内なる善

内なる真理

 

 

 

天界の秘義5826[5]

 

 更に人間が再生して教会となるためには、真理を通して善へ導かれなければならないのであり、真理が意志における、また行為における真理となるとき、かれは導かれるのである。この真理は善であり、真理の善と呼ばれ、新しい諸真理を絶えず生み出すのである、なぜならそのとき初めてそれはそれ自身を豊かに実らせるからである。そこから生み出され、または実った真理は内なる真理と呼ばれるものであり、それが発生してくる源泉である善は内なる善と呼ばれている。なぜなら何一つそれが意志の中に植えつけられるまでは内なるものとはならないからである、なぜなら意志のものであるものは人間の最も内なるものであるからである。善と真理とが意志の外側に在って、理解の中にのみ在るかぎり、それらは人間の外側に在るのである、なぜなら理解は外に、意志は内に在るからである。

 

 

天界の秘義5843

 

意志から発し、かくて情愛から発している仁慈の善は内なる善であり、または内なる教会の善であるが、情愛から発しないで、服従から発し、意志から発しないで、教義から発している仁慈の善は、外なる善であり、または外なる教会の善であり、そこから発している真理も同一である。