民のもとへ集められる

 

 

天界の秘義3255

 

「その民のもとに集められた」。

古代人にあっては、たれかが死ぬと、かれはその父祖のもとへまたはその民のもとへ集められたと言うことが慣とされていたのであり、かれらはこうした形の表現により、かれが実際他生にいる両親、親類、血縁の者のもとへ行ったということを理解したのである。かれらはこうした形の言葉を、天的な人たちであった最古代の人々から得たのである、なぜならこれらの人たちは地上に住みながらも同時に天界の天使たちとともにおり、かくて実際はいかようなものであるかを知っていたからである、すなわち、同じ善の中にいる者たちは凡て他生でも会って、共になり、同じように同じ真理の中にいる者も凡て会って、共になることを知っていたからである。前の者についてはかれらは『その父祖[父たち]のもとへ集められた』と言ったが、後の者についてはかれらは『その民のもとへ集められた』と言ったのである、なぜならかれらのもとでは『父祖[父たち]』は善を意味し(2803番)、『民』は真理を意味したからである(1259、1260番)。最古代教会の人々はすべて類似した善の中にいたため、かれらは天界ではともに住んでおり(1115番)、そのことは類似した真理の中にいた古代教会の人々の多くの者にも言われるのである(1125、1127番)。

 

 

天界の秘義3255[2]

 

さらに人間はその身体の中に生きている間は、その霊魂の方面では常に他生における或る霊たちの社会の中におり(1277、2379番)、悪い人間は奈落の霊たちの社会の中におり、善い人間は天使たちの社会の中にいるのである。かくてたれでも各々の者はその者が善と真理との方面か、または悪と誤謬との方面か、その何れかの方面で、一致しているような霊たちの社会の中におり、その同じ社会の中へ人間は死ぬと入ってくるのである(687番)。

 

 

天界の秘義4619

 

たれかが死んだ時、古代人たちは「かれはその民のもとへ集められた」と言ったが、そのことによりその最も近い意味ではかれは他生でかれ自身のものの間にいるということを意味したのである。なぜなら人間は各々その身体の生命の間にその霊の方面では霊たちと天使たちと交わっていて、死後またその者たちの間に来るからである。(1277,2379)