誓う

 

 

天界の秘義2842[2]

 

『誓う』ことは、それがエホバについて述べられる時、このような性質を持っている者のもとでは確認することを意味していることは、聖言の他の多くの記事から認めることができよう、例えばダビデの書には―

 

 エホバは永遠にその契約を、かれが一千の世代の者に命じられた言葉を憶えられた。かれはそれをアブラハムと結ばれた。イサクに対するその誓いを(憶えられた)(詩篇105・8、9)。

 

契約の場合も誓いの場合と同一である、すなわち、エホバまたは主は人間と契約を立てられはしないが、愛と仁慈による連結がとり扱われるときこれは行為では契約としてまた示されるのである(1864番参照)。同書には―

 

エホバは誓われた、(エホバは)悔いられはしない。あなたはメルキゼデクにならって永久に祭司であられる(詩篇110・4)。

 

これは主について言われており、『エホバは誓われた』は神的なものから最終的に確認されることを、すなわち、それが永遠の真理であることを意味している。

 

 

天界の秘義2842[4]

 

エホバはまことにダビデに誓われた、かれはそれにそむかれはしない。もしあなたの息子たちがわたしの契約を守りまたわたしがかれらに教える証を守るなら、あなたの身体の実をわたしはあなたの王座にすえよう(詩篇132・11、12)。

 

『エホバはまことにダビデに誓われた』は永遠の真理を確認することを明らかに示しており、それで『かれはそれにそむかれはしない』と言われており、ダビデにより主が意味されていることは既に述べたところである、その誓いが依然『ダビデ』になされたのは、かれはその確認が自分自身と自分の子孫にかかわるものであると信じるといった性格を持っていたためである、なぜならダビデは自己自身と自分の子孫を愛し、そこからそれは自分にかかわるものであると信じ、すなわち、前に言ったように、自分の裔が永久に、自分の王座も代々確く建てられるであろうと信じたからである、しかしこれは主について言われたのである。

 

 

天界の秘義2842[7]

 

エホバまたは主が、アブラハムとイサクとヤコブにまたはその子孫に地を与えることを『誓われたこと』は、その内意では、主は主に対する愛の中に、主を信じる信仰の中にいる者たちに天界の王国を与えられることを確認されたことを意味している。アブラハムとイサクとヤコブの、または父祖たちの息子、子孫により聖言の内意に意味されている者たちはその者たちであり、そのことはまた、カナンの地がかれらの子孫に与えられ、その土地そのものがまた主の天界を表象したように、かれらのもとにあった当時の教会が主の天界の王国を表象したという事実により実際表象されたのである。(『地』と『カナンの地』は内意では主の王国であることは、前の1413、1437、1607番に見ることができよう)。