償い

 

 

1.ルイザ・ピッカレータ

2.サンダー・シング

 

 

 

 

1.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P73

 

わたしの娘よ、そのことであまり悲しまないで下さい。むしろ死んだ人のようにわたしの腕の中に全てを委ねなさい。あなたに関して人びとが言ったり、したりすることを見るために目を開いているかぎり、わたしはあなたの上に自由に振る舞うことができないということを知っていて下さい。さあ、それではあなたはわたしを信頼したくないのですか? もしかしたら、わたしがどんなにあなたを愛しているか体得しなかったのですか? よろしい、あなたの上に起る全てのことは、それが悪魔を通してのことであれ、または人間からくるものであれ、あなたのよりよい善のためにわたしが彼らに許し、つかさどっているのだということを覚えていて下さい。それらはあなたの霊魂を、わたしが選んだ最終の状態に導く以外の目的を持ってはいないのです。ですからあなたは目を閉じて、わたしの腕の中に安心していてほしいのです。あなたの周りで起こることを眺めたり調べたりしないで下さい。そうでなければあなたは時間を失うことになり、あなたが召されたあの身分に決して到達することはできないでしょう。それからあなたを囲む人びとに関しては、何も考えないように。彼らには深い沈黙でたいし、善意をもって全てに従いなさい。あなたの命、考え、心臓の鼓動、あなたの呼吸、そして愛情などが、人びとがあなたに与える悩みとともに、神の正義の裁きを和らげるための絶え間ない償いのわざであるようにして下さい。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P77

 

 最初主は聞こえない振りをしていらっしゃいましたので、私には苦しみがもっとひどくなるようでした。けれどもそのあと私にたいして非常な親切さをもっておっしゃいました。「わたしの娘よ、いらっしゃい。あなたを慰めてあげましょう。このようにあなたが訴えるのはもっともです。あなたはこういうことでとても苦しんでいますから、わたしがどんなに苦しんだかあなたに思い出させることは必要です。

 わたしの苦しみも、ある時までは人に知られずにいました。しかしその後わたしの父の御旨がわたしを公けに苦しむことを望まれた時、わたしはすぐに、あらゆる軽蔑、恥辱、困惑などに出遭うようになり、服を脱がされ、裸で数多くの人びとの前にさらされなければなりませんでした。これよりも大きな辱しめを想像することができますか? わたしの人間性はこのような恥辱を生々しく感じたにもかかわらず、わたしの目は御父のご意志にしっかりと注がれ、わたしが忍んだこれらの苦しみや恥辱は、神への多くの侮辱にたいする償いとして捧げられたのです。それは天と地を前にして人間が犯すまったく恥知らずな行為のためですが、彼らはこのような罪を赤面することもなく、反対に目を開いたまま、まるでなにか大事業を成し遂げるかのように自慢しながらやってのけるのです。

 わたしはこれら全てのことにもかかわらず、御父に言いました。“聖なる父よ、わたしになされる恥辱と軽蔑を、自由勝手に、そして公けにあなたを侮辱する人びとの多くの罪の贖いとしてお受けください。それは小さい人びとにとって大きなつまずきとなっています。どうか彼らをお許し下さい。豊かな光を与え、それによって罪の醜さを見ることができ、改心して徳の道へと戻りますように”。さあ、それではもしあなたもわたしを真似したいなら、全ての人の善のためにわたしも我慢したこれらの苦しみに参加しなくてはならないのではありませんか? 霊魂に与えることのできるいちばん美しい贈物は何か知っていますか? わたしにとっていちばん愛しいものとされたのは、わたしがもっとも近しく触れたあの十字架と、その苦しみだということを? 十字架の道においては、あなたはまだ少女にしかすぎません。ですからあなた自身まだあまりにも弱いと感じています。しかしもう少し大きくなって、苦しむことがどれほど貴重なものであるかよく分かった時、そのときにはあなたの中で苦しみへの望みはもっと生き生きとしたものになるでしょう。とにかくわたしを信頼しなさい。そして休みなさい。そうすれば苦しみへの力と愛を獲得するでしょう。

 

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P323

 

またあるとき、多くのサードゥーが生活するリシケシのジャングルで数日間過ごしていたときに、わたしはガンジス河の岸辺に座る一人のサードゥーの周囲に大勢の人が群がっているのをみた。このサードゥーは片手を頭より高く上げていたので、遠くからは人々を祝福しているようにみえた。近づいてみると、この人の腕の骨はすっかり固まってしまい、下ろせなくなっていることがわかった。わたしは彼が説法を終えるのを待ち、それから腕の骨が固まった理由をたずねてみた。彼は、まるで敵を倒した軍人のように誇りをもっていった。

「わたしはこの手で多くのものを盗み、多くの人を殴ってきたが、ある日人生を根底から揺るがす激変を体験した。わしは古い人生を完全に離れて、この手を切断するか、あるいは役に立たないものにして罰することにした。わがグルー(師)に相談した結果、わしはこの腕が完全に乾ききりこの位置に固定されてしまうまで、頭よりも高く上げておくことにした。このことを誇りに思っている」

わたしは答えた。

「あなたの勇気とお気持ちには敬服しますが、残念なのはあなたが神から与えられた賜物を殺してしまったことです。腕を殺すより、それを人助けのために善用すべきだった。そうすれば、多少とも過去を償うことができたでしょうに。腕を殺すことではなく、他を助けるために正しく使うことにこそ本当の勇気と勝利はあるのです。わがグルー、イエス・キリストは“おまえの右手がつまずきを与えるなら、切って捨てよ”と言われましたが、その意味は“心の中の悪を切り捨てる”ということです」

 この話が終わるか終わらないかのうちに、相手は怒ってわたしに飛びかかろうとした。彼の手がもし使える状態にあったなら、きっとわたしに殴りかかっていたことだろう。それから、わたしは自分の体を痛めつけることの無意味さを丁重に話した。手に悪業を働かせてきた心の思いを変化させていれば、彼にとってどんなによかっただろうと思う。きっと、神の目的をはたしていたことだろう。