絶え間ない祈り

1.スウェーデンボルグ

2.ヴァッスーラ

3.聖母から司祭へ

4.ルイザ・ピッカレータ

5.トマス・ア・ケンピス

6.マザー・テレサ

7.シスター・コンソラータ

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義9936(3)

 

 あなたはあなたの心情の凡てから、あなたの魂の凡てから、あなたの強さの凡てから、あなたの神エホバを愛さなくてはならない。あなたはこの言葉をしるしとしてあなたの手に結びつけ、あなたの目の間の護符としなくてはならない(申命記6・5,8)

 

「護符(お守り、魔よけ)とすること」は、神エホバに対する愛のしるしとすることを意味し、「目の間の」と言われていることは、「目」はこの愛から発してくる理知と知恵を意味し、この愛から発した知恵は絶えず神を目の前におくことであるためである。

 

神エホバに対する愛がとり扱われているため、これがその意味であることは明白である。

 

「心の凡てから、魂の凡てから、強さの凡てから、かれ(神、エホバ)を愛さなくてはならない」と言われ、そのことにより、人間の中に存在する凡ゆるものをもって、が意味されているのである。

 

「心(心情)から」は、その中に愛の善が宿っている意志から、を意味し(7542,9050,9300,9495)、「魂から」は、その中に信仰の真理が宿っている理解から、を意味し、引いては、信仰から、を意味し(9050)―この二つは内なる人に属している―「強さの凡てから」は、外なる人における理解と意志とに属した事柄から、を意味しているのである。

 

外なる人と内なる人の愛の強さと力とが「手」により意味され(4931−4937,7518)、それで「この言葉を結び合わせて手の上のしるしとしなくてはならない」と言われているのである。

 

 

                                                                                        

黙示録講解325ロ 第3巻P133

 

さらに、人間は仁慈の生命の中にいるときは、たとえ口では祈ってはいないにしても、心[心情]では絶えず祈っているのである、なぜなら愛に属しているものは絶えずその思いの中に、人間がそのことを自覚しないときでさえも、在るからである(このことは「新しいエルサレムの教義」に言われていることに従っているのである、55−57番)。。

 

 

 

昼も夜も神に仕える

 

黙示録講解478(3)

 

『かれらは昼も夜もその方にその方の神殿に仕える』(黙示録7・15)と言われているが、しかしこれはかれらが連続して神殿の中におり、または連続して礼拝と祈りの中にいることを意味してはいない、なぜならそうしたことは天界では行われはしないからである。そこでは各々の者はことごとく、世にいたときのように、その業務と仕事に携わっており、時折、世にいたときのように神殿におりはするものの、常に真理の中にいるときは、『昼も夜も神に仕える』と言われるのである。

 

なぜなら善い霊と天使とはことごとくその者自身の真理とその者自身の善であるからである、なぜならかれらは真理と善を求める情愛であるからである。情愛または愛は各々の者の生命を構成しており、従って真理に対する情愛の中にいる者たちは、その業務、事務、職業に携わっているときでさえも、絶えず主に仕えているのである、なぜなら内部に在る情愛が絶えず支配しており、仕えているからである。さらに、このことが主が求められる奉仕であるが、絶えず神殿におり、礼拝に携わっていることが主が求められるものではないのである。

 

神殿の中にそこの礼拝に携わってはいるものの、真理の中にいないことは主に仕えることではなく、主に仕えまつることは真理の中にいることであり、凡ゆる事の中に誠実に公正に行動することである、なぜならそのとき人間のもとに在る真理、誠実、公正の原理が主に仕えているからである。さらにこうしたものを通して―礼拝のみを通してではない―人間は世におけるその生命の後で、天界にいることができるのである、なぜならこうしたもののない礼拝は、従って真理を欠如した礼拝は空虚な礼拝であり、その中へは流入は全く見られはしないのである。

 

聖言には『役立つ[奉仕する]』と『仕えること』が、また『召使い[]』と『仕える者』が記され、真理の中にいる者たちは『主の僕』、『主に奉仕する』と言われている一方では、善の中にいる者たちは『主に仕える者たち』、『主に仕える』と言われている。(真理の中にいる者たちは聖言では『僕』と呼ばれることは前の6番に、善の中にいる者たちは『仕える者』と呼ばれていることは。155番に見ることができよう。

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ/P26

 

祈りの大切さの教えにはもう一つの側面があります。イエスはある日「絶え間ない祈り」をしてほしいと求められました。でも私はなんとなく嫌で、「家庭の主婦ですから、家事があります。それを中断してまで祈るように求めておられるのですか?」と申し上げたのです。その時イエスはこうおっしゃいました。

