天使の視力

1.悪霊らはその者らに属している形と性質の中に現れる

2.主の天界が直接に悪い者を凝視するとき、こうした苛責が生み出される

3.悪霊らは天使たちから熟視されることにより苦しめられ、責め苛まれる

4.目的のみを認識する天使たち

 

 

 

1.悪霊らはその者らに属している形と性質の中に現れる

 

天界の秘義4533

 

詐欺漢は蛇、甚だしい詐欺漢は蝮のようであり、他の者もそれぞれ異なった風に現れるのである。しかし天使たちが彼らからその視線を外らすと、たちまち、彼らは彼自身の明るさの中で持っているような、彼ら自身の以前の形をもって現れるのである。天使たちは悪い者らが他の者に危害を加えようとしてその地獄から出て霊たちの世界に入ろうとしているのを認める毎に彼らを眺めるのであるが、そのことにより彼らは見破られて、再び元の所へ投げ込まれるのである。天使たちの視線の中にこのような威力がある理由は知的な視覚と目の視覚との間に相応が在るということであり、それで彼らの視線には鋭い視力が在り、その前には奈落の明るさを消滅して、悪霊らはその者らに属している形と性質の中に現れるのである。

 

 

2.主の天界が直接に悪い者を凝視するとき、こうした苛責が生み出される

 

霊界日記1961

 

 主の天界が直接に悪い者を凝視するとき、こうした苛責が生み出されることは驚くべき事実であり、大半の人々には把握されることは出来ないのであり、彼らはそれを背理として認めるのである、すなわち、主が特別に臨在されることが明らかに示されるときは、こうした種類の苦悶と拷問とが続いて起り、モーセが民数記10・35に言っているように、その際主の『敵は散らされ』、『主を憎悪する者らはその御顔の前から逃げるのである』が、それでもその臨在が明らかに示されることによっては、悪は何一つもたらされるのではなくて、善のみがもたらされるのであって、それは極めて豊かな憐れみを抱いているのである。ここから人間はまたは霊自身がその者自身の悪、拷問、死の原因であることが明らかとなるであろう。1748年〔60歳〕5月15日

 

 

3.悪霊らは天使たちから熟視されることにより苦しめられ、責め苛まれる

 

(悪霊らは主を信じている者たちとは共にいることは出来ないことについて)

霊界日記1966

 

 悪霊らは天使たちから熟視されることにより苦しめられ、責め苛まれることは前に示した。信仰の中におり、または主により信仰の中に留め置かれている人間の場合も非常に類似しており、そのときは悪霊らは彼らに近づくことは出来ないのであり、もし彼らがそうしたことを企てるなら、同じように責め苛まれ初めて、逃げ去ろうとするのである。私は彼らが信仰を持った者たちの眼前に置かれるとき、苦情を申し立て、嘆き悲しむのを幾度も聞いたのである。1748年〔60歳〕5月16日

 

 

天界と地獄232

 

悪霊は天使たちからただ見られるのみで、失神し、人間としては現れなくなり、しかもそれがその天使が彼から目をそらさぬうちは続くということからもまた明白になったのである。こうした結果が天使の視線から生まれるという理由は、天使たちの視覚は天界の光から発しており、天界の光は神的真理であるということである(前の126−132参照)、眼はまた善から発している諸真理に相応している。

 

 

 

 

4.目的のみを認識する天使たち

 

 

天界の秘義4802[3]

 

私は身体の生命にいた頃このようなものであって二人の人物と語ったが、彼らは自分たちが信仰の諸真理を確信しているのに、地獄にいることを怪しんだのである。しかし彼らは以下のように話されたのである、すなわち彼らのもとでは彼らが真理を理解する手段となった彼らの光は世の冬の光のような光であって、その光の中では、凡ての物は麻痺していて、楽しい、喜ばしい物は一つとして生まれはしないのであり、真理を理解する彼らの目的は誇ることであり、従って自己であったため、彼らの目的のスフィアが内的な諸天界に向って、そこの目的のみを認識する天使たちの方へ上昇すると、それは堪えられることが出来ないで、斥けられてしまうのであり、そうした理由から彼らは地獄にいるのである。