痛悔
1.トマス・ア・ケンピス
2.マリア・ワルトルタ
3.スウェーデンボルグ・・・痛悔は試練ではない
1.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・21・1
痛悔の心を起こせ、そうすればあなたは信仰の熱心を得るだろう。
痛悔すれば多くの利益を得るが、心を乱すと、たちまちにこれを失うのが常である。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・21・2
心を散らすあらゆる妨げを除き、精神を統一してとうとい痛悔を起こすことができる人は幸いである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・21・4
完全に痛悔した人には、この世はまったくつらいいやな所となる。
善人はつねに悲しみ嘆くべき材料をじゅうぶんに発見する。
それは自分を見ても他人を見ても、この世ではだれひとり悩みのない者はないと悟るからである。
そして自分をこまかく調べれば調べるほど、ますますその悲しみは深くなるばかりである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・21・6
しばしば精神の力が足りぬために、みじめな肉体がややもすると不平を鳴らすことがある。
だからへりくだって痛悔の精神を与えたもうよう主に祈り、かの預言者とともに「ああ主よ、私たちに涙のパンをたべさせ、涙の枡一ぱいになるほど与えて飲ませてください」(詩篇79・6)というがよい。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々1.P139
「ユダ、知らないのですか。真実な痛悔をしている心、謙遜で善に復活したいという望みの心でゆるしを請うなら、御父からすべてゆるされるのを知らないのですか」
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P343
すべての本能を自制しなさい。節制は道徳的力の証拠であり、邪欲は弱さの証しです。獣でなく人間でありなさい。獣のように堕落していたとしても、もう立ち直れないとがっかりすることはありません。私は神のみことばです。この御名で神に信仰を持ち、善意を持ち、過去を痛悔し、未来に正しい望みを持っていれば、ヘブライ人であろうと、異邦人であろうと神の子となり、天の国を所有します。
マリア・ワルトルタ59・4/天使館第1巻P533
赦されて、いつでも王国に入れるように、あなたたちの罪を痛悔しなさい。あなたたちから罪の呪縛を取り払いなさい。皆はそれぞれに、自らの罪を負っています。皆はそれぞれに、永遠の救いである十戒に背く罪を負っています。皆はそれぞれに、率直に罪を糾明するなら、どこで自分が誤ったかがわかるはずです。謙遜に、正直に後悔しなさい。言葉だけでは足りません。神を愚弄したり欺くことはできません。主の律法に立ち返るために、あなたたちの生活を変えるに至るほどの揺るがない意志をもって痛悔するのです。天の王国はあなたたちを待っています。明日。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音2巻P558
131アックヮ・スペツィオーザでの説教。「他人のものは何であれ盗んではならず、欲しがってはならない」。ヘロデの罪。
1945年3月15日。
「罪を悔い改め、神に立ち返る者たちを、わたしは救うでしょう。罪を悔い改めない者たちに、救済はないでしょう」。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音2巻P559
131アックヮ・スペツィオーザでの説教。「他人のものは何であれ盗んではならず、欲しがってはならない」。ヘロデの罪。
1945年3月15日。
「それでは、一娼婦はもはやサタンのものであることしかできないのですか?」。
「あらゆる罪はサタンとの売春です。罪人は、金で買われた女のように、不法な情交を通じて汚らわしい儲けを得ようとサタンに我が身を売るのです。人を不浄な動物にも等しいものとする売春の罪は、重大な、極めて重大な罪です。しかし、あなたたちは他のあらゆる大罪がそれよりも軽いと思ってはなりません。偶像崇拝についてわたしは何を言おうか? 殺人については何を? それでもなお、神は、黄金の牛を造ってしまったイスラエル人たちを赦されました。二重の罪を犯したダビデを赦されました。悔い改める者を神は赦されるのです。痛悔が罪の数と重大さに見合うものであれば、わたしはあなたたちに言いますが、より痛悔する者はより多く赦されるだろう、と。痛悔は愛のあり方だからです。効果的な愛のかたちです。悔い改める者は、その痛悔の念をこめて神に言います。『わたしはあなたを愛し、あなたから愛されたいので、あなたの御立腹には耐えられません』と。そして神はご自分を愛する者を愛されます。だからわたしは、より愛する者はより愛される、と言うのです。完全に愛する者はすべてを赦されます。そしてこれは真実です。
行きなさい。しかしその前に、町の門に子だくさんの一未亡人がいて飢え死にしかかっていることを、あなたたちに知ってほしい。借金を払えずに家を追い出されました。そして、彼女を追い出すことしかしなかった家主に、未だに『ありがとう』と言える人です。わたしは彼女と子供たちにパンを買うためあなたたちの献金を使いました。でもあの人たちには避難する場所が要ります。憐みは主が最も喜ばれる生贄です。あなたたちはどうか善良であってください。わたしは主の名において、あなたたちに報いを約束します」。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P44
反キリストの軍隊はすでに行動を開始している。
‘44年8月5日
イエズスは言われる。
「わたしは貴女がわたしの栄光について瞑想するように準備させた。教会は明日それを祝う。しかしわたしはわたしの小さなヨハネが、わたしの栄光の真の姿を見てそれをよりよく理解するように望む。わたしが貴女を選ぶのは、貴女の師の悲しみと苦しみを知らせるためだけではない。苦しみにおいてわたしと共に在ることを知る者は、わたしのよろこびにも参与しなければならない。わたしは貴女が、貴女にあらわれる貴女のイエズスの前で、わたしの使徒たちと同じ心情と謙虚さと悔い改めの気持ちとを持つことを望んでいる。
けっして傲慢になってはならない。そうなれば貴女は罰せられ、わたしを失うだろう。わたしがだれであり、貴女が何者であるかを絶えず思い起こすように。痛悔によって浄められた心を持つために、絶えず自分の至らなさとわたしの完全さとに思いを致すように。だがそれと同時に、『恐れるな。立ち上がりなさい。行きなさい。人々のあいだに行きなさい。なぜならわたしは彼らと共に在るために来たのだから。この来臨の時をよく憶えて、清らかに、剛く、忠実でありなさい』と言ったわたしに、大きな信頼を寄せなさい。わたしはこのことを貴女にだけではなく、人々のあいだからわたしが選んだすべての人たち、特別な形でわたしを所有している人々にも言うのだ。
真の基督教515
改革派は悔い改めと仁慈との必要を主張するロマ・カトリックから為し得る限り遠ざかるために、悔い改めに代えるに痛悔を以ってしたのである。彼らは信仰のみによる義認の教義を定めた後、悔い改めの代わりに痛悔を受け入れる理由を考案し、而して彼らの与える理由は、悔い改めと仁慈は功績の臭味をもち、それ故信仰を不純にし、これを汚辱するということである。
真の基督教597
ニケア会議以来、三人の神を信じた者は凡て、霊的な試練を受けることは許されていない。何故なら、彼はその場合直ちに屈服するであろうし、かくして地獄に更に深く陥るからである。現今の信仰に先立つと言われる痛悔は試練ではない、私はこの点について多くの者に尋ねると、彼らはそれは無意義な言葉であるか、あるいは恐らく単純な人々が地獄の火を考える時、感ずる神経的な不安に言及するものであろうと語ったのである。