 

「あー、ヴァッスーラ、かわいそうに分っていないね! ひざまずいて24時間祈ってほしいわけではなく、それが『絶え間ない祈り』ではない。一日中、心が私を慕っている時こそが『絶え間ない祈り』なのです。一日中、私を憧れるなら、それが『絶え間ない祈り』です。それは心が語りかけるため、言葉のない祈りです。神を求める心であって、観想的な祈り、沈黙の祈りです。もっとも質の高い力ある祈りの一つです。」

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P40

 

私に絶え間なく祈っていなさい。絶え間なく祈るとはあなたの前にいる私の現存に気づいていること。私の現存に気づいているとは目覚めていること。目覚めているとは光のうちにいて健全であることです。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P188

‘89・6・12

 

我が現存を覚えていてくれるか? 行い、考えと言葉を自覚しておくために 私を思いの中に留めておきなさい、我が平和を受けるように ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P86

‘88・12・16

 

主よ?

 

私です、今日の一致に向けたメッセージです。 我が花たちに頼みたいことがある: 私の花たちよ、皆祈り方を覚えてほしい ♡ 祈る時は、こころから祈りなさい、口先ではなく こころからの祈りが必要です。 急いで祈らないで、気を落ちつけて もっとゆっくりと、私を見ながら、祈りなさい、私は現存している、私に届く祈りをするように。 絶え間ない祈りを学びなさい、何時間もひざまずいて という意味ではなく、そうではなく、あなたのうちに私の現存を忘れないだけで、絶え間ない祈りとなる。精神が私のほうに 高く引き上げられている。 言葉も、行いも、思いもすべてが 私のためとなる ♡ 献身と忠実さが要る 限りなく私を愛し 求めなさい。 私はあなたの救い主 そして慰め主、躊躇しないで 私のもとに来なさい、皆を慰め、希望を与える、そこで祈りと犠牲を 減らさないで、絶え間なく祈り それを増やしなさい、我がメッセージの終わりに 1989年に向けて 私、主はモットーを与える: 

「聖く生き 愛をもって悪に報い、

 私が愛するように、互いに愛し合うこと ♡ 」

私は平和と愛 あなた方皆を祝福する ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P94

‘88・12・27

 イエス?

 

私です! ああ、あなたに求めるのは愛だけ。 我がメッセージをひろめ 栄光を讃えなさい。 集会で私の愛を現し、ヴァッスーラ、次に何があるのかと、肩越しに見ようとしないで(*)、今日与えているものを見ていなさい、

  次の集いのことを心配して。

 

主よ、計画を立てるのは間違っていますか?

 

明日を心配しないようにと言った、心配しないで、信頼していなさい。 分かってほしい、私に息する場をあなたのうちに残してくれるなら、私のわざを自由に行えると 感じることができる、いつの日か十分に分かってほしい、あなたの持つすべてが 私からのもので あなたのわざに拠らず 私が行ったものだと、私なしには眼をしばたくことさえできないと 分かってほしい、そこであなた自身を 明け渡しなさい。 自分本位の自分に騙されないように ♡ あなたを愛している そして倒れさせはしない。 私を愛し求め ほかの何も求めないように。 今あるもの そして与えるすべてを受け入れなさい。 人の噂に 耳を貸さないように。 私に頼っていなさい、これは私のわざであるから。 自分本位でいるなら いつも間違った方向に連れていかれる。 自然にことが起こったかのように させておきなさい、私はこうしたやり方をする。 ものごとや、出来事を「押し進め」ないように、「押し進める」なら 私をも追いやってしまう、そこで無のままであり続けなさい、すべては私からであるように、

 

主よ、「霊感」と「自分本位」をどうやったら区別できるでしょう、難しいのですが。

 

愛する者よ、これを教えよう:たどりたいどの一歩でも まず私のもとに 来てからにしなさい、来て相談し、導きと助言を 聖霊に祈りなさい、どの一歩も、したいと思う すべての事柄に関し、まず私のもとに来るなら、あなたを導く、勝手な計画を 決して立てないように ♡ ヴァッスーラ、識別を求めて 祈りなさい、急ぐことはない、あなたの生まれるはるか以前に 我が計画を敷いた ♡ 娘よ、世界に向けて我がメッセージを伝えるように あなたを任命した、しかし是非忘れないでほしい、彼らを説得するようにとは 頼んでいない。 耳あるものは、聞きなさい、そこで 私のすべての指示を 忘れないように 花よ、「私たち」?

