地を治める

 

 

黙示録5・10

 

彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。

彼らは地上を統治します。

 

 

啓示による黙示録解説28

 

「私たちは地を治めるであろう」は、そして彼らは主の王国の中に、主は彼らの中に、彼らは主の中にいるであろう、を意味している。『地を治めること』によっては、主の以下の御言葉に従って、主の王国の中にいて、そこに主と一つのものとなっていること以外には何ごとも意味されてはいない

 

 わたしを信じる者が凡て一つのものとなり、父よ、あなたがわたしの中におられ、わたしがあなたの中にいるように、一つのものとなり、かれらもまた私たちの中に一つのものとなるためです。あなたがわたしに与えられた栄光をわたしはかれらに与えました、それはかれらがわたしたちが一つのものであり、わたしがかれらの中に、あなたがわたしの中におられるようにも、一つのものとなり、わたしのいる所に、かれらもまたわたしとともにいるためであります(ヨハネ17・20−24)。

 

それで彼らはこのようにして主と一つのものとなり、主とともになって、神の国と呼ばれる王国を構成しているゆえ、『治めること』によっては他の何事も意味されていないことは明白である。『治める』と言われているのは、前に『あなたは私たちを王と祭司とになされた』と言われ、『王』により主から発した神的真理から知恵の中にいる者たちが意味され、『祭司』により主から発した神的善から愛の中にいる者たちが意味されているためであり(20番)、ここから主の王国は『聖徒の国[王国]』と呼ばれ(ダニエル7・18、27)、使徒たちについては以下のように言われている―

 

 主とともにかれらはイスラエルの十二の種族を審判くであろう(マタイ19・28)。

 

にも拘らず主のみが審判かれ、治められるのである、なぜなら主は、主から発して彼らの中に在るところの神的真理により神的善から審判かれ、治められるが、しかし主から発して彼らの中に在るものが彼ら自身のものであると信じる者は王国から、すなわち、天界から放逐されるからである。黙示録の以下の記事でも『治めること』の意義は同一である―

 

 かれらは神とキリストの祭司となり、一千年主とともに治めるであろう(黙20・4、6)。

 

そして新しいエルサレムに入る者たちについては―

 

 小羊はかれらを明るくされ、かれらは代々治めるであろう(黙22・5)