。

(中略)

アブラハムはその息子の名前をイサクと名づけた(イサクは『笑い』という意味である)、またサラーは言った、『神はわたしのために笑いを作られました、聞く者はたれでもわたしとともに笑うでしょう』(創世記21・36)。『笑うこと』と『笑い』という意味の『イサク』の名前にこうした事柄が含まれていない限り、これらの事柄は決して述べられはしなかったであろう。

 

 

天界の秘義2216

 

すなわち、それは合理的なものの情愛であり、実に合理的なものにおける真理の情愛であり、または誤謬の情愛であって、それがあらゆる笑いの源泉となっているのである。笑いによってそれ自身を明らかに示すような情愛が合理的なものの中にある限り、その中には形体的なものが、または世的なものがあり、かくて単に人間的なものであるものがあるのである。天的な善と霊的な善は笑わないで、他の方法でその歓喜と愉しさとを顔と言葉と身振りの中に示しているのである、なぜなら笑いの中には非常に多くのものがあって、大半多少軽蔑があり、それはたとえ表面に現れないにしても、それでもかくれており、笑いは心の愉しさからは―その愉しさもまた笑いに似たものを生み出してはいるが―容易に識別されるからである。

 

 

 

 

 

 

真の基督教505

 

 私がこれを語ると、彼は蝋燭立てを引っ掴み、私の顔を目がけて投げつけようとしたが、急に蝋燭が消え、それを彼の友の頭に投げつけた。私は笑って立ち去ったのである。