 

はい わが主よ。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P10

‘89・10・2

 

絶え間ない祈り、心から発せられた祈りとは、神を欲すること、です。

まこと愛する者たちよ。 我が愛のうちに成長したいなら、無気力も口先の祈りも捨て去りなさい、絶え間なく祈るとはあなたの主 私を欲することです、 ♡ 我がメッセージを理解しようと努めなさい、歓びのうちに私を求めなさい、口先でなく心をもって私を望みなさい、アッバ!と叫ぶのを聞かせてほしい、そこで再び幼児として私のもとに来なさい、私のもとに立ち帰り 心から願い、心から探し求めなさい、来て 心を捧げなさい。 奉献は霊魂を美しく飾るでしょう。 真理から迷い出ないように、真理は愛だからです、そこで愛に満ちた私のもとに来て、我が心から引き出すように、絶え間なく私を望むことによって 真理にとどまり、真理のうちに住まうように、あなたが生きるために このすべてを行いなさい ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P153

 

絶え間なく祈りなさい。私と会話し、与えているすべてを感謝し、しばしば祝福してほしい。常に試練はあろう。これは、まこと愛する者よ、あなたを成長させるためです。私にたいする望み、渇きをかき立てたい そして ああ・・・霊魂を完成させるためなら しないことがあろうか! 霊魂の完成には 死にそうなほど鞭打たせなければならないとしても、救いのために、ためらわず そうする。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P40

‘92・3・3

 

私に絶え間なく祈っていなさい。 絶え間なく祈るとは あなたの前にいる私の現存に気づいていること。私の現存に気づいているとは目覚めていること、目覚めているとは 光のうちにいて健全であることです。

 

 

3.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ/1973.12.26

 

一日のすべての瞬間を、私との語らいの時と変えなさい。ああ、子よ、あなたの声が聞きたい! すべてのことを祈りに変えなさい。

 

 

聖母から司祭へ1980.3.1

 

 イエズスは、砂漠で、たえまなくおん父に祈りました。こうしてイエズスは、わたしたちも、ご自分とともに祈るようにと導いておられたのです。それで、あなたがたの祈りも、たえ間なく、いつも続いているものとならなければなりません。

 いつも、いつも祈りなさい。あなたがたの生活をもって、心をもって、働きをもって、労苦をもって、疲れをもって、傷をもっても祈るのです。

 

 

聖母から司祭へ1981.7.1

 

 ここで、あなたがたは、祈りのために、私から養成されています。それは、あなたがたが、祈りの武器で戦わなければならないからです。たえず祈りなさい。あなたがたの仕事をすべて、祈りにしなさい。

 

 

聖母から司祭へ1995.3.22

 

わたしはあなたがたから慰められています。

―あなた方の“絶え間ない祈り”によって、わたしはあなたがたから慰められています。

 この祈りは、潜心し、愛をこめて行われ、またあなたがたは「わたし」と共に、「わたし」を通して聖主に向かう祈りを捧げています。

 あなたがたの天の母に取り次ぎと償いの偉大な力を与えてください。そうすればわたしは、汚れなき心の憐れみと救いの計画に従って、あなたがたの時代の出来事を整えるために干渉できるでしょう。

わたしの最愛の多くの子らから祈りがますますなおざりにされているのを見るにつけ、わたしの苦しみはどんなに大きいことか。

 もう祈らないのです。

 多くの司祭は一日中、だらしなく、乱雑に過ごしています。そして世俗的精神にどっぷり浸かり、味のない塩、すでに消えた光になっています。

 

― わたしは聖徳の道を歩むあなたがたの努力によって慰められています。

 こん日、世の救いのために司祭たちの聖徳が如何に必要なことでしょう!

 悪魔のものになった世において、世俗主義や道徳的な自由放任主義で暗くされた教会において、救いと平和へとつながる確実な道をみんなに指し示すために、司祭たちは聖なるものでなければなりません。

 罪をあなた方の最大の悪としてこれと戦いなさい。「ゆるしの秘跡」は、今日大変なおざりにされていますが、これをいつでも授ける構えをしていなさい。悪に曇らされた人たちに「神の恵み」を与えなさい。すべての徳の花咲く道を喜んで歩きなさい。そうすればあなた方は聖徳に達するでしょう。

 このために、わたしの汚れなき心に奉献するよう、あなたがたにお願いします。

 

4.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1P47

 

