天的な天使

 

 

 

神の愛と知恵101

 

しかし天使たちは主に、或る者は多く、或る者は少なく、自らを向け、自らを多く向ける者は熱を多く受けて、光を少なく受けるが、主に自らを少なく向ける者は光を多く受けて、熱を少なく受けている。天使たちから成り立っている天界は一は天的王国、他は霊的王国と呼ばれる二つの王国に分割されていることはここから生まれている。天的天使は熱を多く受け、霊的天使は光を多く受けている。更に彼らの住む土地も熱と光とを受けるに応じて、その外観は変化している。もしこの天使の状態の変化を地球の移動におきかえさえするならば、その相応は完全となるであろう。

 

 

 

天界の秘義393

 

私たちは今取扱っている言葉の内意の解明に取り掛かる前に、信仰の実情を知ることが必要である。最古代教会は愛から発した信仰以外には如何ような信仰をも認めない性格を持っており、それで彼らは信仰を口にすることさえも欲しなかった、なぜなら主から発した愛を通して彼らは信仰に属した凡てのものを認めたからである。それがまた私たちが前に述べた天的な天使である。しかし人類はそうした性格を持つことが出来ないで、主に対する愛から信仰を分離し、信仰を独立した教義としてしまうことが予見されたため、それらが実際分離されるように、しかし以下のように分離されるように配慮されたのである、即ち、信仰を通して、即ち、信仰の諸々の知識を通して、人間が主から仁慈を受け、かくして知識が、または聞くことが最初に来て、次に知識または聞くことを通して仁慈が、即ち、隣人に対する愛と慈悲とが主によって与えられ、この仁慈は信仰と不可分離であるのみでなく、信仰の第一義的なものとなるように配慮されたのである。次に最古代教会の中で持たれていた認識に代わって、良心が続いたが、それは仁慈に結合した信仰を通して得られるものであって、それは真の物を口授したのではなくて、それが真であると口授したのであるが、それも主が聖言の中にそのように言われているためであったのである。洪水以後の教会は大半こうした性格を持っており、また主の降臨以後の原始教会、または最初の教会も同様の性格を持っていたが、このことにより霊的な天使は天的な天使から区別されているのである。

 

 

 

 

 

天界の秘義2157

 

「もしわたしが、ねがわくは、あなたの目の中に恵みを得ましたなら」。これは主がかの認識に気づかれたときの主の状態の恭順〔尊敬〕を意味していることはこの言葉そのものの中にある卑下の情愛から認めることができよう、またその言葉のすぐ後に記されている言葉―『ねがわくはあなたの僕を通りすぎないでください』―からも認めることができるのであり、その中にも同じく卑下が存在しているのである。聖言の各々の事項〔細目〕の中には情愛のみでなく主題の内容が含まれている。天的な天使たちは聖言をそれが情愛の方面でその内意においてあるがままに認めているが、しかし霊的な天使は聖言をそれが内容の方面でその内意においてあるがままに認めているのである。聖言の内意を情愛の方面で認める者たちは、内容にぞくしている言葉には何ら注意を払わないで、情愛とその情愛の連続したものから、いくたの観念を自分自身のために〔自ら〕形作っており、しかしそれには無限の変化が伴っているのである。たとえばここの『ねがわくはわたしはもしあなたの目の中に恵みを得ましたならねがわくはあなたの僕を通り過ぎないでください』という言葉の場合、かれらは主の人間的なものにおける主の卑下の状態を認めはするが、しかしただその卑下の情愛のみを認めるのである。ここから、表現を絶した方法と変化と豊かさをもって、かれら自身のために〔自ら〕天的ないくたの観念を作っているが、それらはほとんど観念と呼ばれることはできないものであって、むしろそれらと同数の情愛と認識との光と呼ばれることができ、読まれている聖言に含まれている事柄の連続した情愛に応じて、絶えず連続しつつ後を追うて生まれてくるのである。

 

 

天界の秘義2157〔2〕

 

このことは天的な天使たちの認識と思考と言葉とは、霊的な天使たちの認識と思考と言葉よりもさらに表現を絶したものであり、またさらに大いに豊かなものであることを示しており、後のものはたんに、連続した表現に応じて主題の内容へ決定づけられているものに過ぎないのである(天的な天使たちの言葉はこのような性質をもっていることは、第一部の1647番に見ることができよう)。

 

 

天界の秘義3886

 

天的な者たちの脈搏は音がなくて、おだやかであったが、霊的な者たちのそれは強く波立っていた。霊的な者たちの脈搏の中間時間は天的な者たちのそれに対しては二対五の割合であった、なぜなら天的な者たちの脈搏は霊的な者たちのそれへ流れ入っており、かくて自然の中へ発出し、移行しているからである。しかも驚くべきことは、天的な天使たちの言葉は霊的な天使たちによっては聞かれないで、心臓の脈搏の形の下に認められており、しかもそのことは天的な天使たちの言葉は霊的な天使たちには把握されないためである、なぜならそれは愛のものである情愛により生み出されているに反し、霊的な者たちのそれはは知的な観念により生み出されており(1647、1759、2157、3343番を参照)、前の者たちは心臓の領域にぞくしているが、しかし後の者たちは肺臓の領域にぞくしているからである。