太陽崇拝
天界の秘義2441[7]
『陽』により古代教会は主と主の愛の神的な天的なもの以外には何ものをも理解しなかったのであり、それで彼らは陽については些かも考えはしないながらも、陽が登る方に向って祈るのを常としたのである。しかし彼らの子孫は、このことを、またその他の彼らの表象的なものと表意的なものとともに、失ってしまった後では、太陽そのものを、また月を礼拝し始めたのであり、この礼拝は多くの国民に拡がって、彼らは神殿を日や月に捧げ、柱を立てるほどにもなり、それで日と月とが対立した意義を帯びたため、それらは天的な霊的な愛とは正反対のものである自己への愛と世への愛とを意味するようになったのである。ここから聖言では『陽と月とを礼拝すること』により自己と世とを礼拝することが意味されているのである。
天界の秘義4288[3]
表象的な教会の中では彼らは神礼拝を捧げていたときは、その顔を太陽の昇ってくる方へ向けたのであるが、それは登ってくる太陽によってまた天的な愛が意味されたからである(102、1529、1530、2441、2495、3636、3643番)。それで彼らは月を眺めたときも、同様に一種の聖い尊崇の念に満たされたのであるが、それは月は霊的な愛を意味したためである(1529−1531、2495、4060番)。彼らが星空を眺めた時も同様であったが、それは星空が天使の天界を、または主の王国を意味したためである。
神の愛と知恵157
太陽礼拝は、あらゆる種類の神礼拝の中でも最低のものである、なぜならそれは、太陽自身が死んでいるように、全く死んでいるからであり、それ故聖言では『忌むべきもの』と呼ばれている。