天界の秘義878

 

「かれはその手をのばして、それをとらえ、自分のもとへもってきて箱舟の中へ入れた。」

このことはかれ自身の力を意味していること、またかれはかれ自身から善であったことを行い、真であったことを考えたことを意味することは、『手』の意義から明白であり、それは力であり、かくてここではその者自身の力であって、その力からかれはこれらのことを行ったのである。なぜなら『手をのばして、鳩をとり、それを自分自身のもとへつれてくる』ことは『鳩』により意味されている真理を自分自身のために用い、自分自身に帰することであるからである。『手』により力が、また権威が、またそこから派生してくる自己信頼が意味されていることは聖言の多くの記事から明白である、例えばイザヤ書にはー

 

  わたしはアッシリア王の心の偉大な果に用いよう、かれは、わたしはわたしの手の強さにより、わたしの知恵によりそれを行った。わたしは理知のある者であるから、と言ったためである(10・12、13)。

 

 ここに『手』はかれがその行ったことを帰したかれ自身の強さを明らかに意味しており、それがかれが報復を受けた原因となったのである。さらに―

 

 モアブはその真中にその手をひろげるであろう、泳ぐ者がその手を拡げて泳ぐように。かれはその誇りをその手の瀑布とともに低くさせるであろう(25・11)。

 

ここでは『手』は、自分自身を他に勝った者として認めることから、かくて誇りから人間自身の力を意味している。

 

 

[]さらに―

 

 その住民は手が短く、狼狽し、辱しめられた(37・27)。

 

 『手が短い』は力が何らないことを意味している。さらに―

 

  つちくれはすえもの師に、あなたは何を作りますか、と言うであろうか、またはあなたの作ったものが言うでしょうか、かれには手がない、と(45・9)。

 

 ここに『かれには手がない』はかれは力をもっていないことを意味している。(中略)

 

 

 

[3]『手』は力を意味するため、人間の悪と誤謬とは聖言に絶えず『手の業』と呼ばれている。悪は人間の意志の人間自身のものから発し、誤謬はその理解の人間自身のものから発している。これが悪と誤謬との源泉であることは、人間の人間自身のものから充分に明白であり、それは(前の39、41、141、150、154、210、215番に見ることができるように)悪と誤謬以外の何ものでもないのである。『手』は全般的に力を意味しているため、手は聖言の中にエホバまたは主に帰せられ、かくて『手』により内意では全能が理解されている、例えばイザヤ書には―

 

 エホバよ、あなたの御手は挙げられました(26・11)。

 

これは神的な力[神の力]を示している。(後略)

 

 

[7](前略)

ウザについては、かれが神の箱の方へ(その手を)伸ばし、それをつかんだために死んでしまったと言われている(サムエル記後6・6,7)。『箱』は主を表象し、かくて聖い天的なものをことごとく表象したのである。ウザが箱に(その手を)のばしたことは人間自身の力を、または人間自身のものを表象したのであり、これは汚れているため、『手』という言葉が理解されているが、しかしこうした汚れたものが聖いものに触れてしまったことが天使たちから認められないように、それは原語には表現されてはいないのである。

 

 

天界の秘義3563

 

『手』が善について述べられている理由は、『手』により力と能力とが意味されていて(878、3541番)、その力と能力とは善以外の源泉からは発しておらず、真理の力と能力とはことごとく、それは真理から発しているように見えるけれども、善から発しているということであり、そのことはまた『手はエソウの手である』と言われていることからも明白であり、かれにより、前にも示したように、善が表象されているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

天界の秘義9133

 

「かれの手の中に」は何であれかれに属したものを意味していることは「手」により力が意味され、何であれ、たれかの力の中に在るものはその者に属しているためである。

 

 

ゼファニア書3・16

 

その日、人々はエルサレムに向かって言う。

 

「シオンよ、恐れるな 

力なく手を垂れるな。

 

お前の主なる神はお前のただ中におられ

勇士であって勝利を与えられる。

 

主はお前のゆえに喜び楽しみ

愛によってお前を新たにし

お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」