数字

1.           数字

2.掛け合わせた数字

3.割された数字

4.縮小された数字

5.数える

 

二人

三人

三ヶ月たって

五倍

五タラント

12

17

50

百四十四

獣の数字666

 

 

1.        数字

 

天界の秘義4264

 

 数字は決して天界へは浸透しない。それは数字は空間のみでなく、時間を測定したものであって、空間と時間は世界と自然界のものであり、天界ではこの空間と時間に状態と状態の変化とが相応しているためである。

 

 

天界の秘義5265[2]

 

単純数と複合数とが時としてわたしの目の前に現れ、一度長く連続して現れたことがあるが、それが何を意味しているかと怪しんでいると、それは天使たちの言葉から発しており、時として実際的な事柄が数字により表現されることが慣となっていると言われた。この数字は天界では現れないが、霊たちの世界に現れるのであり、そこにそのような物が目に示されるのである。

 

 

 

天界の秘義5291[3]

 

相応したものがあって、この相応から聖言の数字は凡て霊界の何ごとかを意味しており、従って、神的なものがそこに吹き込まれて、かくれていることを知るのみで充分である。

 

 

 

 

2.        掛け合わせた数字

 

天界の秘義5291

 

さらに充実したもの。

 

 

天界の秘義5623

 

倍・・・さらに連続して(1335)

 

 

3.        分割された数字

 

天界の秘義5291

 

それほど充実していないもの。

 

 

4.縮小された数字

天界の秘義1856

 

『第四代』は『四十』と『四百』が意味していることを意味している、すなわち13節に語られた試練の継続と状態とを意味しておりそれはこれらの数字から生まれた一種の縮小数である。数の大小を問わず、それが同じ根幹のものでありさえすれば、それは同じことを意味しており、そのことはすでにいくども述べたところである。

 

 

 

2.

 

天界の秘義720

 

 『対』は相対的に汚れた物を意味していることは『二』の数の意義から明らかである。『対』または『二』は結婚を意味するのみでなく(天界的結婚について述べられる時は、聖い数であるが)、『六』と同じ事を意味している。すなわち、労苦の六日間は休息の第七日または聖日に関わりがあるように、『二』の数は『三』に関わりをもち、それ故聖言の第三日は主が三日目に復活されたために第七日として考えられて、殆ど同じ事を意味している。ここから主が世に、しかも栄光の中に来りたもうことは、また主の来りたもうことはことごとく同じように『第七日』によりまた『第三日』により記されている。この理由から前の二日を聖いものではなく、相対的には汚れたものである。

 

 

 

 

天界の秘義5194

 

2・・・連結。

 

 

天界の秘義10188

 

2・・・連結。(5194、8423)

 

 

二人

 

黙示録講解411ニ

 

 愛により連結を意味しているため、善について述べられる。

 

 

 

天界の秘義5623

 

倍・・・さらに連続して(1335)

 

 

 

 

天界の秘義649

 

若干のもの、また僅かのものを意味している。

 

 

天界の秘義2267

 

僅かのもの、またはさらに少ないもの(649)。

 

 

天界の秘義5956

 

多くのもの。(5708)

 

 

五倍

 

天界の秘義5708

 

非常に増大した。

 

 

 

五タラント

 

天界の秘義5291

 

マタイ25・14〜

 

「五タラントを受けた僕」・・主から善と真理とを容認し、かくて残りのものを受け入れた者たち。

「二タラントを受けた者」・・非常に年老いてから信仰に仁慈を結合させた者。

「一タラントを受けた者」・・仁慈のない信仰のみを受けた者。

 

 

 

 

12

 

天界の秘義575

 

「十二」の数は信仰を意味し、または信仰にかかわる凡てのものの一つの統合体を意味しており、「百二十」は「十」と「十二」をかけ合わしてできており、信仰の残りのものを意味する。

 

 

天界の秘義648

 

それは信仰の聖い事柄を意味しているため、極めて聖い数字である。

 

 

 

17

 

天界の秘義4670

 

「ヨセフは十七才の息子であった」

始まり。ヨセフによる表象の始まり。(755,853)

七は聖いもの、十は残りのもの。

 

 

天界の秘義6174

 

始めから終わりまで。

 

 

50

 

天界の秘義2252[5]

 

そして同じく『五十』は充分なものを意味しているため、またこの数字は―すでに言ったように―表象的なものであったため、それと同じことが執事にかかわる主の譬え話の中にもその数字により意味されているのである、すなわち、その執事は油の負債を持っていた者に言った―

 あなたは私の主人にいかほど負債をもっていますか。すると彼は言った、百バテの油です。彼は彼に言った、あなたの証書を取り、早く坐って、五十と書きなさい(ルカ16・6)。

 

『五十』は充分に支払うことを意味している。五十は数字であるため、それは実際数字以上のものを何ら含んではいないかのように思われるが、それに反しその内意ではそれにより充分なものが至る所で意味されているのである、たとえばハガイ書には―

 

 一人の者がぶどうのしぼり器のもとへ来て、そのぶどうのしぼり器から五十を汲み出そうとしたが、二十しかなかった(2・16)。

すなわち、充分なものが無く、多くは無かったのである。『五十』はもしそれが表意的なものでなかったなら、それは予言者の書のここには記されなかったであろう。

 

 

 

百四十四

 

天界の秘義3325

 

「百四十四」は、または十二の十二倍は仁慈の信仰の中にいる者たちを意味しており(3272)

 

 

獣の数字666

 

黙示録講解847

 

 「そしてその者の数は六百六十六である」(黙示録13・18)は、にも拘らずその性質は凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪の綜合体である。

 

このことがその数の意義であるのは、『六』は凡ゆるものを意味し、真理について、そこから発する善について述べられ、その反対の意味においては誤謬とそこから発する悪について述べられているためである。なぜならその数は二と三とを共にかけ合わせた数から構成され、二の数は善について述べられ、反対の意味においては悪について述べられ、三の数は真理について、その反対の意味においては誤謬について述べられ、合成数はそれを構成している単純数と同じような意義を持っているからである。

 

それでこれが『六』は凡ゆる真理とそこから発する凡ゆる善との綜合体を意味し、その反対の意味においては、凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪との綜合体を意味している理由である。この凡てのことが充分に意味されるためにその数は三重倍にされ、三重倍により六六六の数が起こっている。なぜなら三重倍にされた物は初めから終わり迄完全になったものを、充分になったものを意味するからである。それでここではそれは真理と善とは何であれ何一つ残っていないことを意味している。

 

 

 

天界の秘義3325

 

「千」は無数である者たちを、すなわち凡てそのような者たちを意味し(2575)

 

 

 

5.数える

 

天界の秘義10217

 

 数えることは調査することを含んでおり、主により調査されるものはまた秩序づけられ、処理されるため。

「数える」の原語では、調査する、観察する、訪ねる、命じる、統轄するを意味し、かくて秩序づけて処理することを意味している。

 

「数」により事物と状態の性質が意味され、その状態はそれに添えられた数により決定される。