スパイ
天界の秘義5432[3]
かれらは自分自身を赤裸々に示しはしないのである、そのようなことをすれば、かれらは利得を失うからである。
天界の秘義5432[4]
かれらがスパイであることは、このような人間は善から真理の中にいる者たちを非難し、断罪しようとして、その者たちの中に欠陥以外には何ものをも探し求めはしないという事実から充分に明らかとなるであろう。(中略)かれらは真理そのものを、もし何かそうしたものが見出されるとするなら、嘲笑し、糾弾するのである、なぜならかれらは真理が真理であることを悟らないからである。こうしたことの理由はかれらは真理自身のために真理を愛する情愛をもってはおらず、まして生命のために真理を愛する情愛はもってはおらず、ただ利得のためにのみそれをもっているということである。さらにこのような人間は聖言を読むときは、利得のために教義的な記憶知を確認しようというただそれだけの目的からそれをしらべるのであり、かれらの多くの者は地の裸を見るために、すなわち、利得を求めて、教会の真理は真ではなく、たんに、それが真であることを他の者に説きつけるうえに役立つものにすぎないことを見るために聖言をしらべるのである。
天界の秘義5432[5]
しかし真理と生命とのために、従って主の王国のために真理を愛している者たちは実さい教会の教義的なものを信じてはいるが、それでも真理のみを求めて聖言を研究し、その真理からかれらの信仰と良心とが形作られているのである。もしたれかがかれらに向かってあなたらはあなたらがその中に生まれた教会の教義的なものの中に止まっていなくてはならないと告げるなら、かれらは、もし自分たちがユダヤ教、ソツニウス主義、クェーカ主義、キリスト教異教主義の中に生まれ、または教会の外にすら生まれたとするなら、やはりそれと同じことがそうした信念を抱いている者らから自分たちに言われるであろうと反省し、また何処にも、ここにこそ教会が在る!ここにこそ教会がある!ここにこそ真理が在って、他の何処にもない!と言われていることを反省するのである。そしてそれが実情であるため聖言は主に向かって光により明るくされるように敬虔に祈りつつ研究されなくてはならないと、かれらは考えるのである。このような人物は、一個の教会である者は各々その者の信仰から生きていることを知っているため、教会の何人も乱さないし、また他の者を決して糾弾もしないのである。