創造主

 

 

1.前の教会の信仰は主として創造者なる神に対する信仰

2.存続は不断の発生、維持は不断の創造

3.再生させる方

4.ヴァッスーラ

5.ルイザ・ピッカレータ

6.マリア・ワルトルタ

7.トマス・ア・ケンピス

8.聖母から司祭へ

9.アグレダのマリア

10.主エホバがそれらのものを創造し給うたことをこれらのものによって観察し、学び、判断しなくてはならない

11.宇宙の維持者

 

 

 

 

マタイ28・18−20

 

イエスは近寄って言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

 

 

コロサイ1・15−17

 

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。

 

 

 

 

1.前の教会の信仰は主として創造者なる神に対する信仰

 

真の基督教647

 

前の教会は凡ての力を見えない神に帰し、この力を見える神に拒否している。何故ならそれは父なる神は信仰を転嫁し、これによって永遠の生命を与え、見える神は単に執成しを為すに過ぎない、この二人の神は―またはギリシャ教会に従えば、父なる神のみが―第三の神であるところの聖霊にその信仰の諸々の効果を作り出す凡ゆる権能を与えると、主張するからである。しかし新しい教会は、その中に見えない神が在すところの見える神に、転嫁しかつまた救いの諸々の効果を作り出す権能を凡て帰しているのである。前の教会の信仰は主として創造者なる神に対する信仰であり、贖罪者と救い主としての神に対する信仰ではない、しかし新しい教会の信仰は創造者であり、贖罪者であり、救い主である一人の神に対する信仰である。

 

 

2.存続は不断の発生、維持は不断の創造

 

天界の秘義9847

 

なぜなら事物はそれが発生してくる源泉と同じ源泉から存続するからである、それは存続は不断の発生であるためである。

 

 

天界の秘義5711

 

 病の相応が取扱われねばならないため、人間の病は凡て霊界と相応していることを知らなくてはならない、なぜなら何であれ自然全体の中で霊界と相応していないものは凡て、その存在する源泉となり、従って存続する源泉となっている原因を持たないため、存在することは出来ないからである。自然界に存在する物は結果以外の何ものでもなく、その原因は霊界に在り、その原因である目的は内的な天界に在るのである。原因がなくなると結果もなくなるため、結果もまた、原因が絶えずその中に存在しない限り、存続することは出来ないのである。結果はそれ自身において観察されるなら、それは原因以外のものではなく、その原因を低い領域における原因として働かせるために外的にそうしたものを纏っているのである。結果の原因に対する関係に原因と目的との間の関係も類似しており、原因もまた目的であるその原因から存在しない限り、それは原因ではない、なぜなら目的の無い原因は秩序を持たない原因であり、秩序の無い所には何ごとも行われないからである。このことから今や以下のことが明らかである、すなわち、結果はそれ自身において観察されるなら原因であり、原因はそれ自身において観察されるなら目的であり、善の目的は天界に在って、主から発しており、従って結果は、原因がその中に、しかも絶えずその中に存在しない限り結果ではなく、原因は目的がその中に、しかも絶えず存在しない限り原因ではなく、目的は主から発出している神的なものがその中に存在しない限り善の目的ではないのである。ここからまた世界の一切の物は神的なものから発生しているため、神的なものから発生し続けていることも明らかである。

 

 

 

神の摂理3

 

なぜなら存続は不断の存在であるように、維持は不断の創造であるから。

 

 

 

3.再生させる方

 

天界の秘義16

1節。「はじめに神は天と地とを創造られた」。最古の時は『はじめ』と呼ばれている。予言者達によりそれは色々な所で『昔』また『永遠の日』と呼ばれている。『はじめ』はまた人間が再生しつつある最初の期間を意味している。なぜならその時彼は新たに生まれて、生命を受けるからである。それで再生それ自身が人間の新しい創造と呼ばれている。予言の記録の殆ど全部の中の『創造る』、『形作る』、『作る』という表現は再生させることを意味しているが、その再生させるという意味には異なったものがあるのである。(中略)

『天』は内なる人を、『地』は再生以前の外なる人を意味することは以下の記事から見ることができよう。

 

 

 

天界の秘義1736[4]

 

さらに―

 