彼らがあなたの力以上にあなたを試すことを、わたしは決して許さないということを知っておきなさい。それにわたしは、霊魂が自分を失うようにさせるために悪魔たちと戦わせるようなことは決してしないということも、もう一度覚えておきなさい、事実、わたしはまず彼らの力をよく計り、わたしの効果ある恵みを与え、それから彼らを苦しい戦いに導き入れます。万一、時にどれかの霊魂が落伍するような時でも、それは決してわたしの恵みの不足のために起こるのではなく、その人が絶え間ない祈りによってわたしとの一致を保つことを望まなかったからです。それを望まない霊魂はわたしだけが人間の心を満たし、満足させることができるということを考えずに、見失ったわたしの愛を人間に求めて頼っていったからなのです。または霊魂が自分の判断を信じ、自分の考えのほうが自分を導いてくれる人のそれよりももっと正確で、均衡のとれたものであると傲慢にも信じて、従順の確かな道から非常に逸れてしまったからです。難しい性格をもった霊魂がそのようなところに落ち込んでも不思議はないでしょう? ですからあなたは、たとえ死の苦しみに遭おうとも、他の全てのことの前に、まず絶え間ない祈りを忘れないように。いつもあなたがしている祈りを怠らないならば、奈落の淵をどんなに近くに見ようとも、ますます祈りのうちに信頼し、わたしから助けられるということを完全に信じてわたしに祈願を捧げなさい。さらにこれから先、あなたのうちに起こることを明かし、聴罪司祭にたいして心を開くようにと望みます。あなたは言われたことをいちいち吟味することなく、盲目的にその手の中に将来の問題の解決を任せなさい。その時あなたは今わたしが言うことを思い起こして、その実践をなんら怠ってはなりません。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P228

 

「どうしたら、私の中でのあなたとの一致が恒久的であることができるでしょうか? 私には、自分がとても悪い人間のように見えます。」

 

 主は私の言葉をさえぎって言い加えられました。「愚かものよ、何を言っているのか? あなたの中に絶えず私を感じないか? 私があなたの内面で行う感覚的な動きを感じ取らないか? 他の方法ではできないあなたの内面で上げられる絶え間ない祈りも、それはいったいあなたがしているのか、それともあなたの中に住んでいる私か? 何でもないことだが、あなたが時々私を見ないとしても、あなたの中での私との一致は、恒久的なものではないのか?」

 私は困惑してしまい、何と答えてよいか分かりませんでした。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P192

 

あなたに頼みたいことは、絶え間ない祈りの精神である。心を込めて、思考をもって、口をもって、そしてまた単純な意向をもって、いつも私と対話を交わそうと努力することである。それは私の前にその霊魂を非常に美しくするので、その霊魂の心の調べを、私の聖心の調べと調和させる。

 

私はこの霊魂と対話することに非常に引きつけられるので、単に私の人性が行った外的なわざ“AD EXTRA”を彼女に示すのみでなく、神性が私の人性の中で行っていた内的なわざ”AD INTRA”の幾つかも示すだろう。

 

絶え間ない祈りの精神によって獲得する美しさは非常に大きなものなので、悪魔はその雷光によって打撃を受け、この霊魂を損なおうとして仕掛ける攻撃の際にも、それは無効になってしまうのである。

 

 

5.トマス・ア・ケンピス

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・18・2

 

かれらは昼は一日働き、夜は長い祈りに精を出した。しかも働いている間でさえなお心中(こころ)の祈りは決してやめなかったのである。

 

 

6.マザー・テレサ

 

マザー・テレサ/愛と祈りのことば/PHP文庫/P30

 

生活の中に色々のことが入り込むので祈れない、という言い訳をする人たちがいます。

そんなことはあり得ません。

祈るために、仕事を中断する必要はないのです。仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。

 

黙想をいつもしている必要もなければ、神と語っていることを意識することも必要ではありません―どれほどそれがすばらしい体験であるにせよ、大切なのは、神と共にあり、神と共に生き、神のみこころを自分のものとして行うことなのです。清い心で人々を愛し、すべての人、特に貧しい人々を愛することが、間断ない祈りになるのです。

 

 

7.シスター・コンソラータ

 

『シスター・コンソラータ』― 愛の最も小さい道 ―/ロレンツォ・サーレス著 ヨハネス・ワツラビク訳編/中央出版社(絶版)

 

P82

 

言い表せぬほど困難な仕事の連続で息もつけなかったある一日の終わりに、コンソラータはイエズスに向かい、こんなに多くの仕事に圧倒されて、イエズスに対し愛を絶え間なくささげることができなかったから、ゆるしてくださるようお願いしたが、主は慰められて仰せられた。

 

「大きな霊魂にとっては、欠点となることも、小さい霊魂にとっては欠点とならない。そしてあなたは小さい霊魂だね。私は欠点をみな、善いものに変えてもよろしい。私があなたのうちで愛したのだから、あなたのきょうの一日を、ひとつの絶え間ない愛の祈りとして数えよう。」