たんなる仮説から

 

 

天界の秘義4330[2]

 

 これらの者はいかに内なる人に対立しているかが生きた経験によりわたしに示されたのである。この地球から来ている非常に多くの霊がそこに居合わせたが、かれらは世で生きていた時にはこうした性格のものであったのであるが、内なる感覚的な人に関係した霊たちがその目に入ると、直ぐさま、外なる感覚的な物により確認されることのできるものを除いては何ごとも信じはしないで、さらに内なる人を軽蔑しながら、感覚の迷妄[妄想]から、またそこから起こってくる錯覚[幻想]から、またたんなる仮説からのべつまくなしにしゃべりまくり、論じまくることにより、まるで不合理な人間が合理的な人間を悩ますようにもかれらを悩ませ初めたのである。

 

 

天界の秘義4330[3]

 

 しかし内なる感覚的な人に関係していた者たちはこのようなことは些かも気には留めないで、その前の霊たちの狂気のみでなく、その愚劣さに驚いたのであり、そして驚くべきことには、外なる感覚的な霊が内なる感覚的な霊に近づいて、その思考のスフィア[領域]の中にほとんど入ってくると、外なる感覚的な者は呼吸が困難になり始め(なぜなら霊と天使たちも人間と同じように呼吸しているからであるが、しかしその呼吸は比較的内なるものである、3884−3895番)、かくて今にも窒息するようになって、そのためその場から引き下がったのである。そしてかれらは内なる感覚的な霊から遠ざかれば遠ざかるほど―なぜならかれらは益々容易に呼吸したからであはあるが―かれらはそれに応じて益々落ち着き、平静になり、近づけば近づくほど、益々落着きがなくなり、平静を失ったのである。

 

 

天界の秘義4330[4]

 

 その原因は外なる感覚的な者がその迷妄、幻想、仮説の中におり、そこから誤謬の中にいるときは、平静を得ているが、それに反してこのようなものが彼らから取り去られると―それは内なる人が真理の光とともに流れ入ってくるとき起るようになるのであるが―そのときかれらは平静を失うということであった。なぜなら他生では思考と情愛とのスフィアが存在しており、これらのものは現存と接近とに従って相互に伝えられるからである(1048、1053、1316、1504−1512、1695、2401、2489番)。この争闘は数時間続いたが、かくてこの地球の人間は現今いかに内なる人に対立し、外なる感覚的なものがかれらのほとんど凡てのものとなっていることが示されたのである。