  諸天を創造られたエホバ、地を形作り、それを作られた神御自身はこのように言われた、かれはそれを確立された、かれはそれを空ろなものに創造られなかった、かれはそれを人がそこに住むように形作られたのである、わたしはエホバである、他にはたれ一人いない。わたしはエホバではないか、わたしの他には神は一人もいないではないか。(わたしは)正しい神、救い主である、わたしの他には一人もいない。地の凡ての端よ、わたしを見つめて、救われよ、わたしは神である、他にたれ一人いないからである(イザヤ45・18、21,22)。

 

 ここに主は主のみがエホバであられ、神であられると明らかに語られている。『諸天を創造し、地を形作られる』ことは再生させることであり、かくて天と地との創造者は再生させる方であられることは、前の16、88、472番、その他に認めることが出来よう、それで主はしばしば創造者、形成者[形作る者]、作成者[作る者]と呼ばれたもうている。

 

 

4.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P4

‘87・10・13

 

主イエス、お与え下さったものを拠りどころとし、力のかぎりやってみます。私は無力ですが、あなたは全能です。助けていただけますか、イエス?

 

あなたを助ける、私がどのように働くかを思い出しなさい ♡ ヴァッスーラ、間もなくあなた方に天から印を与える、それが私からだと理解するであろう、皆の上に輝く、あなた方を大切に思っている ♡ どんなに愛していることか、皆の理解をはるかに越えて 愛している ♡ 私は創造主、あなたの像を 手の平に刻み込んだと言わなかったか? 見捨てるようなことがどうしてできようか?

 

 

5.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P188

イエスはフランスに警告を発せられる

1902年6月29日

 

 今朝私がイエスをお見かけしたとき、なぜかは知らないのですが、主が次のようにおっしゃるのを聞きました。

「可哀想なフランス! 可哀想なフランス! おまえは傲慢になってしまったので、私をあなたの神であると認めないことによって、もっとも聖なる掟を破り、引き千切ってしまった。あなたは他の国々も悪へと引きつけて、彼らにとって悪い手本となった。しかもおまえの手本は非常な力をもっているので、他の国々も自分を駄目にしつつある。その罰として、おまえは征服されるだろうということを、知っておきなさい。」

 このあと主は私の内部に退かれましたが、多くの苦しみのために助け、哀れみ、同情などを主が求めておられることを感じました。創造主であるイエスが、ご自分の被造物に助けを求めておられるなどと感じることは、まことに心張り裂けることでした。

 

 

6.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P11

 

イエズスは言われる。

(中略)

わたしが自分の意志で世界と人間を創造した瞬間からこのかた、唯一変わったのはつぎのことだ。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P94

 

イエズスは言われる。

(中略)

 だが彼らはどうして『大バビロン』が地球全体であるとは決して考えなかったのだろうか? もしわたしが、人間の住む世界としての地球しか創らなかったとすれば、わたしはまことに小さな限られた創り主なる神であろう!わたしはわたしの意志の一鼓動をもって無から無数の世界を起こし、それらを光り輝く粉塵のように、無限の天空のなかに投じたのだ。

 

 

 

 

7.トマス・ア・ケンピス

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・13・1−2

 

あなたはまだ自分をむやみに愛しているので、それで他人の意思にまったく従うことを恐れるのである。しかし、無から万物を造り出した全能にしてこの上なくとうといわたしですら、あなたのためにへりくだって人間に服従したのに、塵であり虚無であるあなたが、神のため人に服従したとて、それがどうして大したことだろう。わたしはすべての人のうちで、もっとも卑しいもっとも低い者となったが、それはわたしの謙遜によってあなたが自分の高慢に打ち勝つためである。塵であるあなたよ、従うことを学べ、土芥(つち)であるあなたよ、へりくだって、すべての人の足元に屈服することを習え。あなたの意思をくじき、何事につけても人に服従することを学ぶがよい。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』4・1・4

 

ごらん下さい、義人ノエは少数の人々と救われるために、百年も骨を折って箱舟を造りました。それに私は、どうして一時間のうちに、世界の創造主(つくりぬし)をうやうやしくお迎えする準備ができましょうか?

