すべての人に、私の子であると、宣言なさい

 

 

1.聖母から司祭へ

2.マリア・ワルトルタ

3.サンダー・シング 船の譬え

 

 

 

黙示録22・10

 

また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。」

 

 

 

1.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1973.12.1

 

 淫猥な悪魔は何でも汚します。可哀想な子供たち・・・ どれほどそれに打たれて、その病気にかかっていることでしょう!

 神への反逆の精神が人類をそそのかしました。無神論がたくさんの人の心に入って、信仰と愛の光を残らず消してしまいました。

 聖書に描かれている赤い龍とはこれです。ああ、子供たち、聖書を読んでください。今はその実現の時です! 私の子供たちの中には、今やこのサタンの誤謬の犠牲者となった人が、どれほどいることでしょう。私の司祭のうちにさえ、もう信仰を持ってはいない人があります。それにも拘らず、私の教会の中に残っていますが、彼らは羊の衣をつけた真の狼で、数えきれないほど多くの霊魂を滅ぼしているのです!

 

 

 

聖母から司祭へ1979.3.9

 

 あなたがたが、そのかくれ場から抜け出て、全世界を照らしに行くべき時が来ました。わたしが、いつも、いっしょにいてあげますから、さあ、すべての人に、私の子であると、宣言なさい。

 私は、信仰が、この暗闇の日々にも、あなたがたを照らすあかりとなるように願ってやみません。

 ただ、私のおん子イエズスの名誉と光栄を願う奮発心だけが、あなたがたの心を占領しますように。

 光の子らよ、あなたがたの数は、まだ少ない、しかし、大いに戦いなさい。そうすれば、たくさんの人々が、あなたのあとに従って、私の軍団に入ってくるでしょう。なぜなら、私の戦いの時は、すでに来ているからです。

 

 

 

聖母から司祭へ1979.11.28

 

 私は、あなたがたを通して働きたいのです。

 あなたがたによって、自分を世界に示したいのです。あなたがたを通して、私の光を人々の霊魂に与えたいのです。

(中略)

 あなたがたは、すべての兄弟を愛しなさい。なかでも、いまでは、もうまったく迷ってしまって、永遠の亡びの大きな危険にさらされている、ある兄弟たちを、私の心をもって愛しなさい。

 とくに愛する必要があるのは、神からいちばん遠ざかっている人です。罪人、無神論者、みんなからすてられた人たちです。また、迫害者と死刑執行人さえも愛してください。あなたがたは、愛のうちに、「おん父よ、かれらをおゆるしください。かれらは、何をしているかを知らないからです」といってください。

 憎むもの、殺すもの、暴力をふるうもの、悪をおこなうもの、神を侮辱するもの、つまづきを与えるものをみんなに代わって、あなたがたは、いつも愛し、「おん父よ、おゆるしください」と、言いなさい。

 だれもさからいえない、あなたがたの愛の力によって、救いの道につれもどされる、かれらのなかの、どれほど多くの兄弟たちに、あなたがたは、天国で会うことでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1983.8.26

 

棄教はすでに、教会のすべての所に拡がっていて、若干の司教たちさえ教会をうらぎりました。また多くの司祭たちが教会をすて、こうしてたくさんの子らが離れ、わたしの敵は教会をおかしています。

 わたしの小さな子どもであるあなたは、世界中いたる所に行って、わたしのメッセージを、すべての人々に力づよく告げなさい。

 

 

 

聖母から司祭へ1986,5.8

 

 遠くわたしから離れた人や無神論者を愛しなさい。あなたたちを迫害し、拒絶する人にとってもあなたたちは愛でありなさい。

 すべての人、それは、言語や民族、宗教などの区別をのり越えたすべての人への愛です。

 こうしてはじめて、あなたたちひとりびとりは、わたしの母としてのたしかな慰めを与えるために、汚れなき心の鼓動となるでしょう。

 わたしのあわれみの道具となってください。今このときに生きている人類は、神のあわれみがどれほど必要なことでしょう。“あわれみ”それだけが人類すべてを新たにし、救うことができるのです。

 人類は、神を排斥するその頑固さゆえに病気です。この病気ゆえに人類は、神が救いに導こうとしてお示しになった道を、歩むことができないのです。

 人間の病気は、どんなに重いことか! それは、もう愛することができなくなったからです。

 世界は、今や大きな愛の砂漠となってしまいました。そのために憎しみや分裂、罪、度をこした利己主義、不潔、暴力、戦争などの雑草が生い繁っています。

 極度にまで達した堕落の深淵に迷い瀕死の状態にある人類を救い得るのは、神のおんあわれみの偉大な奇跡しかありません。

 最近、全世界が天の母であるわたしの汚れなき心に奉献されたのは、このために他なりません。

 とくに、あなたたち司祭が、わたしに奉献されるのは、母であるわたしのあわれみの道具となるためです。

 こうしてこそ、あなたたちは、命と聖徳、潔白と愛の、新しい芽を、あらゆる所に生えさせ得るでしょう。

 わたしは、あなたたちをわたしの協力者として、日々、新しい天と地を作ることができるようになります。

 天の母のその汚れなき心からあなたたちに与える満ち溢れる恵みとあわれみで、あなたたちは一番美しい実となるでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1988.2.2

