罪の赦し
天界の秘義9448
この凡てから罪の赦しの何であるかが明白である。主により愛の善と信仰の諸真理の中に留め置かれて、悪と誤謬とから遠ざけられることが出来ることが罪の赦しである。それで悪と誤謬とを避け、それらに嫌悪を感じることが悔改めである。しかしこうしたことは、再生を通して主から新しい生命を受けた者たちにのみ可能である、なぜならこうした事柄はその新しい生命に属しているからである。
天界の秘義9449
罪が赦されている印は以下のものである。神のために神を拝することに、隣人のために隣人に役立つことに、かくて善のために善を行うことに、真理のために真理を信じることに歓びが感じられるのである。凡てに仁慈と信仰とに属した事柄により功績を求めない。敵意、憎悪、復讐、無慈悲、姦淫といった悪が、約言すると、神に反抗し、隣人に反抗する事柄が凡て避けられて、嫌悪されるのである。
天界の秘義9450
しかし罪が赦されていない印は以下のものである。神は神のために拝されないし、隣人は隣人のために仕えられないし、かくて善と真理のために善は行なわれないし、真理も語られはしないで、それが自己と世とのために行われ、語られるのである。己が行為により功績を得ようとする欲望があり、他の者は自分自身に比較して軽蔑され、敵意、憎悪、復讐、残酷、姦淫といった悪に歓びが感じられ、教会の聖い事柄は軽蔑され、心では否定されるのである。
天界の秘義9451
罪は赦されると、それは拭い去られ、汚れが水で洗い去られるようにも洗い去られると信じられている。それでもそれはその人間の中に残っており、それが『拭い去られる』と言われていることは、その人間がそこから遠ざけられる時の外観から発しているのである。