主の偉大なしもべで、かつ主の特別な友人であったモーセは、腐らない材(き)で聖櫃を造り、これに純金を被(き)せ、その中に律法の石板(いしいた)を蔵めるようにいたしました。それに腐り果てるべき被造物の私が、どうしてその律法の制定者(さだめて)、生命の賦与者(あたえぬし)を、それほどたやすくお迎えすることができましょうか?

 

 

 

 

8.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1979.2.2

 

 あなたがたの天の母が幼子を奉献するために神殿にもうでたことを考えてごらんなさい。人間となられたおん父のみことばではありませんか! そうです、天地万物をつくられた神のおん子です。そして、予言と律法が準備して、まちにまたれた救い主です。

 

 

聖母から司祭へ1997.3.27

 

 与える愛、自己を葬る愛とは、また奉仕へと自分を差し出すものでもあります。

そのためにイエズスは、ご自分の弟子たちの足を洗われます。

創造主が、その被造物への奉仕のためにご自分を与えられます。主はしもべとなられます。

 

 

9.アグレダのマリア

 

アグレダのマリア/神の都市/P152

 

「いと高き御方がそのような恩寵を下さるなら、この世の苦労を喜んでお受けしましょう(ヨブ2・10)。私たちには天地の創造主がおられます。どこでも私たちと一緒に、私たちの全ての善、天の最高の宝、私たちの主、私たちの案内人である真の光がおられます。御旨を果たしましょう。」

 

 

 

 

10.主エホバがそれらのものを創造し給うたことをこれらのものによって観察し、学び、判断しなくてはならない

 

 

真の基督教308

 

主の教義をかき抱き、子供達がその両親に対するように、主に従い、自らを主に捧げ、主によって養われることを、すなわち教えられることを欲する凡ての者たちには、愛の神的な天界的なスフィアが絶えず主から発することが認められなくてはならない。この天界的なスフィアから、嬰児と小児達に対する愛のスフィアである自然的なスフィアが生まれ、これは普遍的なスフィアであって、単に人間のみでなく、鳥、獣、爬虫類も動かし、単に生物のみでなく無生物をも動かしている。

 

しかし主は単に霊的なもののみでなく自然的なものにも影響を与えるために、自然界に太陽を創造し、これを地が母に似る如く、父に似させ給うた。何故なら、太陽は普遍的な父に、母は普遍的な母に似、両者の婚姻から地の面を飾る凡ゆる草木が発生するからである。自然界に注ぐかの天界的なスフィアの流入により、種子から果実に至り、かくて再び新しい種子に至る植物の驚嘆すべき成長が生じている。

 

この理由から、多くの花は日が沈むまで日に向かって向きを変え、ある花は日が昇ると開き、日が沈むと再び閉じ、かくして、また朝、鳥は美しく囀り、さらに母なる大地から食物を得るとき囀り、このようにこれら凡てのものは、その父と母を敬っている。凡てこの事は、主は自然界の太陽と地とによって生物と無生物に必要な凡ゆるものを供え給うことを示している。

 

それ故ダビデに以下のように語られている、「諸々の天よりエホバをほめたたえよ、日よ月よ、エホバをほめたたえよ。海の怪しきものよ、淵よ、地よりエホバをほめたたえよ、実をむすぶ樹よ、すべての香柏よ、獣、諸々の家畜よ、這うもの、翼ある鳥よ、地の王たち、諸々のたみ、小きおのこ、若きおみなよ、エホバをほめたたえよ」(詩篇148・1−12)。

 

ヨブ記では「今請う、獣に問え、さらば汝に教えん、天空の鳥に問え、しからば汝に語らん、地の潅木に問え、然らばなんじに教えん、海の魚もまた汝に述ぶべし。誰か一切の者によりてエホバの手のこれを作りしなるを知らざらんや」(12・7−9)。

「問いてみよ、さらば彼らは教えん」とは主エホバがそれらのものを創造し給うたことをこれらのものによって観察し、学び、判断しなくてはならないことを意味している。

 

 

 

 

11.宇宙の維持者

 

 

神の愛と知恵103

 

彼らが主は天界の天使たちの間におられる方であるという考えを抱いて行くのは、人間が主を他の人間のように考え、或る者は主を天使のように考えて、主は宇宙を支配されている真の唯一の神であられることを知らず、もし主が天界の天使たちの間に居られるなら、宇宙を見そなわし、これを守り、支配もされることが出来ないことを知らないからである。