 

 あなたたちが、公に証すべき時が来ました。あなたたちは、わたしに奉献された小さな子どもであることと、この最後のときに、あなたたちの天の母の偉大な使徒であることとを、すべての人に示さなければなりません。

 わたしが、教会と世界の前で、あなたたちのうちに光栄をうけたいと望んでいたその時が、来たのです。

―もし、あなたたちが、わたしといっしょに信仰の光のうちに歩むなら、わたしは、あなたたちのうちで光栄をうけるのです。

 神のみことばを、けんそんに受け入れ、知恵で思いめぐらし、心のうちにこれを守り、日常生活の中で、そのみ言葉に生きなさい。

 聖書、特に、イエズスの福音書が暗闇のこの時に、あなたたちを照らすただ一つの光となりますように。福音を信じなさい。福音に生きなさい。福音をそのまま完全に伝えなさい。

 人間的な、唯理主義的、自然主義的な解釈によって、イエズスの福音を八つ裂きにしたわたしの多くの子らのひどいうらぎりと、拡がっていく謬説に対して戦いなさい。

こうして、わたしの愛する子らであるあなたたちは、今こそ文字通り生きぬいて、伝えられたままの唯一の福音となりますように。

 そうすれば、あなたたちを通じて、信仰の光は再び輝きはじめ、わたしは、あなたたちのうちに光栄を受けます。

 

 

 

聖母から司祭へ1989.9.15

 

あなたたちのこの終末の時代に、天の予言者であるわたしが与えるメッセージを、恐れなく広めなさい。

 

 

 

聖母から司祭へ1996.4.6

 

 ―わたしの悲しみを慰めてください。あなたがたに願います。教会から遠く離れた全ての人々、無神論者、罪人、罪と悪の奴隷となった人、わたしとあなたがたの反逆者の巧みな奸計に魅惑されている人々を、わたしの汚れなき心の確かな避難所に連れてきてください。

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P45

反キリストの軍隊はすでに行動を開始している。

‘44年8月5日

 

 わたしのことを怖がってはならない。わたしがあなたたちに姿をあらわすのは、あなたたちを高めるためであって、あなたたちを灰に帰するためではない。立ち上がりなさい。恩恵を受けるよろこびがあなたたちに生きる力を与えるように。わたしがあなたたちに天を示したからといって、もうそれで救われたと思いこみ、無気力な麻痺状態に沈みこんではならない。人々のあいだに共に立ち交じろう。わたしはあなたたちが、わたしにとってより大きな助けとなるように、超人的なヴィジョンと教えとを用いて、あなたたちを超人的なわざにいざなったのだ。わたしはあなたたちを、わたしのわざに参与させるのだ。

 

 

3.サンダー・シング 船の譬え

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P361

 

 神は、世にありながら世のものならぬようわたしたちに求めておられますが、それはわたしたちがこの世にあって、自分も人をも救えるためです。船の場所は水の中にありますが、水は船の中にあってはなりません。浸水すれば、船をも乗員をも沈めてしまうことになる。同じように、クリスチャンは世の中にあっても、世が彼らの中にあってはならないのです。この方法によってのみ、彼らも彼らとともにいる者も、天の目的地へと安全に船出することができるのです。

 そこで、祈りの時間がもてなくなるほどに、仕事に取り込まれないようにした方がよろしい。世と世への愛着に心奪われ、打ち負かされたりせず、むしろ打ち勝てるために世から超然としているべきです。わたしたちは不完全なため、思いと行いも不完全ですが、くじかれてはなりません。未来における完成を約束する種子を手にしているからです。わたしたちを神の子の地位にまで高めてくださった神が、正しいときにわたしたちを完全にしてくださいます。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P388

 

 わたしたちは、この世にあって小船のようなものです。船は水の中でこそ役立ちます。しかし、水が船に浸入すれば役立たないように、わたしたちは、世がわたしたちの中に入り込まないような生き方をしなくてはなりません。この世がわたしたちの中に入り込めば、わたしたちは世に溺れ、死んで証ができなくなるのです。そのように、この世ではなく、キリストがわたしたちの中に存在しなければなりません。それは、わたしたちが口と生活を通して主を証言できるときにこそ、可能です。「あなた方はわたしの証人になる」。証とは、自分の力によってではなく、主の御恵みと助けによって、試みに勝利できることを証言することです。罪とサタンの力は非常に強力ですが、救い主はサタンよりも強いお方です。