組織は不要

 

 

1.聖母から司祭へ

2.ヴァッスーラ

3.サンダー・シング

4.支配したがってはならない・・・マリア・ヴァルトルタ

 

 

 

 

1.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1973.7.16

 

 あなたがたの中では、誰も頭になってはいけません。私自身があなたがたの指導者になりましょう。あなたがたは皆、兄弟です。互に愛し、理解し、助け合ってください。

 

 

 

聖母から司祭へ1974.1.17

 

 組織されることは全く不要です。すべては単純で、自然で、口数が少なく、兄弟的であるように。私のために、この運動の司祭が二人、或はそれ以上集まるならば、そこにCoenaculum(チェナクルム)があります。Coenaculumには、使徒たちと共にイエズスの母マリアがいました。私の運動の司祭たちも、イエズスの母であり彼らの特別な母であるマリアと共に、こうしたCoenaculumに集まってほしいのです。

 

 

 

聖母から司祭へ1974.10.23

 

 パンフレットだけが普及の手段であるように。その弱さを見ないでください。なぜなら、私がそう望んでいるからです。

 宣伝は何も望みません。ただ祈りだけ。そして私の声に対する素直さがほしいと思います。

 

 

 

聖母から司祭へ1975.6.7

 

 私が自分を現わした魂たちによってあちらこちらで、霊感を受けた運動が起こっていると聞いても心配してはいけません。全て私の偉大な計画の中にあることです。そのいずれもが、適当な場所に置かれるべきです。

 あなたの働く場所は司祭のマリア運動です。私の司祭たちを通して数えきれない信者が、自分を全く私にゆだねるために私の心に奉献するようになるでしょう。自然に何の組織もなく、子供が全てを母にまかせると同じように彼らも凡てを私にまかせるようにしてほしいのです。

 

 

 

聖母から司祭へ1975.10.24

 

私の運動のためになんの法的組織をも求めないのは、それが沈黙の中にひそかに広がって行くのを、私がはっきりと望んでいるからです。

 

 

 

聖母から司祭へ1976.8.22

 

 それであなたがたの中の誰もが頭になることはできません、あなたがたは愛の中にますます成長し、一致する兄弟です。

 もし誰かが、もっと偉大なものになりたいと思うなら、もっと小さいものになりなさい。よりいっそう愛し、奉仕し、私の云うことを聞き、そして私の汚れなき心の中に消えてしまうほど、小さくなる人を、私自身が偉大な人にしましょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1977.4.29

 

私の計画が、あなたがたを通してだけ、実現することができるのです。

 しかし、その計画を具体的に知る必要はありません。私があなたがたの指導者ですから、私だけが、わかっていればいいのです。

 あなたがたみな、私の命令に従って、私に導かれるようにしなければなりません。

 あなたがたを、どこへ連れて行くか、尋ねないでください。

 私が、あなたがたを適当なポストにおきましょう。だれでも、その職分を全うすればいいのです。

 それ以上のことは、心配しないでください。

 神の上智の光によって、私の汚れなき心が、以前から準備した計画に従って、私がなんでも行うでしょう。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻Pxvii

 

「悲しまないように、友よ 私を愛する者たちよ、 私の堪え忍んでいるものを忍びなさい、しかし、私を慰め 信じるように。私の名のもとに 大いなるわざをなし遂げるであろう。 私が寛容であるように寛容でありなさい。 私は飢え、渇き しばしば餓死しそうであったが あなたは助けに来てくれた。善いわざを続けなさい 報いよう。まことに言う あなたは独りではない、私がともにいる。 私と一致し 平和のうちに生きるように。あなたは私の血の子孫 王国の跡継ぎです。主の心が愛であり 掟の心は愛に基いていることを伝えなさい。私の家に管財人は不要だと 私の者たちに伝えるように。この者たちは私の日に正当化されることはない 我が家を一つの事業としてしまったのはまさにこの者たち。 あなた方の心に住むように 私は、我が霊を送った、このため 私の教会があなた方の心のうちに再建され、心のうちで互いを兄弟と認め合うようになるのを あなた方のうちに住む霊が 指し示して下さるであろう。」(ノート55、‘91・9・9)

 

 

 

 

3.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P35

 

彼は、修道生活というものの価値は十分認識していたが、組織は腐敗を生む要因にもなると見ていたようだ。幾度となく、クリスチャン・サードゥ教団結成の話をもちかけられたが、すべて断った。

「聖フランシスは、新教団発足が神の意志であると感じたが、自分の場合は、それは神の意志ではないと感じる」

 彼は、教団組織が創設者の死後に腐敗しやすいこと、また、あまりに人間の力ばかりに頼りがちになることを見越していたのだ。

「山の中では、水は自由に流れ、好きな道を切り開く。それが、平地にくると、水を引くために人の手で水路を苦労して掘らなければならなくなる。そのように、神とともに高き所で生きる人々の間では、聖霊は自由に流れている。だが、祈りと神との交わりにほとんど時間をとらぬ人々は、組織の運営で苦労することになる」

 

4.支配したがってはならない・・・マリア・ヴァルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/9卷中P98/577・10

 

あなた方は、人びとや仲間を支配したがってはなりません。その反対に、あなた方のうちで偉くなりたい者は、かえって皆に仕える者となり、また、あなた方のうちで第一の者になりたい者は、皆の僕になりなさい。あなた方の先生がそうしたように。わたしは、支配し、抑圧するために来たのでしょうか? 違います。仕えるために来たのです。人の子が来たのも、仕えられるためでなく、仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためです。あなた方も、わたしのようになりたいと思い、わたしのいる所にいたいならば、同じようにしなければなりません。さあ、行きましょう。わたしがあなた方と仲良くしているように、あなた方も仲良くしなさい。