天界と言おうが、神と言おうが、それは同一の事

 

 

黙示録講解1096[2]

 

人間に天界を開く最初の、また最も重要な考えは神についての考えであり、そのことは神は天界の凡てのものであられ、私たちが天界と言おうが、神と言おうが、それは同一の事であるとすらなっているのである。天界を構成している天使を天使とならせている神的なものが共に集められるとき神であり、このことが神について考えることが人間に天界を開く凡ゆる考えの中で最初のまた最も重要なものである理由である、なぜならそれは天的な、また霊的な凡ゆる真理と愛との頭部と総計である。しかし光から発している考えが在り、愛から発している考えが在り、光のみから発している考えは、神は存在しているという知識であり、それは承認のように見えはするが承認ではない。

 

 

 

天界の秘義4997

 

『神に向かって悪と罪を犯す』と言われているのは、悪は、また罪は、それ自身において観察されるときは、善から分離する事以外の何ものでもないためである。さらに悪そのものは分離[非結合]から成っている。このことは善から明らかである、なぜなら、善はすべて主に対する愛と隣人に対する愛のものであるため、善は連結であるからである。主に対する愛の善はその人間を主に連結させ、従って主から発出している善の凡てに連結させ、隣人に対する愛の善は彼を天界に連結させ、そこに在る幾多の社会に連結させるのであり、それゆえこの愛によりまた人間は主と連結するのである、なぜなら主は天界の凡ゆるものにおける凡ゆるものであられるため、元来天界と呼ばれている天界は主であるからである。

 

 

 

天界と地獄452

 

霊魂は身体の生命の後にも何らかの生命を持っていることを世で信じなかった者らは、死後も自分たちが生きていることを知ると、非常に恥じるのである。しかしその不信仰を確認した者らはその者らに似た者と交わって、信仰を持っていた者たちから分離してしまう。彼らの大半は奈落の何らかの社会に結ばれているが、それは彼らはまた神的なもの[神]を否定して、教会の諸真理を嘲笑したためである。なぜなら何人でも己が霊魂の永遠の生命を否認するに比例して、天界と教会との事柄もまた否認するからである。